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みどりは太陽に向かってのびてゆく  作者: 糸東 甚九郎 (しとう じんくろう)
第3章 豆腐とビールと百日紅
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第十七話  緑の眼と亜美香の目

   カナカナカナカナカナカナ・・・・・・

   チチチチチチ  カナカナカナカナカナカナ・・・・・・


 淡い橙色の光を浴びた中庭のムクゲが揺れ、ケヤキの木に留まったヒグラシが鳴いている。

 柏沼市役所から北西に見える大きな連山は、ダイヤモンドのように輝いて黄金色に染まってゆく。


「よいしょ! ・・・・・・よいしょ・・・・・・っと!」


   ・・・・・・ばさりっ!  どさどさ!  ばさりっ!  どさどさどさ!


「ふぅーっ! だめだ、動きにくいなぁ! えーい!」


 緑はスカートの裾をぐいっと何枚か織り上げ、荷車からシュレッダーの屑が大量に詰まった大袋を持ち上げ、専用の資源ステーションへ何個も投げ込む。袋はひとつ、十キロ以上はありそうだ。


「・・・・・・あー。疲れた! これで、よしと!」


 管財担当の倉庫から借りてきた荷車をガラガラと押し、緑はひとり、黄昏色の空を見上げていた。


「(入庁して数ヶ月・・・・・・か。まだ、わかんないことだらけだなぁ。毎日、覚えることだらけだ)」


 スズメが数羽、ぴきゅぴきゅと鳴きながら飛んでゆく。


「(ふう。・・・・・・お父さんはここで、どんな働き方してたのかな? どんな職員だったのかなぁ)」


   かつっ!  かつっ!  かつっ!  かつっ!


