038、静かに眠りたいです
急に視界が明るくなった。おかしいな。コンクリートに覆われたこの部屋はいつも薄暗かったはずなのに。目を閉じていても分かる明るさって事は外に出られたのかな?
…助け出されたのかな?
「医者はまだか!」
「早く怪我の手当てを!」
うるさいなぁ。私はもう少し眠っていたいのに。でも、にぎやかすぎて寝てもいられない。ゆっくりと目を開く。
「シルフィー!!」
目を開いたら、男の人が私を覗き込んでいることに気が付いた。この男の人誰だろう。銀髪黒目…。あぁ、『アルフォンス様』か。……違う。彼は『アル様』だ。小説の『アルフォンス様』じゃなくて私と過ごしてきた『アル様』だ。アル様が私を覗き込んでいる。
「もう大丈夫だよ!」
あぁ、アル様がいる。本当に、本当に助けられたんだ…。
あの部屋にドアか窓があったら転がってでも逃げたのに。
助けられたって事は、あのコンクリートに覆われた壁を壊したのかな?それとも、転移魔法かな?昔だと魔法が無いからどっちも現実的ではなかったなぁ。
もし、壁を壊したのなら大きい音がしたよね?……そんな状況でずっと眠っていたなんて。私ってすごい!
そういえばここどこ?……あぁ、私の…『シルフィー』の部屋か。
「シルフィー、目が覚めたのか?!」
「シルフィー!」
この声…、お父様とお母様?視界に移りこんできたお父様とお母様は泣いていたのか目が赤くなっている。
もしかして、あそこに閉じ込められたのは夢だったんだろうか?私が見ていた夢で、皆が心配するくらい魘されながら長く眠っていただけじゃないのかな?
でも、
「シルフィー、体痛くない?!すぐにお医者さんが来るからね!あぁ、顔もこんなに傷ついて…!」
そういうお母様の言葉にやっぱりあれは夢じゃなかったんだなぁ、と思う。やっぱり、体は傷だらけなんだね。もうお嫁にいけないかな?こんな傷だらけなんだったら、私を娶りたいっていう人いないよね?すぐに治るような傷ならいいけれど。
もう面倒だから、アル様、婚約破棄してくれないかなぁ。
何も言わない私を心配したのか、皆が私を伺っている。
(大丈夫ですよ。どこも痛くないですよ)
そう、思っているのに。そう言おうと思っていたのに。
声が出ない。体が動かない。痛みも感じない。
せめて頷くだけでもしようと思っているのに、それも出来ない。
皆が心配してくれている。嬉しい事なのに。ありがたい事なのに。
どうして嬉しいと感じないんだろう。
どうして、煩わしいとすら感じるんだろう。
いや、正確にはそれすらも感じない。あぁ、何か言っているなぁ、としか感じない。こんなの『私』らしくないのに。
……『私』らしいって何?
「シルフィー、大丈夫?」
抱きしめられているのだと分かる。視界にアル様の腕が映っているから。でも、でもね。それすら感じない。抱きしめられている感覚が全くしないの。
「シルフィー……?」
アル様が心配そうに見つめてくる。
「声が…出ないの・・・?」
アル様がそうつぶやくと同時に、息を飲む声が所々から聞こえた。でも、違うの。声が出ないだけじゃないの。体も動かない。感触も全くないの。
そっか…。そういえば心を殺したなぁ。心を殺すってこういう事なのかなぁ。本当に何も感じない。
でも、思考はある。心を殺したら、何かを考えることすらできないと思っていた。……失敗したのかなぁ。けれど、『怖い』『痛い』を感じなくなったから、いっか。声が出なくなったり、体が動かなくなったのは誤算だったけれど。
心の戻し方が分からない。体に力が入らない。……戻さなくてもいいかな。だってその方が安心して過ごせる。
そういえば犯人は捕まったのかなぁ?
「シルフィー!」
「シルフィー……」
周りの人達が私の名前を呼んでいる。答えないと、といつもなら思う。
でも、それが今は煩かった。静かになりたかった。あの部屋にいた時は、起きている時は体が辛く、寝ている時は悪夢が押し寄せてくる。静かに休ませて欲しかった。
静かに眠らせて欲しかった。
眠ったら悪夢を見ることは分かっていたけど、それももう怖く無い。何も感じないから。
気がついたら目を閉じていた。
再び目を覚ました時は、先程より多くの人が居た。その中に白衣を着た人がいたから医師がいる事が分かった。私が寝ている間に来てくれたんだね。
「よく眠れたかい?」
話しかけられたけれど、返事をする気もない。出来ないし。
でも、本当によく寝た。普段だったら、「よく寝たぁ~!」って欠伸をしたい所だ。
きっとこのお医者さんが私の怪我を治療してくれたんだね。特に痛くなかったから、治療しても何も変わらないけれど。
「どこか痛い所はない?」
でも、やっぱり喋れない。お医者さんは私が喋れないなら、頷いたり首を振ったりすることを望んでいるんだろうけれど、それだって出来ない。
でも、お医者さんは皆みたいに心配そうな顔をしなかった。ずっと優しい笑顔をしていた。
聞いたことがある。お医者さんは患者さんを不安にさせたらいけないって。安心させないといけないって。
「ここはもう怖いことは無いよ」
あぁ、このお医者さんは優しい人なんだね。ゆっくりと私の頭を撫でてくれている手は本当に優しくて。
「大丈夫だよ。きっと治るよ」
ううん。治らなくていい。そうすれば悪夢が怖くなくなるから。私はこのままでいいの。
私はそれからずっと寝て過ごしている。お父様に抱きしめられていても、お母様に本を読み聞かせて貰っても、本当に何も感じない。
お腹だって空いているはずなのに、口が動かないからご飯だって食べられない。お医者さんが点滴から栄養を入れてくれる。
お父様が私を抱きしめてから、拳を強く握りしめている事を知っている。
お母様が私の部屋から出た時に声を押し殺して涙を流している事を知っている。
私の部屋を護衛していた騎士が、直前まで傍にいたアンナが自分を責めている事を知っている。
アル様だって忙しい中いつも私の様子を見に来てくれる。アル様は、ずっと私の手を握ってくれている。その手からいつも何か温かいものが流れ込んできているのには気が付いていた。最初は魔力かなと思ったけれど、違うみたい。私もそれが何かは分からない。
でも、本当に温かい。そのお陰か分からないけれど、段々と悪夢を見る頻度が減ってきた。それどころか見なくなってきた。
やっぱりアル様といると段々と安心してくるなぁ。……安心?安心って何?
そう思いながら眠りについた。何だか、いい夢が見られる気がするなぁ。