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001、前世の記憶

こんにちは、ちぇしゃです。

不定期ですが、小説を投稿していきたいと思います。

長い目でお付き合い頂けると嬉しいです。

 これは、現代日本で、有栖川桜として生きた記憶。


 私は3歳の頃に、事故で両親を亡くした。幼いため、ほとんど両親の事を覚えていなかった。私に親族が居たのか分からないが、私を引き取ってくれる人は当時いなかった。その為、私は養護施設で育った。初めの頃は泣いてばかりだったと思う。両親が亡くなったのは幼心でも理解していたが、受け入れることは簡単ではなかった。しかし、この養護施設ではそういう子どもが沢山いた。自分だけではない。自分より小さい子どももいた。そう思ってから泣くのを我慢するようになった。


 私は人よりわがままを言わない子どもだったと思う。可愛げのない子どもだっただろう。もしくは手がかからなくて楽な子。しかし、養護施設の先生は可愛がってくれた。養護施設は人が多く、賑やかだった。皆がいるため日々を過ごす事は寂しくは無かった。けれど皆、言葉にはしないが、親の愛情を求めていた。それは当然だろう。私も求めていたように思う。


 初めの頃には何をするにも両親を思い出した。食事をする時、外で遊ぶ時、絵本を読む時、眠る時。その度に涙が出そうになった。

 

 小学生になり、学校に行き始めると仲の良い友達も増えた。女の子の友達とは休日によく遊ぶ仲になった。しかし、私は背が小さくて、よく男子にからかわれていた。その為、男の子と接するのが少し苦手になった。参観授業では、両親がいる人が羨ましかった。


 高学年になってから何度か告白された。けれど、私にはよく分からなかった。恋愛の好きって何なのかよく分からない。友達を好きな気持ちと同じだとダメなのかな。私は、両親が早くに亡くなったから、愛情がどんなものかあまり知らない。知っているのは両親の声と温かい手。それが愛情というならそうかもしれないけれど、愛情は目に見えないから分からない。


 私が『ここ』に来るきっかけになったのは小学5年生だった。学校へ行っている途中に事故に合った。トラックの居眠り運転だと思う。急にトラックが信号を無視して、私達の方へ突っ込んで来た。幸い私はトラックが直接ぶつかる場所にはいなかった。けれどその先には年下の小学生がいた。その子は両親もいる。もし死んだら、その子の両親も悲しむ。そう思ったら、その子を突き飛ばしていた。勢いよく遠くにつき飛ばしてしまったから、もしかしたらその子は軽い怪我をしてしまったかもしれない。でも、死んでしまう怪我ではないだろう。これで、その子がトラックに引かれて死ぬことは無くなった。安堵すると同時に激しい音と、衝撃が体を襲った。きっと私はそこで死んだのだろう。


 その子のためなら自分はどうなってもいい、というような自己犠牲のつもりは無かった。ただ、親子が離れ離れにされるのはもう見たくないという、自身の欲のためだった。


 願うならもう一度、両親の手の中で眠りたい。


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