11 バイオハザード(生物災害)
カンペールの街の人々から地下三階と呼ばれる未開の空間。
地上階の頂上を一階と定める地下都市エターナルの正式な階層表示ではハ階層にあたるこの空間は、まだまともなマッピングもされておらず、ネバー・ダイアー襲撃の危険性に満ちている。
カンペールの住民の中でも、ことさら冒険者を気取る者たちはロマンを求めるように地下三階に赴く意義を声高らかに唱えるのだが、近年増大するダイアー被害で人的資源が確実に疲弊している事から、気持ちは前向きだが足取りがおぼつかない現象が始まっていた。
ここは地下二階のとある大広間。右も左も奥にあるはずの壁までもが暗闇に隠れてしまった巨大な空間。
まるで蓮子の実の様な整然とした気味悪さで前後左右に冬眠ポッドが延々と並ぶ安置ホールの片隅に今、リュック・ドゥシャンはいた。
安全宣言が成されたはずの地下二階だが、それでもダイアー襲撃による被害は後を絶たない。ポッドとポッドの間に身を隠した彼はポンチョを頭からかぶりながその場に座り、ペキン! とサイリウムスティックを発光させる。
目の前だけが明るくなった世界で、荷物から固形のミンチバーとチューブタイプの水を取り出してしばしのランチタイム。ーーこれから地下三階に潜るための下準備だ
本来の彼なら地下で食事する事など無い。気の向くままに暗闇を旅しては、気の向くままに街へと戻るのがリュックのスタイルであり、使命感など無かったし何かを見つけようと欲する目標も無かった。
ただ誰も知らないエリアにたどり着く事が楽しく、頭の中でマッピングする事に喜びを覚えていた。ーーチャドにあげる「お宝」は二の次、ついでの感覚だ
だが、目標を持ってしまった。
達成しないと自分が気持ち悪いだけでなく、達成する事を待ちわびる者が今はいる。
目標や目的のために地下に潜る事がどれほど危険な行為なのかは充分知っているが、そうせずにはいられないのだ。
「オペレーション・オプティミゼーション(最適化作戦)」そして「エターナル開発事業団」と言う単語。
チャドが教えてくれたこの単語の謎を解き明かすために、リュックは単なる地下迷宮の探索者からトレジャーハンターへと変貌を遂げたのである。
……既に二度のアタックに失敗して今回が三度目の正直、時間がかかっても今回で結果を出そう……
前回、前々回ともに、これかと思って持ち帰った品物はハズレだった。何がいけない? 同じ場所にあると言う固定観念を外すべきなのか?
思案の果てに長期戦を覚悟していたのか、しっかりと食事を済ませた彼は万全の体制で通路へと戻る。
いつもの通りボンベ山を通過して自分だけが知っていた地下三階への昇降口へ向かう。途中にジェイコブが倒した老婆のダイアーがそのまま倒れていたが、さすがに頭部が粉砕された死体など凝視出来る訳も無く、そっぽを向きながら通り過ぎる。
地下二階からいよいよ三階へ
気密扉を開け放ったそこは、上の階と同じ暗闇であっても相変わらず空気は重く張り詰めている。
……二ブロック先の左にある気密扉を開けると、その先は見慣れた冬眠ポッドの安置エリアが整然と並ぶだけだから意味は無い
……通路の右側を狙って行く事に間違いは無い、通路の右側が特殊なエリアなんだ。もっと奥を狙って三ブロック先の施設を探索するか
通路の壁に右肩を押し付け、足取りをゆっくりと進める。夜目を凝らして周囲に気を配っていても、右肩にかかる圧力に変化があれば、そこが通路の枝線の起点であったり施設入り口の扉である事が感じられる。
……今のところダイアーの気配は無い。前回二ブロック目あたりでゆっくり徘徊する女性のダイアーをやり過ごしたが、どこかに移動したようだ。
今まで足を延ばしていなかったエリアに突入した。
普段の彼ならそれだけで満足し、気の済んだところで喜びながら帰るのだが今は違う。
この廃病院のような無機質で寒々とする暗闇の中、今回は別の満足感に突き動かされ、奥へ奥へと吸い込まれて行く。
……うん? 通路の様子が変わった。天井や壁から配管やケーブルがゴテゴテと並び始めたぞ
特殊なエリアだと思って進んでいたのだが、何やら見慣れた光景が広がって来る。白を基調とした壁材や天井に囲まれる清潔感を意識した空間が終わり、むき出しの鉄製の壁面と至るところに張り巡らされたボイラーの配管やケーブルが縦横無尽に広がる地下都市特有の光景が広がったのである。
アテが外れたかのようにガックリと肩を落とす。
意味不明だが特殊である事は間違いの無いエリア……それが奥に向かって延々と広がっていると期待し過ぎたのだ。
だが、リュックのその考えは当たりだった
当たりだったのだが、簡単に気落ちして緊張を解いた事で彼は失敗したのだ。
ーーそう。あとほんの少しの間だけ落胆せずに気を張っていれば、左手の壁に表記されていた『この先リスク4 研究室 関係者以外立ち入り禁止』のプレートが見えたはず。
そして中腰の姿勢のまま立ち上がって壁にもたれ掛からなければ、『生物災害非常事態用隔離スイッチ』を背中で押す事は無かったのである。
ブーッ! ブーッ! ブーッ!
フロア全体に響く電子サイレン
鼓膜が破れそうな音量の警報ともに、赤い非常ライトがあちこちで眩しく点灯したのだ。
「まっ、まずい! このままじゃダイアーが寄って来る」
ただ事ならぬこの異変に慌てたリュック、元来た道を引き返そうとするのだが、目の前でバシィン! とシャッターが降りて完全に退路を断たれてしまったのだ。
『リュック・ドゥシャン行方不明事件』
カンペールの街で彼の帰りを待つ者は少なく、街全体にとってみれば些細な事件ではある。
しかし彼が生物災害危険区画に侵入した事を重大な脅威と受け止めた者たちは間違い無くいる。
後々それが、カンペールの住民にとって悲劇を生むのである。
リュックの逃げ道を絶ったシャッター、そこにはデカデカとバイオハザードの国際標準化マークが描かれていた。




