悪役令嬢シルフィーの断罪劇
今日は暇を持て余した(実際は暇ではない)貴族達の優雅で高貴なお茶会だ。美しい花に囲まれ、美しい男女が笑いあい、まるで天国のような光景が繰り広げられていた。
「今、君の罪の全てを明らかにする!」
昼下がりの午後、緑が煌めく庭園に、第二王子であるアルフォンスの声が婚約者であるシルフィーに向けて響き渡った。
今日は王太子妃であるディアナが茶会を催す。身近な者ばかり招待されており、気軽なお茶会とも言えよう。しかしながら開かれるのはこの王宮。万が一にも粗相があってはいけない事は百も承知だ。ドレスに着替えたシルフィーはアルフォンス、ソフィア、ルートハインとともに控え室で時間が来るのを待っていた。
「ねえ、アル様」
「どうしたの?」
「私ね、やってみたい事があるの」
「シルフィーの願いだったら何でもかなえてあげるよ」
「ほんと?」
「うん」
願い事を聞く前に了承するのは悪手だと習わなかったのだろうか。
「あのね、私、悪役令嬢になってみたい」
「……え?」
「シルフィー、それアルフォンス殿下には通じないと思うよ」
あぁ、そうか。『悪役令嬢』というのは、前世の記憶がある仲間のソフィアは私の言いたい事を理解しているだろうが、日本で過ごした記憶がないアルフォンスには理解出来ない言葉だろう。ルートハインも同様に首を傾けている。
「あのね、私の目標って、綺麗なお姉さんになる事だったの」
「……」
「綺麗なお姉さんになる事だったの」
「……ウン」
正確に言えば悪役令嬢は目標ではないが、綺麗なお姉さんになりたいと思った事は嘘ではない。スラリとした背や腕、足が欲しかった。今更叶わない事は重々承知しているが、理想を理想のままにするのはもったいないと言えよう。
「それでね、私が悪い事して、アル様に『婚約破棄だ!!』って言われるの!」
「言わないよ?」
本当に言われるのならば、私だって全力でご遠慮願う。けれどもこれはただの演技でごっこだ。一度そういう気分を味わってみるのも面白い。それに今この場にはソフィアもいる。
「じゃあソフィアは、ルートお兄様とアル様に取り合われる役目ね」
「何でよ」
「私はやらないよ?」
「面白そうだね」
反応は三者三様といえよう。ソフィアは呆れ顔、アル様は拒絶。ルートハインは好奇心。
「アル様、お願い!」
「いくらシルフィーの頼みでも無理かな」
アルフォンスは軽々と当初の約束を反故にする。
「嘘つき!お願い聞いてくれるって言ったのに!」
「それでも私は嘘でも婚約破棄を申し込むのは嫌だよ」
「……」
アル様の意地に少し嬉しくなってしまうのはどうしてだろう。答えは分かりきっている。私が彼に愛されているからだ。
「何笑ってるの?」
「な、何でもない!」
それが表情に出ていたのかアルフォンスは不思議そうに私を見る。
「大体どうして、婚約破棄を申し込まれたいの?」
「えっとね、『おーっほっほっほ!私の罪?!そんなのある訳ないじゃない!』ってやってみたい」
「……」
「……とりあえずシルフィーは全く向いていない事は分かったわ」
「ソフィアの意地悪!」
大体私は小説では悪役令嬢だったのだ。きっと悪役令嬢の素質というものがこの身に宿っている。アルフォンスが出来ないと言うならば仕方がない。他の人を見つけるまでだ。
「じゃあ、ルートお兄様、私に婚約発表を申し込んで!」
「私はいいけれど、兄上が嫉妬しそうだからやめておくよ」
婚約破棄に嫉妬ってどういう事だ。全く意味は分からないがアルフォンスの表情を見る事で少し察してしまった。
「じゃあ別の誰か……」
