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乙巳の変 その5 蘇我臣日向について

 先日の記事で、中大兄皇子が蘇我倉山田麻呂の長女を娶ろうとしたとき、この娘が「一族の者に盗まれた」というエピソードを紹介しました。この一族の者について日本書紀(公式)では「身狭臣である」との注を入れています。この身狭臣が誰であるか、ずっとよく分からなかったです。ネットで調べると蘇我臣日向のことであるという記事がみられるのですが、どうしてそうなるのか、今日まで分かりませんでした。

 日本書紀(公式)の孝徳天皇の記事をみると、「蘇我臣日向」について「日向字身刺」と注を入れている個所がありました。身狭臣というのは「身刺」のことなのでしょうか? 

 最近、藤氏家伝を購入しました。藤氏家伝は、この乙巳の変について詳しく述べてあり、それではこの「一族の者」についてどう書いているかみると、「其弟武蔵、挑女将去」とあります。「武蔵」をその音から「身刺」と解せば、この一族の者というのが蘇我臣日向である可能性が高くなります。

 じゃぁそういうことで良いではないか、というとそれでも自分にはしっくりこない部分があります。仮にこのエピソードが真実だとすれば、蘇我臣日向というのも極悪人で、中大兄皇子からすればこの一件で信用できないという話となります。ところが孝徳天皇の時代に、蘇我臣日向が蘇我倉山田麻呂を讒言したとき、あっさり日向の言うことを信じてしまったのです。このあたりのこと、本当に謎です。

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