ソフィアpart1
私の隣ですやすやと寝ているシルフィーを見る。特に今日は沢山泣いたから、目元が赤い。泣かせたのは私だけれど。
『知ってたよ』
『知ってたよ、悠里ちゃん』
シルフィーの言葉を思い出す。
シルフィーは、私が悠里だという事に気が付いていた。今までそんなそぶり全くなかったのに。私から、言おうと思っていたけれど、なかなか切り出せなかった。
もし、シルフィーに桜の記憶が無かったら?
そう思うと、言葉が詰まってしまった。シルフィーの中には間違いなく桜がいる。それはすぐに分かった。でも、記憶として桜がいる確証は持てなかった。
でも、シルフィーは、知っていたんだ。
この子は昔から他人の事には鋭い子だった。
今も、私の手を握って離さないこの子は、可愛い。そう、『悪役令嬢』とは程遠い。『悪役令嬢』のシルフィーは綺麗だった。見た目だけじゃない。心も。
『悪役令嬢』は『ヒロイン』と出会って変わってしまった。まるで、別人みたいに。
だからこそ、私は、怖かった。
シルフィーも、私と出会う事で、変わってしまうのではないか。
でも、シルフィーは、シルフィーだった。私と出会った事で変わりなんてしなかった。となると、その時点で分かった事がある。
この世界は、『アルフォンスのルートではない』
ここは小説『ソフィアと恋の物語』の世界ではない。ここは乙女ゲームの世界。ゲームの『ソフィアと恋の物語』の世界。
桜に貸した小説は、乙女ゲームを基に描かれた『アルフォンスルート』の小説。
この世界は現実で、『ルート』を考える必要は無い事は分かっている。けれど、無視はできない。だって、人が死ぬ可能性があるんだもの。
この世界で死ぬ可能性があるのは、『悪役令嬢』のシルフィーだけではない。第一王子のレオンハルト。……そして第三王子のルートハイン。
でも、ルートハインの死は、シルフィーが防いでくれていた。シルフィーはそんな事知らなかったと思うけれど。
5年前の盗賊事件。街中で暴れた盗賊達を倒したのはシルフィーだった。そして、その盗賊達の目的は、第一王子でも、第二王子でもない。
第三王子の、ルートハインだった。
なぜ、第三王子のルートハインが狙われたか。その理由は、『ヒロイン』の婚約者だったから。光の魔力を持つヒロインと接点が欲しい人なんていくらでもいる。その貴族が、ヒロインの婚約者ルートハインを殺し、自らがその婚約者になろうとした。
けれど、それは、ゲームの話。私は、今、第三王子の婚約者ではない。それにも関わらず、ルートハイン殿下は殺されそうになった。
五年前、
『街中で、盗賊が———』
という記事を見た時、私は第三王子は死んだと思った。だから入学式の日に、ルートハイン殿下を見た時は驚いた。しかも、シルフィーと親しい様子だったから。
そして、何より驚いたのが、その盗賊を『シルフィーが倒した』事。シルフィーは、前世で剣を扱った事さえ愚か、刃物を持った事も無いだろう。『悪役令嬢』のシルフィーが剣を嗜んでいたなんてなかった。そんなシルフィーが盗賊と戦って勝った?信じられる訳がない。でも、それを実際に見た人がいるんだから信じるしかない。
シルフィーの中に、桜以外の誰かがいるのかと疑いたくなった。
私は光の魔力を持っていることを公表していないから、シルフィーが私を気にする必要は無い。それでも、シルフィーは、10歳の時、初めて私を見かけた時から友達になりたいと思ってくれていたらしい。今となっては、それは桜の記憶があって、私を悠里と分かっていたからだと理解したけれ、あの時は驚いた。でも、あの子のその思いがあったから、私達は仲良くなる事が出来た。
私は最初『悪役令嬢』から逃げるつもりだった。心配のし過ぎだったけれど、シルフィーが悪役令嬢にならない為に必要だと思っていたから。
ふふ。
入学式の日のあの慌てようは本当に可愛かった。今思い出しても微笑ましい。
「ん、ぅ」
私が少し笑った事で、隣で眠っていたシルフィーが身動ぎをした。でも、そのままもう一度寝入った。
可愛い。そして、幼い。
シルフィーは自分が小さい事を心配しているけれど、実は私も少し心配している。小説の悪役令嬢は綺麗という名にふさわしく、背が高かった。少なくとも、ヒロインよりは高かった。けれど、今のシルフィーはどうだろう。私と比べるまでもなく小さいことが分かる。食事をしていない訳では無い。寧ろ、食べ過ぎと怒られるほどお菓子も食べているし。けれど、体重も増えていないように思う。それだけ食べていれば、太ってもおかしくない。でも、シルフィーは軽い。女性のリリー様が簡単に抱き上げられるくらいだもの。遺伝という訳ではなさそうだし、少し心配。
