176、私の帰る場所はここです
今日もお城に泊まることになり、メイドさんにお風呂に入れてもらいながら、考える。私が出すべき結論は一つしかない。それは分かっているけれど、このように時間を作ってもらったのは、ただの時間稼ぎだ。私が結論を出してしまえば、二人は消える。あまりに急すぎて心が追いつかない。
もう、それ以外の道はないと分かっている。
悪魔が蘇る事以外で、私が愛を知らない事で何か困るだろうか。
私の『心』がないまま。
それならそれでもいい。だって、それが今の私だから。だったらやっぱり私の心はないままでいいんじゃないかとすら思う。けれど、そうなると、悪魔が……。私の大好きな人達が傷つく結果になるなら、私はそれを見過ごせない。例え、もう二度とお父さんとお母さんに会えなくても。
私はこの世界に転生して、大好きな人が沢山出来た。それはお義父様とお義母様も含まれている。お父さんとお母さんも。失いたくないのに失わなければならない。私に『心』を返すという役目が果たせないままなら、ずっとずっと一緒にいられる。本当ならそうしたい。けれど、出来ない事はもう自分でも分かっているから。
元々は再び出会う事が出来ないはずの存在だった。だから、今の状況がおかしいのだ。元あるべき形に戻るだけ。分かっている。分かっているのに。
「離れたく、ないなぁ」
ポツリとつぶやく私の言葉はシャワーの音に消され、メイドさんに届く事はなかった。
本当は会えるはずが無かった。2人との再会なんて本当は出来なかった。ただ、私より前のシルフィーが『心』を消したからこそ、私は2人と再会できた。喜ばしい事だ。けれど、こんなにすぐ別れないといけないのなら再会なんてしたくなかった。
………ううん、違う。
何度思い返したって、この再会を後悔なんて出来ない。だって私は嬉しいのだ。死ぬ前に願った願いが叶ったから。
もっともっと早く気付けばよかったのだ。ずっとずっとこの世界に転生してからも近くにいてくれた。今まで気づかなかった私が悪いのだ。もっと早く気付いていれば、2人と一緒に過ごす時間は沢山あった。ヒントは沢山あったのに。悪魔が弱ってる時にもっと沢山やりたい事をしておけばよかったのだ。2人に言いたい事も沢山あったはずなのに、今となってはもうそれは叶わない。やりたい事だって沢山あったのに。これからもっとたくさんしたかった事ももっとしておけばよかった。
今がお風呂で良かったかもしれない。だって、涙すらも水と一緒に流れていくから。
なぜ泣いているかのが分からない。この涙は再開への喜びか、別れの悲しみか。
きっと私は理由を見つけているのだ。理由というよりは、言い訳かもしれない。自分への言い訳。2人と別れる事を自分なりに理解しないといけない。だからこその言い訳。
本当なら別れたくないと泣き叫びたい。思いっきりすがりつきたい。けれど、それは叶わないと分かっているから、だからこそ私は必死に言い訳を探している。2人と離れなければならない言い訳を。
ずっと一緒にはいられない。それは分かっていたことだ。
ただ、少し時期が早かっただけ。別れの時はあっという間にやってきた。ただそれだけ。
私はシルフィーだ。もう桜じゃない。だから、この運命を受け入れないといけない。確かに私は桜だったかもしれないけれど、この世界に転生してからもうシルフィーとして生きている。
悠里ちゃんと再会した時だって、結局私達はソフィアとシルフィーとして生きていく事に決めた。
だから私はいつまでも前世の両親に縋っているわけにはいかないのだ。
手を伸ばせば届く距離にいるというのに、今の2人はひどく遠くに感じる。手を伸ばせば伸ばすほど遠くに離れていってしまうようだ。
つかめたと思えば、その手からすり抜けていく。そして、どんどん掴むのすら怖くなっていく。逃げられるのが怖くなって、私はもう手を伸ばせなくなっていく。
両親は引き止めたいけど、もう引き止められない。だって、困らせるから。ただでさえ今この現状が2人を困らせている。私が時間稼ぎをしてる事も2人は当然ながら分かっているのだろう。
もうどうしたらいいのか自分でも分からない。分かっているのに分からない。何もしたくない。ずっとこうやって膝を抱えてうずくまっていたい。全て、やってほしい。私がこの膝から顔を上げたら、全てが終わっていて欲しい。
私が決断なんか出さなくても2人の意思はもう決まってるのだから、終わらせてほしいとすら思う。
だって、私が決断をしたら、私が2人を突き放しているように思えるから。
体を清めた後、メイドさんが体を拭き、私はアル様の部屋に戻る。
そこには優しい顔をしたアル様がいた。
「おかえり、シルフィー」
「っ!」
何度も聞いている言葉なのに、その言葉を頭の中で復唱する。
『おかえり』
この言葉がひどくしっくりきたからだ。そして、自分の中で気付いた。私はここが自分の居場所だと分かっているのだ。だって、さっきも無意識にただいまと言いそうになった。アル様の腕の中が私の居場所なのだと本能で理解していた。
「ただいま、戻りました」
頭の中で考えていた言葉をそのまま返すと、先程まで沈んでいた気分が浮き上がったのを感じた。
そうか、私はシルフィーだ。ここが私の居場所なのだ。
先程までは必死に自分にいい聞かせていたというのに、今はすんなりと自分の中に入ってくる。
私はもう大丈夫かもしれない。だって、私の居場所はここにあるから。
例え両親がいなくなったとしても、私は大丈夫。この世界で生きていける。もちろん2人がいなくなるのはひどく寂しく、悲しい。その事実は変わらない。出来る事ならば、この先もずっとずっと一緒にいたい。
でもそれが叶わないと分かっているから。
離れたとしても私は大丈夫。
だって、私の傍にはこの温かい人が一緒にいてくれるから。だからこそ、私はもう決断しないといけない。
明日話そう。
………ううん、今から話そう。
決断が鈍らないうちに。自分の気持ちを言えそうな今のうちに。
不思議だ。私はさっきまでどうやって時間稼ぎをしようか考えていたぐらいなのに。今は酷く心が凪いでいる。きっと私は悪い事があるとどんどん暗くなっていく。でも、反対に嬉しい事があれば気持ちもどんどん上がっていくのだ。だから、悪いことは考えない。その方が悪魔も弱っていくだろうから。
大丈夫。この世界は、もう十分私を幸せにしてくれた。だからもういいのだ。
でも、これは諦めではない。今まで私を愛してくれた世界への感謝だ。
「アル様、少しお話をしてきます」
温かい腕の中から体を起こし、そう呟く。
「今から?」
アル様は不思議そうに返すけれど、私は迷わず頷く。
「はい、今からです」
「そう。大事な話なんだね」
「はい。とても」
私が笑うとアル様も笑ってくれた。悲しい別れをしに行くはずなのに、私はもう大丈夫だと感じた。1人じゃないから。
「ちゃんと、帰ってきてね」
アル様は、この言葉を何気なく言ったんだと思う。けど、私はこの言葉が本当に嬉しかった。だって、私の居場所はあると、また教えてくれたから。
「はい、絶対帰ってきます」
だって、あなたの傍は私の居場所だから。
「大好きです、アル様」