170、お義父様とお義母様と、お父さんとお母さん
「お義父様とお義母様は、私のおとうさまと、おかあさまなの?」
思わず、考えもせずに言葉が飛び出してしまった。
「?」
私がそう聞くと、二人は、顔を合わせて、頭にはてなを浮かべながらも、頷いた。
「そうよ?シルフィーがアルと結婚したら、私達の義娘になるのよ?こんなに可愛い義娘が出来るなんて嬉しいわ!」
「ねー」と、お義父様とお義母様は顔を合わせながら微笑む。その笑みは本当に私を心から迎えてくれている様で、嬉しくなる。2人からすると、「何を今更」という感じだろう。私達の婚約は12年も前から決まっていた。今更破棄をする理由なんてない。理由も無しに破棄をする必要は無い。となれば、2人が私の義理の両親になる事は確認しなくても確定していることだろう。勿論、何も無ければ、だが。
でも、そうじゃないの。確かにお義父様とお義母様の言った事は間違っていない。間違ってないからこそ違うと言える。
私が2人に伝えたい事と、2人が私に伝えたい事は同じはずなのに、話を逸らしているようにすら感じるのは、私の気のせいだろうか。私が焦れているだけかもしれない。もしかすると本当は2人とも話すつもりはないのかもしれない、とすら思う
けれどそうじゃない。
きっと2人は話すつもりだからこそ、私をここに呼んだのだろう。『ここ』に。
『桜の木の下』に。
大事な話をするならば、執務室やサロンでも良かったはずだ。寧ろそこの方が静かに話をする事が出来る。けれど2人はわざわざここを選んだ。ひと払いまでして。
普段のここは多くの人で賑わっている。桜の木はとても綺麗だから休憩時間に休みに来る人も少なくはない。けれど、今ここにいるのは私達3人だけ。いつもなら考えられない。
だからこそ、私は2人が話すつもりなのだろうと感じた。
「私も2人の娘になるのはとても嬉しいです」
私のその返答は間違っていなかったのか、2人の顔がふわりと緩んだのがわかった。
「よかったわ。今更アルとの婚約を破棄したいなんて言われたらどうしようかと思ったわ。もう誰も手放すつもりはないもの」
けれど、私はお義母様の返答に少し怯んでしまう。手放すつもりはない。つまりアル様との婚約を認めてくれているという事だけれど、その場合、アル様が好いた人を見つけたらどうするのだろう。婚約発表しても良いのだろうか。させてくれるのだろうか。でもそれはアル様次第だろう。少なくとも私は2人の娘になれてとても嬉しいのだから。
私の、桜の願いが叶うかもしれないのだ。………いや、もう叶っている。
きっと二人は
「二人は、私の、『お父さん』と『お母さん』なの?」
私は先程と似たような、けれど、確実に違う質問を2人に繰り返す。
2人が目を見開くのが分かる。
本当は2人が話すのを待った方が良かったのかもしれない。2人は心構えをしていただろうから、きっと話してくれたけれど、私は待ちきれなかった。今まで散々待ったのに今この瞬間待ちきれなくなってしまったんだ。
2人がまた2人でいること。それはどれほどの確率なのだろうか。奇跡と言っても間違いはない。
私とソフィアが2人とも生まれ変わり、同じ世界、同じ時代を同じ年齢で生きていること。
私とリヒトが時を越えて共に生きている事。
そして転生している事。記憶がある事。
私とソフィアが生まれ変わってるのだから、さすがにもうないだろう。
リヒトと再び会えたのだから、もうこのような奇跡は起こらないだろう。
ひたすら自分にそう言い聞かせ続けた。だって、信じられるはずがない。2人がまた2人として私の目の前で生き続けているなんて。とっくの昔に諦めたはずだった。
彼らとはもう会えない。会えるはずはない。私のせいで離れ離れになったのだから。
でも、本当は諦められなかった。ずっとずっと予感は感じていた。
けれど、そうだと認めたくなかった。
でも、
信じたかった
初めて二人に会った日。緊張もしたけれど、懐かしさも感じた。それが何なのか、あの時は分からなかったけれど、今なら分かる。