それも結果的にアルフォンスが嫉妬するのだろう。こうなれば女性に頼むしかないのか。愛されるというのは面倒だけれど、ものすごく楽しいし嬉しい。愛されるというのは行動範囲も狭まるし、出来る事も減る。けれどもそれを苦とは思わない。
優しい束縛だ。
「…………………………やるよ」
アルフォンスの口から絞り出したような肯定が飛び出た。
「ほんと!?」
「………………うん」
長い沈黙の後の絞り出したような声と同じく、表情も苦悩に満ちていた。この表情も、私の事を愛しいと思えばこそだと感じて、輝いて見える。
「………ところで、あの子たちの場合、婚約破棄じゃなくて、離婚になるのだけれど、突っ込んだ方がいいのかしら」
「些細な事だから気にしなくていいと思うよ」
アルフォンスは深く息を吸い込んで吐いた。そしてそれを何度か繰り返すうちにゆっくりと口を開いた。
「シルフィー、君との婚約は…………………………、」
「アル様、頑張って!」
「…………………………か、解消……、す」
あと少しだというのに、アルフォンスは口を閉じてその先を紡ごうとしない。
「やっぱ無理!」
「……えー」
そしてとうとう諦めてしまった。あと少しであの台詞が言えるところだったというのに。私から少し離れた位置にいたアルフォンスは額に手を当てながらゆっくりとこちらに近寄ってくる。
「シルフィーは、婚約破棄をされたいの?罪を露わにされたいの?」
「うーん、後者!」
婚約破棄ばかりに気を取られていたが、本来の私の目的は、『おーっほっほっほ!私の罪?!そんなのある訳ないじゃない!』と言う事だ。
アルフォンスは深く息を吸い込んで下を向き、そして、真っ黒な笑顔を私の方に向けた。
「ひぅ!」
なぜだろうものすごく嫌な予感がする。
「シルフィー、今日のお茶会は覚えててね。シルフィーの罪を露わにしてあげる」
「え、お茶会で……?」
何故今この場ではなく、皆がいるお茶会でしようとしてるのだろうか。ああいう場でされると後戻りが出来ない。まさか本当に婚約破棄を企んでいる訳でも無かろうに。
「うん。今日は見知った人物しか来ないから、たまにはそういう催しがあっても楽しいでしょう」
「え、いやでもお茶会でするのは流石に迷惑じゃあ……」
「大丈夫。ね、ルート」
「面白そうだね」
「……えー」
自分で言いだしたとはいえ、そこまで大事にするつもりは全くなかった。
「ソフィア、止めなくていいのかな?」
「面白そうだし、いいんじゃない?」
「ソフィアまで……」
比較的常識人だと思っていたソフィアも常識より楽しさを取ってしまった。ソフィアも普段ならそのような事はないのだけれど今回のお茶会は親しい人しか来ない。
だいたい、私がして欲しかったのは見世物ではなく、あの言葉が言いたかっただけだ。他の人の前でその演技をしろというのは少しハードルが高い。知らない人の中でするよりは幾分かはましだが、それでも誰かに見られている状況であの高笑いは不可能だ。この3人の前でなら高笑いも出来ると感じてお願いしたのだけれど私の思いは通じなかったようだ。
「……」
けれども私の心の中でまあいっかという感情も浮かんでくる。知らない人は相手にしている訳でもないし、参加者たちの冷めた目線や苦笑いが見られるだけだろう。それはそれで逆に心がおられそうにはなるのだが。
「楽しみにしててねシルフィー」
それでもアルフォンスなりに願いを叶えようとしてくれているのだから、ここで遠慮するのは逆に失礼だろう。お茶会でこの寸劇のような真似をしても良いのかは迷うところだが王子である2人がそれを認めているのだから良いだろう。
「はい!」
今日は暇を持て余した(実際は暇ではない)貴族達の優雅で高貴なお茶会だ。
「今、君の罪の全てを明らかにする!」
