102、心配しました
アル様の熱はなかなか下がらなかった。目が覚めているのかも分からない状態の時も多く、常にぼんやりしていた。ときどき思い出したように何かを探しているような行動をしたり、どこかに行こうとしたり。アル様らしくない行動を終始していて、私も周りの人も心配していた。
夜も魘されている事が多かった。
何かを探しているようだったけれど、それが一体何だったのか、誰も分からなかった。
食事をしても、なかなか食べられなかったり、食べても戻してしまったり。
私はずっとお城の私の部屋とアル様の部屋を行き来していた。無理を言って、アル様の体調が良くなるまでお城に居させて貰えるように頼んだ。アル様の苦しんでいる姿を長時間間近で見るのはつらかったけれど、それでも自分の知らない所で体調が悪化するのは怖かった。私は医師でも何でもないからアル様にしてあげられることは何もない。タオルを替えたり、水を少しずつ飲ませる事しかできない。でも、ただそばに居たかった。
本当はアル様を一人で寝かせてあげるのが一番いいのだろうけれど、それでも私がアル様の傍にいたのはアル様が私の手をずっと握っていたから。私の手を握っているアル様は少し穏やかな顔で眠れていることに気が付いた。それからは、私はアル様の傍についている時は手を握るようにしている。
ただの熱だと言えばそうだけれど、こんなにひどい症状は私は初めて見た。だからここにいるのは私の我儘。このままアル様がいなくなってしまう事があり得るかもしれないから。病気は怖い。あっさり人の命を奪っていくから。
けれど、一週間経った今。やっと、少しずつ熱が下がり始めた。少し熱が下がっただけなのに、意識もはっきりしていて、ベッドからも問題なく立ち上がることが出来るようになっていた。本当に昨日まで寝込んでいたのかなと思うくらい元気になっている。
でもこれで少し安心した。けれど油断はできない。まだ病み上がりだし、何より、アル様の「大丈夫」はあてにならない。だって、寝付けなかったアル様の「もう大丈夫」を信じてその後バラ園で散歩をして、その途中で倒れたんだもん。本当はただの寝不足じゃなくて、体調が悪かったのかもしれない。久しぶりによく眠れたって言っていたし。
だから今の私の役目はアル様をベッドから出さない事。これは国王陛下直々のお役目なのです。アル様が無理をしないようにしっかり見張ることにします。
アル様の熱が下がってきたことを知った王家の人たちは、安心したように息を吐いて、アル様の頭をくしゃっと撫でてからすぐに出ていった。多分、私がいるから気を使ってくれていたのだと思う。
そしてメイドさん達も私達に気を遣ってくれているのか、食事を持って来て、すぐに出ていった。今は私とアル様の二人きり。未婚の男女が二人きりは良くないんだけど、そんなのもう今更だし、アル様の体調が良くない今、何も起こりようはない。
もう一度いいます。メイドさんもいない今、ここには私とアル様の二人です。つまり、アル様をお世話する絶好の機会でしょう!
「アル様、スープですよ。あーん」
「一人で食べれるよ」
「えー」
私だってアル様に食べさせた…、んん゛。アル様に無理をさせたくないんです。陛下からのお役目で、アル様に無理をさせない事がお仕事なのです。
「あーんしてください!」
「シルフィー、本当にもう大丈夫だから」
「むぅ」
また「大丈夫」…。
そういって倒れちゃったから心配なのに……。
「アル様が倒れて、みんなすっごく心配してました……」
「…うん」
アル様は申し訳なさそうな顔をする。間違えた、アル様にこんな顔をして欲しくないのに。
「皆アル様が大好きなんです。勿論私も。だから無理をして欲しくないんです。辛かったら辛いって言ってください。しんどかったり苦しかったりしたら言ってください。私じゃ頼りにならないかもしれないけど、でも、……心配くらいは出来ます。私に出来る事があったらしたいです。私だって助けてもらうばかりは嫌なんです。私だってアル様を助けたいんです。」
しまった。思わず言ってしまった。アル様は病人なのに。負担になるようなことをいうつもりはなかったのに。
「シルフィー」
でも、私の名前を呼んだアル様の目はとても優しくて温かかった。
「ありがとう。でもシルフィーが頼りにならないなんて思った事はないよ。ただ、格好悪いでしょう、こんな姿」
「アル様が格好悪いなんて思いません。でも、格好悪くてもいいんです。無理をされるより、ずっといいです」
多分、今回のアル様の体調不良は思いのほか私の心に刺さっている。アル様がしんどいって言ってくれてばバラ園の散歩をやめていた。……私がアル様の体調不良に気付いていれば。いくらアル様が誘ってくれたからと言って、私が無理をさせたようなものだ。あの場にレオンお兄様が来ることを知らなかったらと思うとぞっとする。その場合、アル様は命を落としていた危険だってあったのだ。
「ごめん、シルフィー。本当に心配かけてごめんね」
アル様が私の頬に手を伸ばす。
「だから、泣かないでシルフィー」
気が付いたら涙がどんどん溢れてきていた。
私が困ったときに支えてくれていたのはいつだってアル様だった。私が頼るのはいつだってアル様だった。
でも、私では、アル様を助けられない。アル様を運ぶことだってできなかったし、アル様の熱を少しも下げる事が出来なかった。私がアル様の為に出来ることはなかった。それがひどく悲しくてさびしくて、痛かった。
