172、この回答は予想外でした
お母さんが優しい手で背中を撫で、お父さんが力強い手で私の頭を撫でる。そろそろ戻らないといけないという事は分かっていても、離れがたい。
アル様もそろそろ仕事が終わるだろうし、私も寝る準備をしてアル様のところに行かないといけないという事は分かってるけれど、それでもこの2人と離れる事がひどく寂しい。
分かっているのだ。別にこの人達と一生会えなくなる訳ではない。同じ建物の中にいられるし、すぐにまた城に来れば会える。結婚すれば毎日のように会える。分かっているけれど、今離れたくないと感じている私がいるのだ
もう話は終わったと分かっているけれど、この優しい手、力強い手を払う事は出来ない。2人も同じ気持ちでいてくれるだろうと信じる事が出来るから、余計に離れられない。
それでも2人がここにいる事は本当に奇跡なんだと知っているから。
私とソフィアの予想では、小説の中で2人はいなかった。登場すらしなかった。もしかしたら2人は亡くなっていたのかもしれない。
その可能性を私とソフィアは感じていたから2人に何かあると思っていた。
結果的にそれは転生者で私の両親だった訳だけれど。それは嬉しい誤算だった。
2人が私と同じように転生者だという事が分かった。転生者だからこそ、小説の彼らとは違う思考をしているから、物語が変わるのは不思議ではない。私だってそうだったから。私やソフィアは小説のキャラクターであるけれど、同時に、それだけではない、桜と悠里という人物が中に入っている事によって、私達は純粋なシルフィーとソフィアではなくなった。それによって本来の小説の人物と異なっている。だからこそ物語も大幅に変わっていた。私とソフィアが変えた物語のシナリオは数えきれない。中でも、私が変えた一番のシナリオはアル様との関係。そしてソフィアが変えた一番のシナリオは光の魔力を持つということを公表しなかった事。
それらがもたらす影響はきっと数えきれない。
だからこそ、目の前にいる2人もシナリオを無意識とはいえ大幅に変えている可能性がある。
「そういえば、お父さんと、お母さんって、何か危険な事なかった?」
それでも不思議だった。2人が生きていた時代の日本には、あの小説はなかったはずなのに。2人は物語を知らないはずだったのに。もし私とソフィアの予想が正しければ、どうして2人はこうして生きていられるのだろうか。転生者という事を抜きにしても、2人は小説を知らないはずだから、シナリオを変えようと動く事は出来ないはずだ。2人にとってはここは純粋なる現実だから。
小説ではレオン兄様が……、いや、アル様が王様だったのにそれが覆ってるという事はきっと2人が何かしたのだろう、そうとしか考えられない。
「んー?」
顎に手を当てて考え込んでいるお父さん。目元が赤くなっていても、顎に手をつけ、考え込んでいるその姿は様になっている。
前世のお父さんは特別格好いいという訳ではなかったけれど。優しさがにじみ出ていた。今のお父さんは優しいのはもちろんだけれど、かっこよさの中に威厳がにじみ出ている。
きっとアル様が大きくなったらこんな姿になるのだろうな、とすら思う。
「覚えがないなぁ、具体的にはどんな事だ?」
確かに私の質問では、時期も何もかも分からないし、曖昧な問いだったろう。でも私も実際よく分かっていないのだ。いつ頃に何があったか全然覚えていない。少なくとも小説では私が8歳の時に、国王が私とアル様の婚約を決めたはずだから、その時までは生きているという事。つまり期間としては7年前から現在までの間だろう。
取り敢えず期間を告げるけれど、それでもよくわからない様子だ。少なくとも私がどういう事件という風に細かく分かっていれば、当てはまるものもあるのだろうけれど、危険という事しか分からないから、お父さんもどのことを指しているのか分からないのだろう。
「お父さんとお母さんはこの世界が小説の世界だって知ってる?」
「え?小説?」
私の問いに、お母さんも質問で返す。きょとんとしている顔はこの世界が小説の世界だと知らなかったのだろうか、…いや、知るはずがない。だって先程言ったように2人が死ぬ時にはこの小説は出ていなかったはずだから。
でも、
「この世界は小説の世界じゃないわよ?」
というお母さんの言葉に私の方がきょとんとしてしまう。
「え?」