抱きしめられたら安心した。懐かしい匂いがした。
私がアル様と婚約を結んだのだって、本当の理由は――……。
「アル様に魔法の呪文、教えたでしょう?」
『怖いの怖いのとんでいけ』
あれは私が―…、桜がお母さんに教えてもらった呪文。私はお泊まりの時、アル様からこの呪文を教えてもらった。けれど、本当はずっとずっと前から知っていたのだ。アル様からこの呪文を聞いた時、私はとても嬉しかった。ああ、2人はまだ生きているんだ。忘れていないんだ。
あの時の私の喜びはどうやっても表しきれない。
私はあの時、シルフィーとして生きていく覚悟を決めていたけれど、それは前世の事を忘れられる分けではない。前世の事は関係ない、忘れなければならない。そう、自分に言い聞かせていた。
そんな時に私はあの言葉を聞いたのだ。思わず泣きそうになった。まるで迷子の子どもが母親を見つけたようだった。
「歌も、歌ってくれたでしょう?」
『空の月夜』
この世界にあの歌がある事が奇跡だと感じた。あれは偶然ではなかった。きっと二人が伝えたのだろう。知っている歌が身近で感じられる。それがどれほど嬉しいことか。
全く知らない世界に放り出されて、そんな時に聞かされたのがこの歌だ。
初めて歌ってくれたのはお姉様だったけれど、それでも嬉しかったのだ。思わず泣き出してしまったのも仕方がないと思う。
この歌は私の大きな支えになっていたのだ。
城に来た時にも、何度か聞いた。男性と女性の歌声。あの歌声は2人のものだったと今ならはっきり分かる。あの歌声は決して大きな声で歌ったものではないはずのに、私の耳にはやけにはっきりと聞こえた。それは2人が歌ったからだろう。私の大好きな歌が大好きな声で聞こえた。
お義母様と一緒に寝た時に、歌ってくれていたのを知っている。あれはまるで子守唄のようだった。あんなに安心するような歌声を後にも先にも2人しか知らない。
大好きな、大好きな二人。
会いたくて、会いたくて、会うのが怖かった。
「あなた気付いて…?」
お義母様が驚いて目を見開く。お義父様が無意識に私の方に手を伸ばす。
「うん」
私がアル様と婚約を結んだ理由。それは、いわば、運命だったのかもしれない。どこかでそうだと知っていたからかもしれない。アル様の両親は私の―…、桜の両親だと予感していたから。
アル様に対しての好感が全くなかったと言えば、それは嘘になる。いくらアル様の両親が桜の両親といえど、全く好感を抱いていなかった人と婚約なんて結べるはずがない。
私が婚約を結んだ時、まだお義母様に会った事がなかったけれど、お義父様とは会っていた。私はその時、お義父様は桜の父だと予感していた気がする。昔のこと過ぎて確信を持てない。
けれど、全ての事は繋がっているから、偶然なんてないから、きっとこれは運命だったのだろう。
私は無意識下で彼らが自分の両親だと確信していた。無意識下で確信を持つとは、自分でもよく分からないけれど、でも本当にそういう感じなのだ
「ねえ、お父さん、お母さん、私の名前を呼んで」
2人がつけてくれた名前。私の、大好きな2人からの最初の贈り物。2人にもらった『もの』はこの世界には何も残っていないけれど、この桜という名前だけはずっとずっと残っている。私はシルフィーだけれど、私の中にずっとずっといる。今も唯一残り続けている大切な大切な贈り物。
「「さくら」」
アル様の両親は、私の―……、桜の両親に間違いはない。
疑いながらも確信を持ったように2人の呟きが重なった。震える手を握りしめている2人は、なんだか痛々しい。何かを我慢しているようだ。
これほどの奇跡があるのだろうか。
私の身の回りには奇跡が起こりすぎている。
私が、この世界に転生した事もそう。運が良すぎると思う。どうしてこんなに、運よく『この世界』に転生したのだろうか。どうして、私以外のみんなも、私の身近な存在に転生しているのだろうか。
……。
今はそんな事、どうでもいい。