昼下がりの午後、緑が煌めく庭園に、第二王子であるアルフォンスの声が婚約者であるシルフィーに向けて響き渡った。それまでは美しい賑やかさで交流を楽しんでいた参加者達も興味深そうに視線をむけ、微笑みながら紅茶を一口。参加者の表情は困惑よりも、どこか楽しげだ。
「おっ!何か始まるのか?」
シリアの婚約者であるトーリもワクワクした顔で近くまでやってきた。そしてシリアもともに近くまで来てくれている。
本日の参加者は私の見知った人たちばかり。第一王子のレオンハルト。そしてその妻のディアナ。ディアナの妹のマリー、弟のリシュハルト。そしてマリーの夫であり私の兄であるスティラ。私の姉であるシリアとその夫のトーリ。リシュハルトの妻のリリー。第三王子であるルートハインとソフィア。そして第二王子のアルフォンスと私だ。小規模なお茶会のため参加者は少ないが身分だけは恐ろしく高い。
背景を知っているルートハインやソフィアは訳知り顔でアルフォンスの横に座る。男性陣はトーリのように面白がっているのか近くの椅子までやってきた。ここでアルフォンスの信頼度が伺えるのが、誰もアルフォンスが私の事を嫌った上での宣言ではないと理解している。寧ろ余興とでも思っているようだ。
ちなみに私はと言うと
「今飲み込むのでちょっと待ってください!」
何も人がクッキーを口に入れた瞬間ではなくても良いと思う。出来る事ならばクッキーを飲み込んだ後にして欲しかった。クッキーを食べる前よりはましだが。
「……んく。飲み込めました!さあドンと来いです!」
悪役令嬢らしく、腰に手を当て仁王立ちしアルフォンスに向かって指をさす。
けれどもアルフォンスは微妙な顔。ソフィアとルートハインは呆れ顔だ。それ以外の人たちは吹き出すように笑い出した。今自分がなぜ皆からこのような表情で見られてるのか、分からない。
「……シルフィーはあの言葉が言いたくてこの状況を望んでいたんじゃないの?」
少しの間自分の中で沈黙が流れた。
「あーーーっ!そうでした!あの言葉は今でした!アル様ワンモアです!やり直しを要求します!」
何のために私はアルフォンスにこの断罪劇をお願いしたのか。肝心なところで目的忘れている。
「……もう1回だね。分かったよ」
「お願いします!」
「……ふぅ。……シルフィー、今、君の罪の全てを明らかにする!」
その言葉を聞いて私は再び仁王立ちをし、左手を腰に添えた。そして右手は甲を左手の頬に添える。ポーズとしては完璧ではないだろうか。
「『おーっほっほっほ!私の罪?!そんなのある訳ないじゃない!』」
出来た。セリフも完璧ではないだろうか。ポーズも完璧でセリフも完璧。つまり私は完全に悪役令嬢の演技が出来たという訳だ。満足げに鼻息を鳴らすと、どこからともなく笑い声が溢れてきた。
「ふはっ!何だそれ!シルフィー最高!つーか、殿下に何させてんだよ!」
「こういう性格のシルフィーも新鮮で良いですね」
「やっぱりシルフィーは何をしても可愛いわね」
「ええ。見て、あの満足げな表情」
馬鹿にされているのか、慰められているのか、称賛されているのか全く分からない。けれども、私自身これで満足した。高笑いするのはストレス発散に良いらしい。またアルフォンスに悪役令嬢ごっこをやってもらおう。
「アル様、ありがとうございました!楽しかったです!」
「どういたしまして。でも、これで終わりじゃないよ」
「え?」
これで終わりではないという事は、また次回やってくれるという事だろうか。アルフォンスがそんなに乗り気になるとは珍しい。
「宣言通りこれからシルフィーの罪を告白していく」
「…………え、と?」
私の予想に反してアルフォンスは真剣だ。仁王立ちしていた私の足は自然と揃えられ背筋が伸びる。
「わ、私、何もしてな……」