いつだってそう。私はもう会えなくなるかもしれないと悟った時に後悔する。いつだって遅い。後戻りできない所で気付く。あの時だって……、
「心配かけてごめんね。今回は私も本当によく分からないんだ。突然胸が苦しくなって…。それまでは何ともなかったのに」
私の涙を拭うアル様の手はいつだって優しい。この優しい手を失う覚悟は私には出来ない。
「アル様がいなくなるのは、本当に怖いです。お願いだから、無理をしないで。もう、会えなくなるのは嫌だから……」
思わずだんだんと小さい声になっていってしまう。だって、自分でも何を言っているのか分からない。でも、どんどん言葉が出てくる。
「離れ離れになるのは、もう嫌です。あの時で、十分…、もう」
頭に靄がかかったみたいに次々と言葉が溢れる。
「あの時も、私が、私は分かっていた、のに。あれは、……あれが、どうして私はあの時、でもあれは、矢が……」
「シルフィー!」
「っ!」
アル様の私を呼ぶ声ではっと意識が覚醒する。
「え、あ、あれ? 私今…?」
「大丈夫?」
何をやっているんだろう。病人のアル様に心配をかけるなんて。
「はい、大丈夫です!」
アル様に向けて笑顔を向けると、ようやくアル様は安心したようにほっと息をついた。でも、何だったんだろう、今の?もしかして、私の中にいる『本物のシルフィー』の声だろうか。……そんなわけないか。この体の持ち主だった『本物のシルフィー』の意識はとっくに『桜』と融合して一つになっている。不思議なこともあるもんだね。
というか、ここまでずっとお話をしてきました。が、お忘れではありませんか?今はアル様の食事の時間なのです。
「ご、ごめんなさい! スープが冷める前に食べましょう!」
あ、でもアル様はやっぱり自分で食べたいかな…?そっとアル様にスープの器ごと渡そうとアル様の手元に差し出す。でも、アル様はそれを受け取るよりも早く口を開いた。
「シルフィー」
「はい」
アル様に目を向けると、何だか恥ずかしそう…?でも、決意を決めたように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「本当は少し、腕がだるいんだ。食べさせてくれる?」
「っ! はい!」
これはアル様なりの気遣いだろう。アル様が本当に腕がだるいのか分からない。でも、アル様は私に頼ることを考慮し受け入れてくれた。それだけで十分だ。
頼ってくれて嬉しい。今はこの一言に尽きる。
「はい、あーんです」
アル様は恥ずかしそうにしながらも口を開いて食べてくれる。何だかヒナの餌やりみたい。アル様可愛い。
アル様の食欲は熱が少し下がったと同時に戻ったらしく、スープを食べ終えた後は雑炊も何とか食べきることが出来た。正直凄く美味しそうで、何度もよだれがたれそうになったけれど気合で我慢しました。流石にアル様の前でよだれは垂らせれない。いや、誰の前でもだめだけどね。
食べた終えた後に書類仕事をしようとした王子様がいたのですが即没収です。病人が何をやっているのですか。義父様に知られたらもっと怒られますよ。あとレオンお兄様とルートお兄様にも。普段笑顔の人が怒ったら怖いんですからね。
私の気迫に押されたのか、アル様はベッドで背もたれにしていた枕に深く腰掛けた。どうやら書類は諦めてくれたみたい。そして思いついたように私を見た。
「そうだシルフィー、歌ってくれる?」
「歌ですか?」
急ですね?でも、あーんは恥ずかしがるのに子守唄をねだるなんて20歳男性の考えることはよく分かりません。でも、アル様の望みなら
「いいですよ、何の歌がいいですか?」
と言っても私が歌える歌は限られているだけどね。私なんかの歌でアル様が眠れるならいくらでも歌いますとも。
「あの歌がいいな。シルフィーが好きなやつ」
ということはあれですね。小さい頃からずっと歌ってきた歌。私に最もなじみの深い歌。
『空の月夜』
何度も歌ってきたし、何度も聞いたから大好きな歌。短いけれど、なんど繰り返して歌ってもいいし、ゆったりしているから眠り歌にぴったり。
「分かりました。ですから、ちゃんと横になって下さいね。まだ安静にしてないとだめなんですからね」
私がそういうと、アル様は座っていた体勢から寝転んで眠る体勢に入ってくれた。
「ふふ、分かった。シルフィーは何だか母上みたいだね」
「……私、義母様みたいに素敵じゃありません」
「シルフィーは素敵だよ。ずっとずっと前からね」
「えー…。そうですか?」
「剣を持つ姿だって素敵だから」
それは褒めてますか?
「シルフィー、好きだよ」
「はい、私も好きですよ」
「ずっと、ずっと、好きだった。あの時、言えなかったから」
「あの時?」
でも私が感じた疑問にアル様は答えてくれなかった。
「言う前に離れ離れになるのはもう味わいたくないな」
「?」
何だかよく話しの流れが掴めません。いつの事を言っているのだろうか。
「歌ってくれる?」
アル様は話に区切りをつけたのか、今度こそ眠るみたいだ。
「はい」
~♪
夜の空に 美しく光る月
星がきらめく 暗闇
鳥が飛び立つ 夜明け前
~♪
いつも以上に時間をかけてゆっくり歌った。私が歌い終わる頃にはアル様は再び目を閉じてしまった。頭を撫でても微動だにしないという事は本当に眠ってしまったみたいだ。
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