171、桜の両親
「二人は、私の事を恨んでる?」
恨んでいないとわかっていても、思わず聞いてしまう。もしかしたら、本当は心の奥底で私のことを憎んでいたのかもしれない。自分の死の原因となった存在に対して何も思わないなんてあるのだろうか。
2人は、私のせいで死んだ。それは抗いようのない事実だ。
あの日、私が2人を買い物に連れて行ったから。欲しいおもちゃがあるなんて、我儘を言ったから事故にあった。信号無視した車と衝突してしまった。あの日、私が我儘なんて言わなければ二人は出掛けずに済んだ。事故に遭わないで済んだ。……死なないで済んだ。
全部私の我儘のせい。
私を恨んでいるかもしれない
だから、私に正体を明かしてくれなかったのかな。
もう、私の事なんて、忘れてしまったのだろうか。
そう感じることだってあった。
でも私は、嬉しかった。二人が『桜が好き』と言ってくれたことが。5年前、2人はこの桜の木を取り寄せてくれた。それが本当に嬉しかった。だって2人は桜は忘れていないということだから。桜の事を今も思い続けているという事だから。
数多くある木の中で桜を入れてくれた事が本当に嬉しかった。
今なお綺麗に咲き誇っている、桜の木。
この桜の木があったからこそ、私は2人の事を信じられた。信じ続けられた。
きっと2人は私の事を忘れてはいない。私の事を覚えてくれているって。
だからこそ。
「そんなわけ、ないでしょう!」
「そんなわけない!」
二人が真っ先に否定してくれた事が嬉しかった。2人は今日、私に正体を明かそうとしてくれた。
時間が迫っているという事もあるけれど、それでも私に言おうとしてくれたのだ。それも嬉しかった。結果的に私が待ちきれなくて自分から言ってしまった訳だけれど。
今までだってタイミングはいくらでもあった。お泊まりの日に言う事だって出来たのだ。私はお義母様と一緒に眠った事だってあるのだから。でも、きっとあの時はまだその時期ではなかったのだろう。
「あれは、あなたのせいじゃないわ」
「あぁ、あれは、お前のせいじゃない」
2人の表情はとても真剣で心からそう言ってくれてるのだとわかった。心の中でずっと渦巻いていた恐怖、それがずっと取り除かれていくのを感じた。
嫌われる恐怖、愛されない恐怖。
身近なものだった筈のそれらはどこか遠く、私の手の届かないところまで飛んでいくのを感じた。
私は幸せになる事がずっと後ろめたかったのだ。言葉では幸せだと言いながら、幸せになるのが怖かった。
人を殺しておきながら、自分だけ幸せになるのかと責められているような気がしたから。そんなこと言う人達じゃないと分かっていても、どうしてもそう感じてしまう。まるで自意識過剰だけれど、そう思い込んでしまうとどうしても考えを改める事が出来なくなっていた。
けれど、私は幸せになっていいのだと自分にいい聞かせていたかった。幸せかと聞かれる度に幸せだと答えていた。もし私が幸せではないと答えると悲しい顔するのは私の周りの人だ。だからいつも言葉では幸せだと言っていた。私は自分でも幸せだと感じていたのだけれど、幸せだと呟いた後どうしてもモヤモヤしてしまう。何かに責められているような、そんな感じさえしてくる。
けれど、
『私達の愛しい子』
先ほどの2人の言葉が私の心を埋め尽くす。私は愛されていたのだと自信を持って言える。
ポロポロと止まりかけていた涙が再びこぼれた。
本当はもっともっと2人とやりたい事があった。一緒に買い物も行きたかったし、ご飯だって一緒に食べたかった。
夜だって一緒に眠りたかった。でもそれはどこまで叶えられるのか分からない。それに私はこの願いをどちらの両親に願ってるのか分からない。桜の両親か、それともアル様の両親にか。もし桜の両親にこの願いを感じているならば、この2人にお願いしても意味のない事だし、失礼だ。2人は確かに桜の両親ではあるけれど、それ以前にこの世界では、シルフィーの義理の両親だ。
だからこそ、私は桜の両親にこのお願いをしたかった。
「もっと抱きしめて」
ぎゅっと私を抱きしめてくれている2人に更にお願いをする。
すると2人の私を抱きしめる手がさらに強まったことを感じた。苦しいとすら感じるけれど、今はそれがとても心地よい。