い。とは言い切れないのが悲しい。人は気が付かないうちに罪を犯しているものだ。アルフォンスが本気で断罪させざるを得ないような罪を私は犯してしまったのだろうか。
「先日……」
アルフォンスが罪を告白するように言葉を紡ぎ始めた。
「先日、事件が起きた。キッチンに置いてあったチョコレートの箱がなくなっていた」
「チョコレートの箱ですか?」
レオンハルトは覚えがないようで首を横に傾げる。
「はい。先日土産としていただいたものです。後日夜食でそのチョコレートを出してもらおうと、キッチンへ持って行きました。そうして、そこにいたメイドに伝え、私はキッチンを去りました」
「それなら覚えがあるわ」
ディアナは思い出したように両手を合わせた。
「私たちも頂きましたものね。ほらレオン様、先日隣国の方に頂いた……」
「あぁ、あれですね。そういえば、まだ口に入れた記憶がなかったですね。私たちの分は部屋にとってありましたよね?」
「ええ。いただくのが楽しみだわ。……アルフォンス様のチョコレートに何か問題が?」
「ええ。メイドがそのチョコレートを出せなくなったと申し訳なさそうに申告してきました」
「……まあ。何があったのかしら」
私の手は、今ほんの少しだけ震えていた。おそらく気温が低いせいだ。
「ええ。食べられてしまったと、申告がありました。…………シルフィー、何か知ってる事ある?」
アルフォンスの優しい問いかけが少し怖い。まるで食い意地が張っている私が犯人だとでも言っているようだ。
「失礼な!私じゃありませんよ!勝手にキッチンに入る事はありますけれど、勝手にそこのものを食べるような事はしません!」
これでも私は常識はあるのだ。キッチンには仲の良いコックがいるため遊びに行く事はある。それは否定しない。けれども勝手に何かを食べるという事は在庫が足りなくなる可能性もあるという事である為、勝手に食べるというような真似をする訳にはいかない。
「……本当にそういうところはちゃんとしてるわね」
「ソフィア、なんかそれ私に失礼だよ?」
私はちゃんとしている。だからこそキッチンにある未加工の食品は食べたりしない。けれどもワゴンに乗っているものは別だ。そして名前のないものや放置されているものも別だ。そして床に落ちているものも。
「あっ」
ふと心当たりが出来てしまい言葉が漏れた。
「シルフィー、今『あっ』って言ったな?」
鋭いトーリが私の言葉を復唱する。
「い、言ってない!」
「罪は先延ばしにすればするほど重たくなるんだぞ」
「……っ」
断罪される悪役令嬢の気持ちが少し分かった。必死に逃げ道を探そうとしてどんどん穴に落ちていく気分。
「私が、勝手にアル様のお菓子を食べる訳ないでしょ!」
「そうだよね」
予想に反してアルフォンスはあっさりと私の言い分を認めた。
「そうだよね。シルフィーは私のものだと分かっていたら素直に正面からもらいに来るもんね」
「そうです!」
なあんだ。罪を暴くと言っていても、これから犯人を探そうとしてるだけか。震えて損をした。
「じゃあ、私のお菓子だと分からなかったらシルフィーはどうする」
「その時はちょっとだけ……、なんでもないです!」
「ちょっとだけ……、何?」
「なんでもないです!」
「そう?」
「はい!」
今日のアルフォンスはやけに追求が甘い。
「じゃあ、どうしてあの時はあそこでチョコレート食べてたの?」
「えっ?」
バレていない。追求が甘い。私の言い分を認めてくれる。全くそんな事はなかった。寧ろ今までのが全て作戦だとでも言うのだろうか。
「ど、どうして知ってるの……?!誰もいないと思ったのに!」
「………………カマかけだったけれど食べたんだね」
「?!」