 そこへ、地面の煉瓦タイルを踏む乾いた靴音が近づいてきた。


「ん? あ! きょ、教育長!」

「はっはっは! 温田君ではないか。こんなところで、どうしたのかね?」

「あ! はいっ! 明日が古紙回収日なので、教育部局の紙ごみを、資源置き場にー・・・・・・」


 緑はささっと服装を直し、背筋をぴっと伸ばして教育長に一礼。


「ん? 古紙なら、他の職員は当日の朝にいつもやっているが・・・・・・。誰かに頼まれたのかね?」

「い、いえ。朝だとみなさん混みますし、この時間に出せれば、朝の余裕が少しできるかなぁと」

「はっはっは! そうかそうか! 温田君。あなたはなかなか、細かい点に気がつくようだね」

「え! そ、そうなんですか・・・・・・ね?」

「当たり前のことだが、当たり前のことに気づかない職員も多いぞ、温田君?」

「は、はい」

「あなたが言ったことは、他の職員への配慮、そして仕事のタイムマネジメントを考えている」

「そ、そうなんでしょうか? あ、あははは・・・・・・」

「温田君のことは、私はよく評価していますよ。新人の中でも、心構えがよいと思っていますよ」

「あ、ありがとうございます!」

「小さなことを、こつこつと地味にやる。縁の下の力持ちですからな、行政の職員というものは」

「は、はい! 仰るとおりです!」

「自分が自分が。私が私が。やったんですやったんです、は、あまりよくない」

「え? あ、はい!」

「自己主張は時にはもちろん必要だが、いかにも自分を評価せよという態度の者もおるからね」

「そ、、そうなんですね」

「温田君は、自然体で頑張っておるね。新人だからこそ、今しかできないことをやりなさい」

「え! い、今しかできないこと。今しかできないこと・・・・・・。な、何なんでしょう?」

「はっはっは! 真面目だね、あなたは。・・・・・・『失敗』だよ」

「えっ! し、失敗・・・・・・ですか?」

「そうだ。新人のうち、特に若いうちは、たくさん失敗してその恥を自分の礎にしてゆくのだ」

「は、はい。・・・・・・たくさん失敗を・・・・・・」

「もちろん、取り返しのつかない大きな失敗や、何度も同じことを繰り返すのはダメだがな」

「よ、用心します!」

「新人は、たくさん失敗するのは仕方ない。失敗は成功の糧。その時の恥は未来の肥やしなのだよ」

「が、頑張ります! 教育長! わたし、一生懸命学んで、いい職員に・・・・・・」

「はっはっは! そう堅く気負わんでもよい。あなたは、自然なまま仕事をすればいいのだ」

「は、はい」

「部下の失敗は、上司がきちんと責任をとる。あなたは自信を持って、業務に励むといいですよ」

「上司が・・・・・・。なんだか、悪い気がしちゃって、どうもわたしはー・・・・・・」

「組織とはそういうものだ。部下を持つというのはそういうことだ。それが上司の役割だからね」

「そ、そうですか・・・・・・。わかりました! がんばります!」

「期待していますよ、温田君! ・・・・・・その眼・・・・・・。あなたの父や母にそっくりだ」

「えっ!」

「はっはっは! 私は現役教員時代、あなたの母と数年間同じ学校で勤めてね・・・・・・」

「そっ、そうだったんですかぁ! ええーっ! びっくりです!」

「病で、無念にも逝ってしまったのは悔やまれたが。・・・・・・熱心な、いい先生だった!」

「はい! わたしも中学二年生まで、母の背中を見て育ってきました!」

「そして温田君。あなたの父も素晴らしい職員だったぞ。私は教育委員会で昔、一緒だったんだ」

「そっ、そうでしたか! ・・・・・・教育長。わたしの父は、いったいどんな感じだったんですか?」

「温田さんは情熱がすごくてね。教育部局だけでなく、庁内ではほとんどの職員が認めていたよ」

「そうだったんだぁ。・・・・・・お父さんって、そういう職員だったんだ・・・・・・」

「若くして亡くなったのが残念だった。温田君。あなたはさすが温田さんの娘だ。よく似ている!」

「あっ、ありがとうございます! わたし、父や母のような素晴らしい社会人になります!」

「これからも、よろしく頼みますよ。温田君!」

「はいっ! あ、ありがとうございますっ!」

「はっはっはっはっは!」


 教育長はさっと手を上げ、ダンディな声を響かせて庁内へと戻っていった。緑はその背中に向かって、深々と頭を下げ続けている。


   カナカナカナカナカナカナカナ・・・・・・

   チチチチチチ  カナカナカナカナカナカナ・・・・・・


 ヒグラシの声が庁舎に跳ね返り、ステレオサウンドのように響く。夕暮れ前の残暑を乗せた風が、緑の足下を抜けてゆく。


「(いろいろ大変だけど、負けるもんか! 頑張るぞ! わたし、頑張るんだ!)」


 その場でにこっと笑い、緑は顔を上げた。


「あれっ?」


 すると、庁舎前の案内板の前に、外部の業者とおぼしき男性がうろうろしているのが見えた。


「あ、困ってるのかな?」


 緑は荷台を隅に寄せ、その男性へ声をかけるため、元気に駆け寄っていった。


「えーと、温泉関係を担当の観光交流課、どこだっけ・・・・・・」

「どちらへご用ですか?」


 緑はハキハキとした声で、微笑んでその男性へ声をかけた。


「すみません。株式会社 水清水の者ですが、観光交流課はどちらに・・・・・・」

「あ。それでしたら、こちらです。ご案内しますね」

「すみません。ありがとうございます」


 営業マンと思われる男性は、ハンカチで額の汗を拭いながら、緑と庁舎内へ。自動ドアの開く音が、ヒグラシの声の中に割り入ってゆく。


「暑い中、お疲れ様です。ほんっと、お盆過ぎてからも、暑いですよねー」

「そうですね。いやぁしかし、市役所は涼しいなぁ。こりゃあ快適だ。羨ましいですな!」

「お身体に気をつけてくださいね。・・・・・・じゃ、こちらが観光交流課です」

「ああ! ありがとうございました、ご丁寧に! 感謝します」

「いいえー。・・・・・・あ! すみません。業者の方がお見えでーす! お願いしまーす!」

「んんー。あー。ああー。・・・・・・あーい。今いくから待たしといてー・・・・・・」


 緑はにこっと笑い、男性の案内を終え、観光交流課の担当職員へ引き継いだ。

 廊下を歩く緑の足取りは軽やかだ。鼻歌を響かせ、ダンサーのように舞いながら緑は教育部局のある棟へ歩いてゆく。


「(わたし、なんか今日は気分がいいや! 教育長にも励まされちゃったし!)」


 ルンルン気分な緑は、文化財課、国体担当室、生涯学習課などの前を上機嫌で通り過ぎてゆく。


「・・・・・・あの子、学教の子だよね?」

「そうです。・・・・・・なーにやってんだ、緑は? やけにハイテンションだな。どーしたんだぁ?」

「・・・・・・大丈夫かしらね?」

「えっ? 副主幹、何がです? 緑が?」

「いや、何でもない。私の考えすぎかもしれないから」

「え?」


 生涯学習課の事務室から、安嶋と右京が緑の通り過ぎる様子を見ていた。

 そのままのテンションで、緑は自分の事務室へ戻った。


「たっだいま、戻りましたぁー」

「ばかやろう! おい新人! ごみ捨てんのに、どこまで行ってやがんだ! 鉄砲玉か!」

「すいませーん。お客さんを案内したりしてたものでー」

「ああ? ・・・・・・まぁ、そんじゃ仕方ねぇな。・・・・・・最初からそう言えよ」

「えー? だって福島主査が先にー・・・・・・」

「わーったよ! 俺が悪かったってんだ! ったく・・・・・・。新人! 早く残りの仕事片付けろ!」


 福島は、ぶっきらぼうにそう言い放つと、マグカップを持って給湯室へ入っていった。


「了解です! さぁて、やっちゃおうっと! 請求書とー、納品書とー・・・・・・」


 緑は引き出しから請求書の束を出し、パソコンで支払処理の書類を作り上げてゆく。


「金額と、負担行為日・・・・・・。よし! よし! オッケーっ!」


 その向かい側では、紫前がパソコンの画面を見つめながら、静かにカチャカチャとキーボードを叩いている。動きも視線も、緑とは対照的なほどに。


「えっと、学校用花苗の支払先は・・・・・・これでよしっと。こっちは小屋修繕の修繕費、と・・・・・・」


   RRRRR! RR・・・・・・  ガチャ!


「はい! 柏沼市学校教育課、温田です! ・・・・・・はい。・・・・・・はい。あ! その件なら・・・・・・」


 緑は、テキパキと仕事をこなす。時計の針は、間もなく定時の五時十五分を指すところだ。


「温田君! 温田君! 温田君! 県に提出する調査資料は? 明日の朝イチで提出だぞ!」

「はい! 課の共通フォルダにいま、入れました! 金沢補佐、確認お願いします!」

「え? あ、ああ。わかった! 入ってるのね! じゃあ、見ておくから」

「お願いします! ・・・・・・あと、会計課に提出する伝票の決裁もお願いします!」

「(ふぅん。・・・・・・温田さぁん。私が以前あれほど言ったのに、張り切っちゃってまぁ・・・・・・)」


 緑のその仕事ぶりを、課長席から黒沼がやや笑ってずっと見つめていた。

 あちこち緑が動き回る一方、紫前は自分の机周りを整頓していた。その際、緑の机の下に落ちていた小さな紙きれのようなものを、箒で集めた埃とともにゴミ箱へ捨てた。


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