力強い手はここに存在してるという事を証明してくれているようだ。
ずっとずっと言いたかった。
「ありがとう」
桜を産んでくれた事、愛してくれた事。守ってくれた事。生かしてくれた事。全部全部
「ありがとう」
いくら言ったって足りない。2人が私は産んでくれなければ私は存在しなかった。
そして、桜という名前を付けてくれた事。
桜という名前だから、桜が好きになったのか、それとも桜が好きだから、桜という名前がもっと好きになったのか。
順番は分からないけれど、私に桜という名前を付けてくれた事。それが本当に感謝でしかない。
そして両親の好きなものの名前を私に付けてくれた事。2人が桜が大好きだと言っていた。その大好きなものを私に名付けてくれた事。本当に本当に嬉しかった。まるで私が宝物のようだった。
「ありがとう」
ありがとう、ありがとう。いくら言ったって足りない。
桜を大事にしてくれた事。そしてシルフィーを大事にしてくれた事。2人はきっと私が桜だという事に気付いていた。それを踏まえて私に優しくしてくれたのかもしれない。それでも私を大切にしてくれていた事実は否定しようがない。2人からの愛は私に届いていたのだから。
「ありがとう」
壊れたようにひたすらありがとうを繰り返す。
「ありがとう」
再び出会えた
「ありがとう」
歌を歌ってくれた
「ありがとう」
魔法の呪文を教えてくれた
「ありがとう」
私にたくさんのものを残してくれた。2人が形作ってくれたものが今でも私の中に残っている。そしてそれは私だけではなく私と触れ合った、多くの人の中にも残っている。
私達の間に暖かい風が吹きぬける。寒い季節なのにとても温かくて優しい。まるで春の訪れを告げているようだ。
のそのそとお互いゆっくりと、手と体をはなす。
お父さんとお母さんの目は真っ赤になっていて、それを見て、きっと私の目も同じようになっているのだろうと感じる。
「ごめんなさい」
2人が恨んでいない事はもう分かってるけれど、それでもこの言葉を返したい。
けれど、お父さんとお母さんは首を横に振る。
「私達こそ謝りたいわ。まだ小さかったあなたを残していくのがどれだけ、悲しかったか。だからこそ、あなたを見つけた時、すごく嬉しかったの。まっすぐ、元気の育ってくれていて、本当に嬉しかった」
まっすぐ元気に。
そう育ててくれたのは私の周りの人。私が元気に過ごせていたのは、私の力じゃない。私1人ではどうにもならなかった。
私がそう育ったのは私の周りの人もそうだったから。家族も友達も婚約者もみんなみんな温かい人だったから。
「あのお父さ…。お義父様、お義母様」
お父さん、お母さんと呼びそうになって思わず直す。お父さんとお母さんでもいいとは思うけれど、呼び方に正直困ってしまう。桜の両親である事は確かだけれど、それ以前に2人はこの国のトップだから。気軽にお父さん、お母さんなんて呼んでいいのか分からない。
「私達の事は呼びやすいように呼んでくれていいわよ」
でも、当の本人達が好きなようにと言ってくれるから
「…じゃあ、お父さんと、お母さんがいい」
どうしてか分からないけど、もう呼べなくなる気がするから。今しか呼べない気がするから。
「この世界で言うと、お父様と、お母様じゃないのか?」
お父さんが首をひねりながら、私にそう尋ねる。確かにそれも間違っていない。この世界で両親の事をお父さんお母さんという貴族なんていないと思う。けれど
「……それはだめ」
「?」
お父様とお母様。そう呼んでもいいのかもしれないけれど、呼ぶ事は出来なかった。お父さまとお義父様、お母様とお義母様は違う。読み方は同じでもそこに込められている意味は違う。
「だって、私にとってのお父様とお母様は、フィオーネ公爵家のロイドお父様とティアラお母様だから」
だからだめ。それは、どうやっても譲る事は出来ない。こんな事言ったら2人は嫌な顔するかなと思ったけれど、そんなことはなかった。
「ふふ、シルフィーは、二人の事も大好きなのね」
「うん」
だって、この世界で、今まで私を愛して、育ててくれたのは、間違いなくフィオーネ公爵家の皆。だから、私にとっての『お父様』と『お母様』は一人ずつ。反対に。『お父さん』と『お母さん』だって、いつも一人ずつ。
……お母さん像はソフィアだけどね。