まさかこのような卑怯な手を使ってくるだなんて、思ってもみなかった。
「だ、だって。ご飯前でお腹空いてたし、ワゴンの近くに誰もいなかったし、ワゴンから落ちそうだったし、お皿に入ってなくて箱のままだったからお茶の時間に出すものじゃなさそうだったし、美味しそうだったし……」
言い訳はいくらでも出てくる。
「結局食べてるんじゃない」
ソフィアの言葉が心臓に突き刺さった。
「で、でも!犯人は私だけじゃないもん!」
「シルフィー、その言い訳は苦しいよ?」
リシュハルトにまで呆れたたような眼差しを向けられるが心外だ。
「リシューだって食べたもん!」
「えっ?」
アルフォンスからリシュハルトへ疑いの目線が向けられる。
「いや、食べてないよ?!」
覚えがないリシュハルトは焦るように首を横に振った。アルフォンスからこのような疑いの目がリシュハルトへ行く理由はリシュハルトとも私と同様に甘いものが大好きだからだ。
「ルートお兄様も、ソフィアもリリーお姉様も食べたもん!」
「あら、私も?」
「覚えないわね……」
「……」
首をかしげるソフィアとリリー。無言で苦笑いをするルートハイン。
「こらこら、共犯者を作ろうとしてもダメだよ。シルフィーが食べた事に変わりはないんだから」
「全部食べた訳じゃないもん!ちゃんと残したもん!」
「そうなの?」
「そうなの!」
そうだ私はきちんとチョコレートは残した。
「つーか、シルフィーがあげたメンバーって、全員生徒会じゃねえか。シルフィー、学校にチョコレート持ってったのか?」
スティラの言葉に、リリー、ソフィア、リシュハルトはある一つの出来事は思い出したようだ。
「もしかして、あのチョコレート?」
「あらあら。私も確かに頂いたわ」
「あれか!」
思い出してくれた様で何よりだ。怒られるなら私1人じゃなくてみんなで怒られたい。
「なるほどね。やけに大きな箱になぜか4つだけチョコレートが入っていて違和感があったんだよね。あのチョコレートはそういう経緯だったのか」
リシュハルトは納得したように頷く。
「……まって、4つしかなかった?」
「うん」
アルフォンスの冷たい目線が私に降り注ぐ。
「つまりシルフィーは、16個あったうちの12個は1人で食べて残った4つだけを生徒会の4人に配ったという事かい?」
「…………」
そっと横に目を逸らす。
「シルフィー、一人で食いすぎだ」
トーリの目線も冷たい。
正直に言うと私は、あれを一人で食べきるつもりだったのだ。やむを得ない事情により、チョコレートを皆に分ける事になってしまった。
「だってコーヒー味のチョコレートって苦いだもん……」
「だからあのチョコレート全部コーヒー味だったんだね。美味しかったけれど」
「……つまり他のものは何も知らずに食べたという事だね」
「……そう、なりますね?」
「シルフィー、本当に悪いのは誰?」
どうしてそんな分かりきった事を聞くのだろうか。
「大事なものは取られないようにちゃんと持っておかないアル様です!」
「……」
悪いのは勝手に食べた私?いいえ。私の目の届くところにお菓子を置いておくのが悪いのです。
「あー、思い出した。シルフィー、お前この間俺とマリーに届けるブラウニー勝手に食ったろ」
「タベテナイヨ」
「そうなのか?あのブラウニーは本当にうまかった。中にあれが入ってたな。ほら、あれだ。何だっけ?」
「ドライフルーツですよね!すごく美味しかったです」
「やっぱり食ったんじゃねえか」
「はっ!騙された!」
呆れ顔のスティラと穏やかに笑うマリー。言い訳をしておくと今回も全部食べた訳ではない。一切れだけだ。端っこの一切れを少しだけ頂いただけだ。
「チョコレートと言えば……」
シリアがふと思い出したように言葉を紡ぐ。
