161、私に出来る事をしました
全てを消し終わった時、いや、私の中に取り込み終わった時、風が止んだのを感じた。
きっと私の集中力も切れたから魔法も消えたのだろう。
ふとソフィアの様子を見てみると、起きてはいないけれど、まつ毛がぴくぴくと動いたような気がした。さっきまで全く動かなかったソフィアを思うと、これでいいのだと感じた。目が覚めるのだと感じた。
ソフィアが黒いモヤに飲み込まれるような事が、これで無くなったと思う。安心感からか、体の力が抜けそうになるけれど、なんとか耐え抜く。
私は大丈夫。私は大丈夫だけれど、もしこれがソフィアだったらと考えると、余計に苦しくなる。ぞっとする。私はこの黒い靄を体の中に取り込んでも平気だけれど、ソフィアそうじゃない。
きっと、もう少ししたら元の体に戻る。元の私の身体に戻る。
黒い靄がもう少ししたら消えるから。落ち着くから。
「シルフィ一体何が、?」
アル様達が、困惑したような顔で聞いてくる
「えっと、あっ」
そうだ、アル様達は何があったか分かっていない。分かってるのは私と恐らくレオンお兄様だけだ。
アル様の言葉に応えようとするけれど、込み上げてくる気持ちの悪さに再び目を閉じて口元を抑える。気持ち悪い、吐き気がする。
意識がないソフィアも、もしかしたらこんなに気持ちが悪い思いをしていたのかな。
「っ!」
もしかしたらソフィアが見た変な夢って、あれじゃないよね?
『お前はもう逃げられない。お前は誰からも愛されない、お前は誰も愛せない』
もし、そうなら。この夢を通じて黒い靄がソフィアの所に入り込んだとしたら。これから先、何度も続く事になるのだろうか。けれど、あの量の靄は、一日そこらの量じゃない。きっと、何日も、何か月も前から少しづつ、ソフィアの中に入り込んでいたのかもしれない。
どうやって?
思えば、レオンお兄様の時だってそう。あの黒い靄は、どうやってレオンお兄様の所に入り込んだのだろう。可能性としてはレオンお兄様を射った矢だけれど、矢を射った人達はこの黒い靄を従えていたという事?ということは、レオンお兄様の時と今回のは犯人は同じなのだろうか。だってこんな悪意の塊のようなものを作り出せる人が何人もいていいはずがない。
「大丈夫ですか?!」
私が大体何をしているのか分かっているレオンお兄様は、私と同じぐらい顔色悪くしながら私に問いかける。あんなもの見たら、そんな反応にもなるよね。
大丈夫です。少し気持ち悪いだけです。
そう言いたいのになかなか言葉に出す事が出来ない。
吐きそうだけれど吐かない。吐けない。
けれど、体も隅々まで溢れていた黒い靄はお腹のあたりにまとまり、少しずつ消えていくのを感じた。
「もう大丈夫かもしれないです」
「本当ですか?」
レオンお兄様は私が黒い靄を取り込んでいるところをしっかり見ていたようだから、こんなに心配してくれる気持ちはすごく分かる。けれど、大丈夫としか言いようがない。もう少ししたら黒い靄は全部消えるだろうから。
でも、とりあえず今は
「なんだか疲れました」
横になりたいです
なんだか自分でも驚くほど体力が削られてしまった。あの黒い靄に全部持っていかれたんじゃないかな?
こういう時、私を癒してくれるのはきっとディアナお姉様。
私はアル様の疑問に答える事も忘れ、ディアナお姉様に抱きつく。
「シルフィー?」
ディアナお姉様は心配そうな顔をしながらも私の頭をゆっくりと撫でてくれる。
なんだか嬉しくてぐりぐりと頭を擦り付けるとより一層いい匂いがしてきた。
「んんぅ」
ダメだ眠い。
「アル、シルフィーを休ませてあげてください」
やすんでいいの?やったあ。まだ朝で、起きてからごはん食べただけだけど、休んでいいの?
