102.父親への挨拶
旅行から帰って何日かが経った。
帰宅の次の日こそのんびりしたが、ささっと瑠璃も俺も夏期課題を終わらせてしまった。
『お疲れ様!』
「あぁ。ありがとな」
何の憂いもなくなったことで、今はこうして気軽に彼女と電話をしているのだが……
『……あの件、本当にいいの?』
「もちろんだ。反対なんてされないだろうし、そんなに気構えなくても大丈夫だよ」
毎日電話はしているが、直接会いたい気持ちも互いに持っている。そのためうちに来ないかという話になったのだが、ちょうど父さんの方も休暇に入ったため家にいるのだ。
それは成実の家でも同じことが言えるが、彼女は俺の父さんとは面識がない。初めて会うとなると緊張するだろう。
しかし先送りにしても良くないと昨日までは彼女が言っていたのだが、前日の今となって心細くなったようだった。
「成実も言ってたけど、先送りにしてもどうしようもないしな。反対なんてさせないし、そんなに肩肘張らずに俺の自慢の彼女だって、俺の大切な人に紹介させてくれ」
『そうだね……。うん……うん! 友也くんの彼女として、ちゃんとお父さんに挨拶しないとだね!』
「ははっ、まだ成実の父さんじゃないけどな」
『あっ、い、今のは言葉の綾で〜!』
「あぁ、分かってるって」
そうして迎えた当日。昨日の電話で成実も緊張していたようだが、こちらにも朝から緊張している人が家に一人いる。
「お父さん、そんなに怖い顔してたら成実さんに驚かれちゃうよ?」
「そ、そうは言ってもだね……」
「父さん、今まで仕事で契約先と話したりとかで、こういうのって慣れてるんじゃないのか?」
「それとこれとは別だと思うよ。話には聞いていたけど、子供の大切な人と会うって凄く緊張するね」
ガチガチに固まってるうちの父さん。そんなに緊張する必要もないだろうに。
「大丈夫だよ、もっと気を抜いて。成実さん良い人だしっ」
「それは友也の話で十分に伝わってるんだけどね……」
「じゃあ、何で緊張してるの?」
「僕のせいで悪印象でも与えて友也に迷惑はかけたくないし……」
「っ、父さん……」
「それから、彼女さんに何かしてしまったり、悪印象を与えたら神崎の方から色々と言われそうでね……」
「父さん……」
俺のために、って嬉しく思ったのに一瞬で上書きしてきた。
というかいつの間に色々言い合えるくらいにうちの父さんと成実の母親は仲良くなっていたんだろうか。前に聞いた時は父さんが飲みの席で相談できるくらいの仲だったが……
そんなことを考えていると家の呼び鈴が鳴る。
「あっ、お兄ちゃん!」
「あぁ、出てくるよ」
受話器の方からすぐに出ると伝え、玄関を開けて彼女を迎える。
「いらっしゃい、成実」
「うんっ。お邪魔します、友也くん!」
何日かぶりに見る彼女の笑顔。これだけで心が温まり、満ち溢れた気持ちになるのだから人間って単純だ。
そうして彼女を家にあげ、リビングの方へと一緒に向かう。
「いらっしゃい」
「は、はい! 初めまして、神崎成実と言います!」
「うん、話は聞いているよ。いつも友也のことをありがとね」
「い、いえ、こちらこそ友也くんにはお世話になりっぱなしで……」
「まぁ、とりあえずこちらに座ってくれたまえ。友也も一緒にね」
「は、はいっ。あ、これ、つまらないものですが……」
「あぁ、ありがたく受け取らせてもらうね」
パッと見は自然な笑顔に見えるけど、親しい人がよく見たら作り笑顔で凄い緊張している様子が分かるくらいの表情だ。成実は気付いてなさそうだ。というか成実自身も凄い緊張している。
これが社会人……と変な感心をしている間にも話は進んでいた。
「ははっ、素敵なお嬢さんが彼女になったものだな、友也」
「す、素敵だなんて……!」
「あぁ。本当に良い彼女だよ」
「あぅ……」
二人はいくつか問答をして、父さんは気付けば自然な笑顔になっていた。
成実はまだ少し固いところがあり、いつものような明るさはないが、いつかは父さんとも普通に話せるくらいになって欲しいと思う。
「最後に一つだけ。本当はこれを最初に聞くべきだったかもしれないんだけどね。……友也のことはどう思っているのかな?」
「本当に、本当に大切な人で……とっても大好きな人ですっ」
「っ!」
「そうか……」
成実はそうキッパリと言い切った。その表情には揺るぎない気持ちのようなものがあり、それだけは何があっても変わらないとでも言っていそうな程の真っ直ぐとした瞳で父さんに伝えた。
「……ありがとう」
俺には微かにそう聞こえた気がした。横目で成実を見ると、何と言ったのか聞き取れていない様子だった。
何に対してのありがとうなのだろうか。父として息子を大切に思ってくれていることに対する感謝か、俺が成実と出会ってから変わったことへの感謝か。他にもあるかもしれない。
「これからも友也のことをよろしくね」
「っ! はい!」
何にせよ、成実は父さんから認められたことには違いない。そのまま俺と成実はリビングから退出し、俺の部屋へと向かっていく。
リビングを出る瞬間に少しだけ見えた父さんの心から安心したような暖かな表情が、言葉に言い表せないような安心感のようなものを俺に与えた。
俺の中には無意識の中に釣り合ってないという劣等感が今も少し残っていたのだが、その安心感は俺と成実のことを肯定してくれたような気がして、僅かに残っていた不安を少しずつ溶かしていってくれた。




