112、思いだしました
「『第一王子殿下、レオンハルト様が矢で射られた』?!」
食後の会話を楽しんでいた為、その場には家族の全員がいた。
お父様の言葉でその場にいた人々に緊張が集まる。
「ご無事なの?!」
お母様の問いかけは、お兄様もマリーお姉様も思ったようで、お父様に問いかける。
「分からない。ただ、非常に危ない状態らしい」
「そんな!」
「取り敢えず、急ぎ城に行こうと思う。公爵家には面会の許可が出されているから」
「俺も行く!」
「私も行きます!」
皆の会話が、どこか遠い所でされているみたいに上手く聞き取れない。でも、何となくお城に行くって事が分かったから、皆で急いで馬車に乗る。
外は暗くて、気分も暗くさせる。私達5人が乗った馬車では会話は一切無かった。でも、それでも皆の考えていることは分かった。先程まで城に居たお父様は悔しそうに、そしてレオンお兄様と一緒に仕事をしていたお兄様は手を握りしめて、歯を食いしばっていた。
レオンお兄様は助かるのだろうか。
『助かって欲しい』
恐らく皆がそう思っている中、私は一人、違う事を考えていた。
『助かるはずがない』
助かって欲しい気持ちは勿論ある。レオンお兄様が死んでしまうなんて信じられない。信じたくない。
でも、小説を知っているからこそ、私は助からない可能性をどうしても考えてしまう。
レオンお兄様の部屋につくと、そこには部屋に入りきれなかった人や、騎士、メイド、沢山の人が待機していた。
私達が近づくと、その場にいた人達は場所を空けてくれた。目元を赤くした王家の皆もいて、その間を通り抜けてレオンお兄様が寝ているベッドに近づく。
「レオンお兄様…!」
レオンお兄様の元に行くと、苦しい表情で横になっていた。でも私はレオンお兄様の表情よりももっと恐ろしいものに目が行った。
「……っ!」
あげそうになる悲鳴を何とか堪える。だってレオンお兄様が受けた傷の所には黒い靄がうごめいていたから。そして、その黒い靄は私以外の人には見えていない様子だった。私はその黒い靄に嫌な記憶がよみがえる。かつて私を閉じ込めた時に私に巻き付いていたもの。それとそっくりだった。それが今、レオンお兄様にとりついている。
「肩…」
レオンお兄様が矢で射られたのは恐らく肩。そこに黒い靄が集まっているのだから。でも、限りなく心臓に近い。腕、肩、胸元に蛇のように巻き付いている。どうしてこんなものが他の人には見えないのだろう。こんなに恐ろしく、悪意に満ちているのに。
どうしてレオンお兄様がこんなことになっているのだろう。
私が少し下がると、入れ替わるように医師が傷を再び見始めた。
「血は止まりましたが、やはり呪いが…」
「そんな…!」
そっか。この黒い靄は呪いだったんだ。呪い…、その実態は良く分かっていない。よく分かっていないからこそ『呪い』。
レオンお兄様は意識はある様子で、目は開いているけれど、何かを話す気力は無いように見える。痛みを我慢しているよう。でも、皆を心配させないように、痛みを表情に出さないようにしている。それが私をひどく苦しくさせた。こんなに優しいレオンお兄様がどうして。
矢で射られるのは仕方がないけれど、何故呪いが…。
……仕方がないって何?
自分で思っていて恐ろしくなる。私はレオンお兄様が矢で射られるのは当然だと思っているの?小説でそうだったから、この現実でも射られて当然?そんなわけないのに。レオンお兄様は民にも、同じ貴族にも慕われてる。こんな、悪意にさらされるような人じゃない。どうして…、どうしてレオンお兄様が…。
そこでやっと、ディアナお姉様がレオンお兄様の傍で泣いている事に気が付いた。ディアナお姉様はレオンお兄様の妻として城で共に時間を過ごしている。だからこそ助かって欲しい気持ちは人一倍だろう。
でも、私はディアナお姉様に声を掛けることが出来ない。泣いている姿をただ見ている事しかできない。だって、私はレオンお兄様の傷を癒す事は出来ないから。
「光の…、そうだ、光の魔力を持つものはいないのか?!」
そこにいた陛下が医師に叫ぶ。いや、ここにいる人に叫んでいるようにも見える。「ここにあわ良くば光の魔力を持つものはいないのか」「いるなら治してくれ」そんな思いが陛下から伝わってくる。
「現在この国で確認されているものはおりません!」
「…っくそ!」
呪いは、光の魔力でしか浄化出来ない。私はふと、ソフィアの顔が思い浮かんだ。けれど、光の精霊が姿を消している現在、光の魔力を持っていても魔法が使えるものはいない。だから、光の魔力を持っていてもレオンお兄様を直せる可能性は非常に低い。けれど、すがるしかないのだろう。それしか可能性が無いのだから。
これはだめだ。
これは、助からない。私はそう、察してしまった。それが私の予感だった。『誰』かを失う予感。それはレオンお兄様の事だったのだろう。
「う…」
レオンお兄様の呼吸が段々と薄くなってきたのに気が付いた。
あぁ、もう。だめだ。助からない。
呪いの進行は速い。この呪いは強い。
レオンお兄様はもう…、
私以外の人もそう感じとった様子で、涙を止めるすべを持つ者はいない。
「レオン!」
「殿下…っ!」
「レオンハルト様…」
「兄上!」
皆がレオンお兄様に呼びかける声を私はただ聞いていた。
でも、私は涙が出なかった。だって、私は結末を知っていたから。
「まだあきらめないで」
静かな、レオンお兄様を見送る空気が出来ていた。そこに響いた声はひどく、透明感に溢れ、透き通り、この場の者を魅了した。
その声は自信に溢れ、決して気休めなんかじゃなく、私達の心を満たした。
入って来たのは私の良く知る人物で、ここには入る資格のない人。公爵家しか入ることを許可されていない場にどうやって入って来たのか。けれど、その人は自分がここにいることが当然というように入って来た。誰にも、違和感を感じさせなかった。
「ソフィア…」
「大丈夫よ、シルフィー」
どうしてソフィアがここにいるの?この情報は公爵家にしか届いていないはず。
「大丈夫、私が何とかするわ」
その声は、やはり私を安心させる。本当に何とかしてくれそうな、そんな気持ちになる。
ソフィアは一歩、また一歩とレオンお兄様のベッドに近づいていった。自然とそこに道が出来る。
けれど、ソフィアはここにいる者にとって、『相応しくない者』。
「君!勝手に!」
我に返った騎士が止めようとする。この騎士の行動は正しいけれど、私にとっては正しくない。
「触らないで」
その騎士がソフィアに触れる前に私は声を掛ける。私の声に騎士が思わず足を止めるのが目に入った。私だって、本当はソフィアを止めたい。でもソフィアの邪魔はさせない。
「大丈夫」
アル様も家族も、その場にいた人が私の方を見るのが分かった。
「大丈夫です」
ソフィアに任せておけば大丈夫。静かなその場所には私の声もよく響く。目線が私に集まっている隙にソフィアはレオンお兄様のベッドサイドまで来た。
私は、レオンお兄様の命と、ソフィアの人生を無意識のうちに天秤にかけていた。
ソフィアの決断を私がどうこう出来る訳がない。
「……そっか。そうだったんだ」
私は察した。失うのは『誰』では無かった。
そして、失うのはレオンお兄様の『命』じゃない。ソフィアの『未来』だった。