ちらっとアル様の方を見てみるとアル様は私の方を向いて両手を広げていた。これは抱っこの合図ですね。
では、遠慮なく。
「抱っこ……」
アル様の方に両手を伸ばすと、その手を攫っていつものお姫様抱っこをしてくれた。私を縦抱きにするか、今みたいに横抱きにするかはアル様の気分次第。
私的にはどっちでもいいのですよ。歩かなくて良いから楽ですもの。
しっかりとアル様の肩に顔を埋めて眠る体勢になる。本当はお部屋に入るまで我慢しようと思ったのだけれど、睡魔が私を襲ってくる。
私を抱きしめるアル様の手は何だかいつもと違って、ぎこちないような気がした。
私が、目を覚ましたのはその日の夜だった。
気持ち悪さも吐き気も全くない。しいて言えば、身体が少し冷えるくらいだ。しっかりと布団にくるまっているのに不思議。冷えるけれど、寒くない。自分でもよく分からない。
ふと、起き上がろうとすると、私の手が何か冷たいものを握っている事に気が付いた。
「アル様?」
その手はアル様だった。
私の左手を両手で包み、祈るように額に当てていた。その姿は私がアル様の名前を呼んでも変わらなかった。
いつもなら私が名前を呼んだら目を合わせてくれるのに、今はそれがない。返事すらない。初めての反応に胸がキシリと悲鳴をあげた気がした。
アル様が起きているのは確実なのに、私を一切見てくれない。
私の手を握るアル様の力強さから嫌われている訳ではないと確信するも、戸惑い、握り返すことをためらってしまう。
「全て……」
アル様がぽつりと呟いた
「全て、レオン兄上から聞いた」
その声は苦渋に満ちた声で、やっと絞り出したというように拙かった。
そんな声なのに、私はふと感じてしまった。
アル様はまた怒っている。あの時のよう。私が10歳の時、盗賊と戦った後のアル様。今でも覚えている。あの時のアル様は、なぜか小説を思い出してしまい、怖かった。
でも今は違う。アル様が怒っている理由を察し、怖いというよりも申し訳なさでいっぱいになった。
「どうしてそんな危険なことを?」
「危険?」
アル様の言葉を思わず繰り返す。今思うと、私はどうしてこの黒い靄を取り込んでも平気だと思ったのだろう。
「分からない」
ふと思い出してみると、私はどうしてソフィアが死ぬと思ったのだろう。どうして私だったら取り込んでも平気だと思ったのだろう。どうして私の中に取り込めると思ったのだろう。
実際、私は平気だった訳だけれど、どうしてだろう。アル様の言う通り、これは危険な事だった。私以外の誰がしても危険な事だった。私でも十分危険だった。本当にどうして私はこんな事をしようと思ったのだろう。
「分からない」
再び、私は自分の中にあがった疑問を繰り返す。全部全部わからない。
「本当に分からない」
私の中に答えはなかった。いくら考えてもあの時の行動は最善だと思うのに、その根拠が見つからない。
「分からない」を繰り返す私にアル様も戸惑ったのか私の手を握る力が強くなった。
「シルフィー」
その声に、私は今初めてこの部屋にアル様以外の人がいることに気がついた。
「ルートお兄様」
その隣にはレオンお兄様とディアナお姉様もいた。
「僕は今回の結果を……、シルフィーの行動を肯定する事は出来ない」
ルートお兄様も厳しい表情で私を見ていた。先程の、アル様の言葉を思い返せば、ルートお兄様がそう言うのも当然の事だろう。
「でも、」
ルートお兄様は続けて言葉を発した。その表情は少し悲しそうだったけれど、微笑んでいた。
「ソフィアを救ってくれてありがとう」
私の行動を決して肯定する事は出来ないけれど、ソフィアが救われたことは嬉しい。そういうわけだろう。
「どう、いたしまして」
ルートお兄様の言葉に、私は言葉を返すけれど私に感謝の言葉を受け取る資格はあるのだろうか。
私は自分に出来る最善の事をしたけれど、その結果悲しむ人がいた。私はどうするのが一番正解だったのだろうか。誰も悲しませずに最高の結果を導き出す。そんな事が私に出来るのだろうか。でもやらなければならないと感じた。