表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
みどりは太陽に向かってのびてゆく  作者: 糸東 甚九郎 (しとう じんくろう)
第1章 芽吹きの色と春の風
1/176

第一話  教育委員会事務局学校教育課 温田緑です

「(今日から新社会人だ。がんばらなくっちゃ!)」


 彼女は、心躍らせていた。ひらりひらりとはためく、(かし)(ぬま)()の市旗を見上げながら。

 純白のブラウスに、ぱりっと仕立てた濃紺のパンツスーツ姿。黒髪を襟元に束ね、瞳は春色の光を取り込んで輝き、小さく拳を固めてガッツポーズをしている。

 ツヤのある新品の職員証を首にかけ、彼女は目の前の市役所庁舎に向けて、足を一歩踏み出した。写真付きのそれには「柏沼市教育委員会事務局 学校教育課 (おん)() (みどり)」と書かれている。


「(・・・・・・で、えっと、どこに行けばいいんだっけ?)」


 二歩目にして、緑の足が止まった。


「やっば! 初日から迷子で遅刻なんかしたら、シャレんなんないよぉ!」


 慌てふためく緑は、バッグの中を家捜しするかのように掻き分ける。その底から出てきた萌葱色の手帳には、「九時に辞令。教育長から」と丸字でメモが書かれていた。


   ・・・・・・ばさっ


「ああっ! もう、時間が無いのに!」


 緑の手から、手帳が地面へ落ちた。


「・・・・・・はい。落ちましたぞ。はっはっはっ」

「え? あ、ああっ! すみません。ありがとうございますっ!」


 落ちた手帳は、黒艶のあるスーツを身に纏ったダンディな男性が拾い、緑の手元へ戻った。


「市の新人職員さんかな?」

「え? あっ、は、はいっ! 学校教育課に配属となりました、温田緑ですっ!」

「ほう。では、教育委員会出向の新人さんだ?」

「へ? 出向? え? そうなのかな?」

「はっはっは! 市長部局と教育長部局は別なんだ。最初はよくわからんだろうが、頑張って」

「あ、ありがとうございますっ!」


 その男性は、優しくも貫禄のある笑顔を見せると、さっと手を上げて庁舎内へ入っていった。

 緑は、何度もその男性へ頭を下げ、バッグの中身を整頓してもう一度、手帳を見る。


「どこだっけ? 辞令の場所、メモるの忘れちゃったよ。初っぱなからミスったなぁー」


   たたたたたたたたっ・・・・・・  ばしんっ!


「うわっとぉ! な、何ーっ?」

「よぉっす、みーどりっ!」


 迷って右往左往していた緑の後ろから、黒茶色の髪を短く束ね結んだ体育会系の女性が声をかけてきた。この女性の職員証には「柏沼市教育委員会事務局 生涯学習課 岩下(いわした)右京(うきょう)」と書かれている。


「うっ、右京先輩ーっ! 右京先輩じゃないですかぁっ!」

「三月の内示で、新入庁職員の欄に緑の名前を見てさ。(がっ)(きょう)(学校教育課)に配属だって?」

「そぉなんです! いっやー、まさか右京先輩とこんなところで会えるなんて!」

「学教ねぇー・・・・・・。あれ? そういやアタシが役所勤めだってこと、言ってなかったっけぇ?」

「聞いてませんー。あー、でも、なんか右京先輩がいるとわかったら、一気に安心したぁ!」


 緑はほっとしたのか、空を見上げてふうっと大きく息を吐いた。


「アタシも、まさかあんたが入るとは思わなかったからさ。これからよろしく頼むよっ!」

「はいっ! わたしからも、よろしくお願いします!」

「課が違うけど、アタシも同じ教育部局。まだ二年目だから、わかんないことだらけだけどね」

「これから、わたしも一生懸命お仕事覚えて、頑張りますから! 元気いっぱいに、やります!」

「変わってないねぇーアンタは。高校時代の温田緑そのままじゃんか」

「そういう右京先輩だって変わってませんよ。相変わらず、男勝りのチャキチャキぶりですね!」

「まぁねっ! アタシはこれしか持ち味ないしぃ。緑にはいろいろな面で、かなわないかんなー」

「そんなことないじゃなですかぁ。高校時代、右京先輩がいたから部活も楽しかったんですよ?」

「そぉ? アタシは副主将として、ビシバシ緑のことを叩き上げたのしか、覚えてないけどぉ?」

「でもそのおかげで、みんなで関東大会まで出られたじゃありませんか。楽しかったですよ」

「じゃ、その鍛えた根性を仕事でも発揮してね、緑っ! 第二十五期の先輩命令だ! ははっ!」

「はいっ! ・・・・・・(かし)(ぬま)高校(こうこう)空手道部 第二十六代目主将、温田緑! 役所でも頑張りますっ!」


 緑は笑って、右京へ敬礼の真似事を見せ、にっこり笑った。右京は腰に手を当てて、その姿を見て朗らかに笑っている。そして数秒後、二人は腹を抱えて大笑い。

 緑と右京は、高校時代は学年一つ違いの先輩後輩の関係にあたる。意外にも空手道部という体育会系イメージの部で主将を勤めたという緑。右京はその一つ前の代で、副主将だったらしい。


「で? なんで緑は、この時間にこんなとこでウロウロしてんの? 辞令、何時からよ?」

「あ! そ、そうだった! 先輩、今、何時ですか!」


 右京は、腕時計をぱっと見て「まもなく九時だね」と、さらりと告げる。


「やぁっばーっ! 先輩、どうしましょう! 辞令の場所がわかんなくてーっ」

「はぁー? ドジだね緑は! アタシが教えてあげっから。教育委員会はこっちだ! 行くよ!」

「すっ、すみません右京先輩! あー。もうー。わたし、ダメダメスタートじゃんーっ!」


 緑は右京と、教育委員会事務局のある東庁舎へと全力で走っていった。

 二人が駆けていったあとには、桜の花びらが数枚、ふわりと風に流されていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 糸東先生、新作公開おめでとうございます。 『悪行清掃人』『悠久の拳』『潮騒のすず』と、中高生が主役の空手物から一転して、今度は大人が主役のドラマ調作品なのですね! 今後の展開が楽しみです…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