そして、シルフィーの事で心配していることがもう一つ。
シルフィーは、アルフォンス殿下の事が好き。それは間違いようがない。でも、一切嫉妬をしない。強がっているのかと思ったけれど、そうではないようで、本心で言っている。嫉妬をしない事が悪い訳じゃない。
殿下の演劇の話をした時だって、
『うん!そうなの!すっごくすっごくかっこよかったの!』
といっただけ。殿下の婚約者役をしていたノア様に何も思っていない。
『……ここは嫉妬するところじゃないの?』
『嫉妬?なんで?』
『なんでって……』
少しも嫌な気持ちになった様子はない。
『シルフィーってアルフォンス殿下の事好きなのよね?』
『うん!大好き!』
『なら、他の人に取られたら嫌って思わないの?』
『アル様とられるの?』
『え、いや、あくまで可能性の話で…』
『でも、私達って婚約者だから、解消されない限りは離れることはないよ?』
『そうだけど…』
少しも不安に思う様子もない。
『ねぇ、シルフィー……』
『なぁに?』
シルフィーは愛を知らないかもしれない。
『アルフォンス殿下に好きになって欲しいと思う?』
『え、アル様、私の事好きって言ってくれているよ?だから私もアル様の事好きなんだもん』
シルフィーは相手が好きになってくれたから好きになった。つまりそこにシルフィーの意思はない。いや、ない訳ではないが、何か違和感がある。
もしかしてシルフィーは自分から誰かを好きになったことが無いのかもしれない。自分を受け入れてくれたからこそ、その相手を好きになる。当たり前のように思えるけれど、そうじゃない。
『アルフォンス殿下に愛されたいって思わないの?』
この答えを聞くことは本当に怖かった。嫌な予感しかしなかったから。
『だって、アル様が本当に私の事愛してくれる訳ないよ』
何も言えなかった。言ってはいけないような気がした。
シルフィーは、愛された記憶がないのかもしれない。ううん、愛されたことはあるけれど、それに気づいていない。だって、シルフィーが…、ううん、『桜』が一番欲しかった相手に愛をもらえなかったから。それは桜の両親。だから愛がどういうものか分からないのかもしれない。だから嫉妬という気持ちも沸いていない。ううん、嫉妬の仕方が分からないのかもしれない。
だからこそ、私は寝る前にシルフィーに伝えた。
『シルフィー』生き抜いて。
シルフィーはまだ自分の事を『悪役令嬢』のシルフィーだと感じていた。恐らく本人も無自覚で。
シルフィーに話していない事がある。私が光の魔法が使える事を隠していた理由。それは、シルフィーが『悪役令嬢』になる可能性を少しでも防ぐため。何があるか分からないから、少しでも小説と違う展開を用意したかった。
結局、何が正しかったのか分からなかったけれど。
このまま、何も起こらずに、幸せに、大きくなって欲しい。私の大好きな親友だから。この子のまわりには、守ってくれる人が沢山いる。それは、この子が公爵令嬢だからではなく、シルフィーだから。家族も守ってくれているし、この子の婚約者であるアルフォンス殿下もシルフィーを愛してくれている。そして、学園では私とリシュハルト様、生徒会ではリリー様もいる。
そして何よりルートハイン殿下。殿下が『シルフィー様の笑顔を守り隊』の会長になってくれたことで、シルフィーをより守りやすくなった。
ルートハイン殿下は何を考えているのか分からない。シルフィーを、皆を大切に思っている事は分かっている。でも、よく分からない。そんな殿下を、
「好きになるつもりなんてなかったのになぁ」
第一印象は最悪だった。
「シルフィーに何をした」
その言葉がルートハイン殿下の第一声だった。
そして、「意味が分からない」。それが私の感想だった。
校内探索を終えたから、シルフィー達の所に行こうと思っていた時だった。案内をされたといっても、まだ完全に道を覚えたわけではない。少し迷いながらも、シルフィー達がいるであろう園庭に行こうとした。丁度一人だった私は、ルートハイン殿下に出会い、話しかけられた。
そして投げかけられたのが先程の言葉だ。ひどく冷たい、感情のこもっていない声だった。
「え、と何とは…?」
「それが分からないから聞いている。シルフィーは基本人見知りで、初めての人に自分から寄って行くような子ではない」
……な、なるほど?