だって、この世界は『ソフィアと恋の物語』っていう小説の中の世界でしょう?私は知っているのだから。悠里ちゃんから小説を借りて読んでいるのだから、知っている。ソフィアだってそう言っていた。2人は小説を知らない。だからそう言うのも分かるけれど、お母さんの表情はそれだけではない気がした。
「どういう事?」
「それも含めて説明するわね」
その言葉を聞いてやっぱりお母さん達は全てを知っているのだと感じた。お母さんだけではなく、お父さんも同じように覚悟を決めた表情になっていたから。それと同時に私は逃げたくなった。この先の話を聞きたくない、聞いたら後悔する。聞かない方がいい。逃げた方がいい。
私の中の勘がささやく。理由はそれで十分。
どうやって逃げようか。
そればかりが頭を占める
先程までは離れたくなくて離れられなくて、どうすればずっと一緒に居れるか。そればっかり考えていたのに。今は180度違う事を考えている。
だって聞いたら一緒にいられない気がするから。ずっとずっと一緒にいたいのに、それを聞いてしまうともう一生会えなくなってしまうような気がする。お別れの時間が来てしまう気がするから。
私の逃げの姿勢に気付いたのか、お父さんは私に微笑みかける。有無を言わせない笑顔とはまた違う、本当に優しい笑顔。小さい頃にいつも見ていたお義父様の笑顔だ。
安心する、優しい笑顔
その笑顔を見て、私はいつの間にか逃げの姿勢を解いていた。気が付けば再びお父さんの腕の中に吸い込まれていた。
まるで甘い誘惑のようだ。行ったら後悔すると知っているのに、つい行ってしまう。無意識のうちに吸い込まれてしまう。逃げ道を塞がれてしまう。この笑顔には勝てない。だって、その笑顔は小さい時からずっと見てきた、優しい顔であり、いつも身近で見ているアル様と同じ笑顔だから。心から私の事を愛しいと思ってくれている、そんな笑顔。
だから私は安心した。その笑顔を見られたという事は、きっと2人は私を傷つけるつもりはない。傷つけたとしても、それは2人の本意ではない。それが分かったから。
自分が今、真理に迫ろうとしている事が分かる。ずっとずっと避けてきた。
『もう逃げない』
そんな意志を込めてお父さんの腕の中から出る。そして2人に向き合う。
聞きたくない、逃げたい、怖い
そんな感情が渦巻くけれど聞かないといけないと分かっている。今度こそ逃げずに聞かなければならない。後悔すると分かっていても逃げられないから。
分かっている。もう時間がないのだ。2人が話すのはきっと私のため。
私が我儘だから、きっと2人は今まで先延ばしにしてくれていた。今の時間が心地よかったから。大好きな人と一緒にいられる時間が愛おしかったから。何も知らない能天気な私でいたかったから。だからずっとずっと好きなようにしてきていた。
私はいつだって待っていた
お父さんとお母さんが私に真実を打ち明けてくれるのをずっとずっと待っていた。けれど、本当は逃げていたんだ。
私は真実を告げられるの、ずっとずっと待っていた。でも、そうじゃない。本当は自分から告げるべきだった。自分から言うべきだった。タイミングなどと言って誤魔化してきたけれど、本当はずっと逃げていた。怖かった。
お父さんとお母さんと話をすればこうなると分かっているから。真実を突きつけられると理解していたから。だからこそ私は今までずっと逃げてきた。本当ならずっとずっと前にお父さんとお母さんに出会えていたはずだった。それを先延ばしにしたのは自分だ。私は自分の弱さから逃げた。
「ねぇ2人は何者?」
ソフィアと共に抱いた疑問。それを今、2人に告げる。
きっと私が願っている回答と2人が答える回答は違うだろうけれど、私はどうしても2人に普通の人であってほしかった。転生してると言う時点で普通ではないかもしれないけれど、それでも私にとっての普通であって欲しかった。でもそれはきっと叶わない事だとどこかで分かっていた。
2人が普通ならば、私達はもっともっと一緒にいられる。ずっと会いたかった前世の両親とこれからも一緒にいられる。一緒に暮らせる。
2人はなんて答えるだろうか。この小説をずっと昔に書いた人?この世界にも他に転生者がいて、内容を教えてもらった?
なんて答えるだろうか。私が納得できるものだと良いけれど。
でも。
「分かりやすく言うと、神様みたいなものかしら」
この回答は全くの予想外だった。