「食べ過ぎたら虫歯になって、しばらくは甘いものが食べられなくなったり、太りやすかったり、病気になったりするって聞いたけれど本当かしら?」
「ひぇっ?!」
なんて怖い事を言うのだ。しばらくお菓子の独り占めは控えようかな。食べるのをやめる訳がない。
リリーはルートハインとソフィアの傍へ行き、ぽそりとつぶやく。
「ルートハイン様は気づいていらっしゃいましたよね?」
リリーからの追及にルートハインは苦笑交じりで肯定した。
「あのチョコレートは私とソフィアも頂いているからね」
「通りで食べた事ある味だと思いました」
ソフィアも納得したように頷く。
「もう!断罪劇というより犯人探しじゃないですか!」
「シルフィーの余罪は他にもたくさんあるよ?」
「ひぇ!た、たくさん?」
「あるよ?」
「ないと思っていたの?」とでも言うような目線をやめてほしい。
「まず、私の香水を隠したでしょう。シルフィーのクローゼットから出てきたよ」
「……」
身に覚えがありすぎて目線を逸らす。
「シルフィー?」
「ひぅ!」
アルフォンスの目線が怖い。
「こ、これにはやむを得ない事情が……」
「どんな?」
「えー、と」
ソフィアに目線を向けるけれど、助けてくれそうにもない。目を逸らされた。
「確かになんで殿下の香水を取るんだ?殿下とたまに手合わせはするが別に悪い匂いではないだろう?オレンジっぽい匂いはシルフィーも好きだろ?」
「……」
トーリの言葉にも目を逸らす。確かに、別に悪い匂いではない。オレンジの匂いはさっぱりしといて、寧ろ好きだ。でもそれがアルフォンスから香る事だけはどうしても許容出来ない。アルフォンスにその匂いが似合わないという訳ではない。
「だって……」
「何か言いづらい理由があるのか?」
先程からトーリが追い打ちをかけてくる。言いづらいと言うよりも、恥ずかしいという気持ちが勝る。ああ、それが言いづらいという事か。
「どうせアレだろ。香水より殿下の匂いが良いとかそんなだろ」
「……なんで分かったの!?」
トーリの予想通りの理由だ。
「あ、当たったのか?」
「またカマ掛け!?」
私はそんなに分かりやすいのだろうか。
「だって、香水よりアル様の匂いの方が良いもん!ぎゅってした時の匂いはアル様の匂いがいいもん!」
こうなればやけくそだと思い、正直にいう。
「あらあら」
その時の目線は生暖かかった。アルフォンスは両手で顔を覆っていた。
「つ、次いくよ!」
アルフォンスは少し赤い顔を隠しながら切り替えるようにそう言った。
「次があるの?!」
流石にもう終わりだと感じていたが、そうではなかったようだ。
「……」
空を飛んでいる鳥が遠い。今すぐ降りてきて私の立場と変わってくれたら良いのに。
「現実逃避してもだめだよ」
「……してませんよぉだ」
アルフォンスは一体何の為に私を断罪しているのだろうか。私の事を嫌っているのならば嫌がらせ。けれどもそれはない。
「この間、ココアとコーヒーの粉のラベルを入れ替えたでしょう」
「何だその地味な嫌がらせは」
スティラの言葉に確かにそれは言葉だけ聞くと嫌がらせのように感じる。
「こ、これにも深い訳が……」
「とうとう自分が犯人だと隠さなくなったね」
「はっ!」
アルフォンスの言葉に、なぜ最初に「私ではない」と弁解しなかったのかと後悔するが、「ほかに誰が?」と言われると言葉が出ない。何より、全く関係のないメイドに罪を着せる訳にもいかない。「精霊さんがやった」と言っても半信半疑だろうが、同じように罪のない精霊に疑惑をかける訳にもいかない。
素直に申し出た私は偉いと思う。
「で、どうしてこんな事をしたの?」
「……アル様にコーヒーを飲んでほしくなかったの」