確かに、話して分かったけれど、シルフィーは自分から話しかける事を戸惑っていた。そんなシルフィーが自分から「友達になりたい」なんていう事は珍しいのだろう。現に今まで私以外の同年代の友達ってリシュハルト様しかいなかったみたいだし。
……理解はしたけれど、私だって知らないわよ!ちゃんと話したのは今日が初めてだもの!
ってあの時は叫びそうになったわ。流石に王子様には言えなかったけれど。で、その後、拒否権はなく、生徒会に入れられた。
最初に挨拶をした時の穏やかさはどこに行ったの?って思うくらい怖かった。
なんで、シルフィーに何かしたと思っている相手を、生徒会にいれます?
本当に考えていることが分からない。
意図を探ろうと殿下を見てみても、何も分からない。
「何を考えている?」
そう言って睨まれた時は思わず叫ぶかと思った。こっちのセリフよ!ってね。
それからのルートハイン殿下の態度は、特に問題は無かった。皆に優しく、頼りになる。私にとってもそうだった。でも、最初の、あの少し怖いルートハイン殿下を知っているから、素直に頼ることが出来なかった。内心でどう思っているかが怖かったから。
殿下は本当に意味が分からない。
でも、私があまりにも恐る恐る殿下に接するものだから、二人になった途端、殿下はしびれを切らした。
「ソフィア嬢。その態度をなんとかしてくれ」
「なんとかって……」
いわれても、もはやこれは反射。
ルートハイン殿下を視界に入れる事も本当は少し怖い。シルフィーや他の人のがいる時は、なんでもないように過ごしているけれど。
今だって、殿下と二人だと思うと、冷や汗が止まらない。
ゲームの攻略対象の『ルートハイン』は、ただ怖かった。でも、それはゲームだからこんなものだよね、と思っていた。実際に目の前に来られると、怖い。
威圧感、というのだろうか。王族の気品、と捉える人もいるかもしれない。でも、私には無理だ。
うつむいて、ルートハイン殿下が立ち去るのを待とうとすると、寧ろ殿下は近寄って来た。
(な、なんで近寄って来るの?!)
内心でそう思っても、伝わらず、私の目の前まで来た。
そして、
ぽん
と、頭にあたたかなものが触れた感覚がした。
「え?」
そっと顔を上げると、ルートハイン殿下が困った顔で私の頭を撫でていた。
「すまなかったな。そんなに怖がるとは思っていなかったんだ」
……頭を撫でられるなんて経験、家族以外にされた事が無いから少し恥ずかしい。頬、赤くなっていないわよね?
「公爵家という肩書を求めてシルフィーに近づこうとするものが多かったから、少し、警戒をしすぎてしまった」
私からすると、全然『少し』ではないけれど。
「私が怖ければ、無理に生徒会の仕事を続ける必要は無い」
「え?」
私はその時、嬉しかった。そうすれば、殿下の顔に怯える事も無くなる。でも、すぐに、シルフィーの事が頭に過った。生徒会をやめてしまうと、シルフィーとの接点が少なくなってしまう。……桜と、一緒に過ごす時間が減ってしまう。
「いえ、大丈夫、です」
私がそう言うと、ルートハイン殿下は安心したように息を吐いた。
「そうか。自分で言い出したことだが、ソフィア嬢は優秀だから、やめられると困る」
なんだか、このルートハイン殿下は、怖く無い。
「そ、ソフィアでいいです」
ソフィア嬢、と呼ばれるのは、なんだかくすぐったい感じがしたから。
「分かった」
そう言ったルートハイン殿下はふわっと笑って、
「これからよろしく頼む、ソフィア」
と言った。
……私の心臓が少しはねたのは気付かないふりをした。