153、気が付いたら時が経っていました
微かな頭痛と共に、ゆっくりと暗闇から意識が浮上してきた。
——頭が痛い——
目を開けると見慣れたアル様の部屋が視界に飛び込んできた。
どうやらアル様が直ぐに部屋へ私を運び、医師を手配してくれたみたいだ。何となくそんな感じがする。
——ここはどこだろう——
また急に倒れてしまったのだろう。自分でもなぜだか分からないけれど。アル様に心配をかけてしまった事だけは分かる。アル様の目の前で倒れるのは一体何度目だろう。それに今回は原因不明。本当に申し訳ないことをした。
少し体起こしてみると、さらりと膝の上に何かが落ちた。霞む視界でそれをじっと見つめてみると、どうやら湿ったタオルのようだった。恐らくだが、誰かが私の額に置いてくれていたものだろう。それよりも問題は、少し体がだるいということだ。それに熱い気がする。
もしかして、また熱を出してしまったのだろうか。この間もお城で熱を出してしまったのに、申し訳ない事をしてしまった。
よく見ると、服も夜着に変わっている。誰かが替えてくれたのだろう。ドレスだと寝にくかっただろうから有難い。
——何もかもが違う——
ベッドサイドに置いてあったベルを軽く鳴らすと、どこからか足音が響いてきた。思えば私が目を覚ました時に近くに誰もいない事には少し違和感を感じていた。いつもなら誰かが近くにいてくれるのに。あ、でもこれが普通か。
取り敢えず、喉が渇いたから何か飲みたい。部屋の中を見渡すと、ベルが置いてあった方とは反対のベッドサイドに水差しとコップが置いてあった。
水出しからコップに水を移し一口飲むと、ドアをノックする音が聞こえたので入室の許可を出す。入ってきたのはいつもこのお城で私のお世話をしてくれているメイドさんだった。メイドさんは私の顔を見るなり、ほっとしたような顔をした後にゆっくりと部屋の中に入ってきた。
「体調はどうですか?」
「少し体がだるいけれど、大丈夫です」
——知っているのに知らない——
私がそう言うと、メイドさんは再び安心したようにため息をついて、私の側の床に座った。
「もうすぐ皆さんが来ますので、お待ちください」
「はい」
多分、自意識過剰でなければ、私が倒れた事を一番心配してくれていたのはアル様だと思う。なにせ、側で倒れてしまったのだから。多分だけれど、アル様がここに来てくれそうな気がする。
さすがに婚約者とはいえど、こんな汗だくの姿では会えない。私が恥ずかしい。メイドさんも同じことを思ったのか、濡れタオルを持ってきてくれ、ゆっくり私の体を拭いてくれた。暑くなくぬるくもない。とても良い温度で思わず体から力が抜ける。
「どこか気になるところはありませんか?」
「大丈夫です。とっても気持ちいいです」
思わず気が抜けたような返事になってしまうのも仕方がない事であろう。
気が緩んだらなんだかお腹が空いてきちゃったな。
そのタイミングで私のおなかの虫が悲鳴を上げた。
ちらっとメイドさんの方を見てみると、驚いたように私を見た後にクスリと笑った。恥ずかしいけれど、メイドさんの顔が本当に安心したような顔だったから恥ずかしさはすぐにどこかに行ってしまった。
——懐かしいはずなのに知らない——
メイドさんが私の体を拭き終えた所で、再びせくようにドアがノックされた。服装も整っていたので、入室の許可を出すと入ってきたのはアル様だった。
「シルフィー大丈夫?!起き上がって辛くない?!」
アル様は入ってきてすぐに私のところまで走ってきて声を上げた。
「はい、大丈夫ですよ。少し体がだるいぐらいですけど、元気です」
私は再びメイドさんにした説明と同じ説明をアル様にする。
加えて、お腹が空いている事も訴えれば安心したように立ち上がって食事を持ってくるように頼んでくれた。なんだか不思議、少し寝ていたにしては、体がやけに重たい。まるで何日も何日も眠っていたかのように体が動かない。
——どうして私の目の前に彼がいるのだろうか——
「アル様、私また熱出しちゃいましたか?」
アル様は私の方見て少し悲しそうな目をした後に言葉を綴った。
「うん、急に倒れちゃって、熱も出ていたし2週間ずっと寝たきりだったんだよ」
「2週間?!」
数時間寝込んでいただけと思っていた私は、2週間という言葉に思わず驚き声を上げてしまう。2週間も寝ていたのなら、この体のだるさには納得をするけれど、どうしてそんなに寝込んでしまっていたのだろうか。
2週間も寝ている感覚がなかったという事は、それほどひどい熱だったのだろうか。
ついこの間も熱を出したというのに。最近の私の体は弱ってきてるのだろうか。冬という事もあって、体が冷えてしまっただけかもしれないけれど。
「だからもう少し安静にしていてくれると嬉しいな」
アル様は私の頭を撫でながらお願いしてくる。
もしかしたら、以前私が熱を出した時に、熱が出てるにも関わらずベッドから出て歩き回ろうとしていたから、その時の事を思い出したのかもしれない。あの時は、私もどうかしていたと思う。熱が出ていたのに熱が出ていないと言い張り、動きまわろうとするなんて。余計に酷くなろうとしているようなものだ。
「分かりました。私はいい子なのでゆっくりしています!」
ドヤ顔でそう言うとアル様は少し笑いながらも安心したように頷いた。
その後、メイドさんが雑炊を持ってきてくれたので、アル様に食べさせてもらいながら食事をとり、再びベッドに戻った。
2週間寝ていたにも関わらず、私の体はまだ睡眠を求めているようで、ベッドに横になると瞼がだんだんと下に降りてきた。
私の手を握りながら傍にいてくれているアル様といると、なんだか不思議な感覚に陥ってくる。
鍵が閉まっている部屋の中に荷物を詰め込んだような。
出入り口のない穴に土を流し込んだような。
とても不思議な感覚がする
——私は、誰?——
まるで私が私でないような不思議な感覚。私はシルフィーであり、桜であるはずなのに、それだけではない気がする。
「シルフィー、どうかしたの寝られない?」
アル様が首を傾げ、不思議そうに聞いてくる。その声を聞きながら私はゆっくりと首を横に振る。
ずっとずっと、私と一緒にいてくれているアル様。けれど、そのずっとはずっとであるようでずっとではない気がする。もっともっと遥か昔、私が産まれる前から見守ってくれているような。まるで私の主であるような。
思い出せそうで思い出せない。喉にまで出かかってる言葉が言葉として出ず、お腹に溜まっていくような感覚がする。
「ねぇ、アル様、私は……誰?」
自分では見つけられない答えをアル様に求める。
私はシルフィーであるはずなのに、桜であるはずなのに、それだけであるはずなのに。
何かが違う。
まるで見つけ出してはならないような。見つけてほしいような。見つけ出さなければならないような。隠しておかなければならないような。奥深くに閉じ込めておかなければならないような。逃げなければならないような。会いたいような。
私はこの答えを見つけてもいいのだろうか。意味も分からない疑問が浮かぶが、
私の中の何かがささやく。
『見つけて』
見つけたいけど、見つけられない。何がきっかけになっているのかが分からない。どこにいるの、それは何なの。
アル様はその答えを知っているのだろうか。
「君は君だよ」
頭を悩ませている私にアル様は一言、そういった。
アル様は私の名前を言わなかった。それが今はひどく嬉しかった。