「なんでコーヒーを飲んで欲しくないんだ?大体、中身はどっちもココアに変えておかないと。見た目で変えたって分かるんじゃねえか?何より飲み物を入れるのはメイドだろう。マルフォンスがコーヒーのラベルが貼ってあるココアを飲むようになれば、シルフィーがココアのラベルが貼ってあるコーヒーを飲む事になるぞ」
スティラの正論に言葉が出ない。
「だって、アル様、コーヒーばっかり飲むんだもん……」
「それの何がいけないんだ?」
アルフォンスがコーヒーばかりを飲むのは正直なところ良いのだ。けれど問題は私がコーヒーを好きになれないという事。ミルクをたっぷり入れれば飲めない事もないのだが、出来る限りは避けたいというのが本音だ。
私が飲めなくてもアルフォンスが飲むのならば別に構わないというのが一般論だろう。けれどもそうはいかないのが現実なのだ。
「ちゅーした時に、苦いんだもん!」
私がその言葉を発した時、アルフォンスは顔を赤く染めて黙り込んでしまった。
「……シ、シルフィー。え、あっ」
「どうしたの、アル様?」
「……っ」
そうして私の断罪劇は終わった。楽しいお茶会が戻ってきた事を喜びながらココアを口に含んだ。
「結局、殿下とシルフィーの仲が良いという事が知れ渡っただけだな」
シルフィーの兄はそう言葉を漏らし、コーヒーをトーリに押しやって、ココアを飲んだ。
EPISODE1
「あら?」
「どうしたの?」
「チョコレートが無いわ」
「おかしいわね。このワゴンに置いておいたわよ。チョコレートを入れる用のお皿を取りに行ってるうちに一体どこへ……」
「……ねぇ、見てあそこ。机の下」
「え?」
「シルフィー様が隠れてチョコレートを食べているわ」
「全然隠れれて居ないけれど……」
「でも何だか幸せそうね」
「そうね、お花が散ってる幻影が見えるわ」
「あら、でも今チョコレートを食べて顔をしかめたわ」
「苦手な味だったのかしら」
「残りのチョコレートの匂いを嗅いで蓋を閉じたわ」
「……残り4つしかなかったわね」
「ええ。でもアルフォンス殿下は、シルフィー様に甘いですもの。お叱りを受けるのは、ワゴンから目を離した私たちで十分よ」
「怒られなかったわね」
「寧ろ大笑いされたわね」
「今度机の下に隠れてチョコレートを食べるシルフィー様が見たいと言っていたわね」
EPISODE2
「あら?」
「どうしたの?」
「こんなところに香水が……。これはアルフォンス殿下の香水ね」
「そうなの?この間シルフィー様がそこに隠していたからてっきりシルフィー様のものだと思っていたわ」
「一体どうしてこんなところに?」
「…………私はなんとなく想像がついたわ」
「なに?」
「ほらシルフィー様ってアルフォンス様が大好きじゃない?」
「そうね」
「で、シルフィー様ってアルフォンス様の匂いも大好きなのよ」
「そうよね」
「だから、アルフォンス様が香水をつけないように隠したんじゃないかしら」
「…………納得してしまったわ」
EPISODE3
「あら?」
「どうしたの?」
「ココアとコーヒーが入れ替わっているわ。ラベルを剥がしていた跡があるわね」
「そう言えば、シルフィー様が瓶を抱きかかえて何かしていたわね。」
「コーヒーとココアって色や匂いが全く違うからすぐに気づいてしまうのだけれど……」
「シルフィー様にコーヒーを入れてもいいのかしら」
「でもそれならば、シルフィー様は素直にコーヒーが飲みたいと言うのではないかしら」
「確かにそうよね。では逆にアルフォンス殿下にココアを飲んで欲しいのでは?」
「……そういう事だと思うけれど、その理由が分からないわ」
「そうよね。私たちにシルフィー様の崇高なるお考えが理解出来る訳ないわ」