今は、喜びを感じたい。
だって、二人の表情を見れば、私との再会を喜んでくれているのは分かるから。
「桜…」
「さくら」
お義母様は、目に涙を浮かべている。
「お母さん」
お義父様は、唇をかみしめている。
「お父さん」
私の事を恨んでいるはずなのに。私のせいで死んでしまった二人は、きっと私の事を恨んでいる。我儘ばかりを言う、幼かった私を恨んでいるはずだった。
「桜!」
「桜…っ!」
二人は、何かがあふれ出したように、何度も、何度も何度も私の名前を呼ぶ。
でも、二人の表情を見れば、今は喜んでくれているのはよく分かる。
会いたくて、会いたくて、会うのが怖かった。でも、今は、抱きしめてほしくてたまらない。
「お父さん、お母さん。ずっとずっと、言いたかったの」
私、こんなに大きくなったよ。私は、シルフィーで、桜ではないけど。でも、大きくなったよ。
「大好き、だよ」
お願い、抱きしめて。
そんな願いを込めて二人に告げる。両手を二人に伸ばすと、勢いよく、二人が私を抱きしめてくれた。強くだきしめてくれたおかげで後ろに倒れそうになったけれど、そんな私をお義父様が支えてくれた。
おかしいな。二人の顔をもっともっと、よく見たいのに、なぜかよく見る事が出来ない。
「……っ」
もう一度、大好きだよと言いたいのに、のどが震えて声が出ない。
お義母様が私の目元をぬぐってくれたおかげで、私が泣いている事に気づいた。
でも、二人だって涙を流している。
「本当は…、私から言うつもりだったのにな」
お義父様が鼻をすすりながら、告げる。
「……」
知っていた。でも、私が我慢できなかっただけ。だって、もう時間がない気がしたから。
私のこの勘が外れる事はないと感じた。
お義父様から抱きしめられるのは初めてかもしれない。大きい体は私の全身を包み込む。それはとても安心して、力が緩む。
アル様とはまた違う感覚。
「私の、私達の愛しい子」
はっきりと告げられたその言葉は、私の心の奥底に澄み渡っていく。
私は、愛されていた。
子供は愛の結晶だというけれど、私は今までそれを実感する事が出来なかった。でも、今、それが分かった。こんなにも、私と会えた事を喜んでくれて、抱きしめてくれて、愛を伝えてくれる。
「……っ、」
怖くて、怖くて会いたかった。
ずっとずっと、怖かった。2人は私が桜だと気づいていると感じていたけれど、隠す気はないと感じていたけれど、怖かった。
もし、恨み言を言われたらどうしようと思っていた。私が我儘を言ったせいで、事故に巻き込まれてしまった。そう、言われたらどうしようかと思っていた。私への愛がなくなっていたら。
今まで私に正体を明かしてくれなかった理由が、私に知られたくなかったからだとしたら。私に、会いたくなかったからだとしたら。
だって、12年も経っている。私達が再び出会ってから、12年も経っている。それまで言ってくれなかったのは、明かしたくない以外の理由が見つからない。
私から告げる事も出来なかった。拒絶が怖くて、勇気が出なかった。
今のままの優しい時間が続いてほしかったから。何かの拍子でボロボロと崩れてしまうのが怖かった。
でも、それが杞憂だと分かって、本当にうれしかった。
拭っても拭っても零れ落ちる涙に、いつしか拭うのをあきらめた。私の涙は、お義父様とお義母様の洋服にしみこんでいっている。申し訳ないと思いながらも、離れたくない。二人が私を抱きしめている手も、私が二人に縋りつく手も離さない。
「ずっと、」
お義母様がそっと、つぶやく。
「ずっと、心残りだった。あなたが無事なのはわかっていたけれど、私達がいなくなってから、どうやって生きているのだろうって」
二人がいなくなってから。それはとても寂しくて、悲しくて。
心が空っぽになったかのようだった。実際、空っぽになったのかもしれない。
でも、もういいの。だって私は、もう。
「幸せだから」
この世界に転生して、私はとってもとっても幸せだ。だから、もういいのだ。