その7
引き続き、惠視点です。
女性の堂々とした声に対して、赤羽の声は弱々しい。
「久しぶり、姉さん」
赤羽が「姉さん」と呼んだ相手は、私の方を向いた。
気圧されたわけじゃないけど、思わず言葉が出る。
「こんにちは。赤羽の……あ、小蒔さんの同級生の伊藤です」
私のつま先から、頭のてっぺんまで、相手の視線が動く。
手に持った、靴箱の角ばった形に膨らんでいるスポーツショップの袋を見て、「あぁ」と何かを納得した。
女性は私に言う
「始めまして、小蒔の姉です」
そして、赤羽に視線を移す。
「小蒔、まだ陸上してたんだ」
「うん」
呆れたような、半笑いの混じった声で、赤羽に語り掛ける。聞いている身としては、あまり心地がよくない。
「よくやるね、あんなしんどいこと。何が楽しいんだか」
「わかったから。今はケイもいるし、それじゃ」
赤羽が私の空いている方の手を掴む。
「行こ、ケイ」
怒っているような、怖くて逃げだしたような複雑な感じがした。キラキラでも、もにょもにょでもない赤羽を見るのは初めてだった。
手を引っ張られてしばらく歩いた後、赤羽が振り返って口を開いた。
「ごめんね。かっこ悪いところ見せて」
「いや、全然?」
お姉さんいたんだとか、仲が悪いの?とか聞きたい気持ちを抑える。
「それよりもお昼食べようよ。お腹すいちゃった」
すぐそこにハンバーガー店があったから、気まずそうに立ち尽くす赤羽を押し込むようにして、店の中に入っていった。
―――
言葉少なく、もそもそとハンバーガーを食べる。お姉さんに会ってから、赤羽の元気がなくなったのは明らかだった。赤羽は喜んだり照れたりするとすぐに顔に出るけど、ネガティブな要素でもわかりやすく表れるようだ。
2人とも食べ終わってから、赤羽は力のない声で私に話しかけた。
「この後、どこ行こっか。時間あるし、せっかく街まで出てきたんだし……」
「んー」
今の赤羽と遊ぶことができるほど、私は器用ではない。
「総体?だっけ。大きい大会が近いんだし、今日はもう早めに帰らない?」
赤羽は悲しそうな笑みを浮かべる。
「うん、そうしよっか」
喉から手が出るほど、赤羽の姉のこと、家族のことを聞きたい。
だけど、一歩踏み込んで、拒絶されたら、取り返しがつかなくなりそうで。
私は赤羽のためじゃなく、自分のために、見て見ぬふりをするのだった。
胸の中で、グルグルと渦が巻く。
―――
帰りの電車の向きは同じだった。東西に走る電車の同じ駅で降りる。
赤羽は北側へ向かう路線に乗り換え、私はこの駅からバスに乗ると家に帰ることができる。
別れ際、グルグルと渦巻いた何かが胸をズキズキと痛める。このまま帰っていいのかと、自問自答する。
何か、一分でも長く、赤羽と別れるのを遅くさせる口実はないのか。
焦って思考がまとまらない。
その時だった。赤羽が「あ」と何か思い出したように言う。
「そうだ、ケイ」
「なっなに?」
驚き半分、喜び半分でドキリとする。
「スパイクを入れる袋って持ってる?」
今日はシューズケースは買っていない。中学の部活のを使い回したらいいやと思っていた。
だけど「持ってる」と答えると、間違いなく今日はもう赤羽とは会えない。
そうなると、ずるずるとあのお姉さんの話をするタイミングがなくなっていくだろう。赤羽との距離は、離れないだろうけれど、縮まることもない。
「そういえば買うの忘れてた。家にいいのはないし、明日からどうしよう」
嘘をつき、なんとか糸口を探す。
「そうなんだ。じゃあ明日、私の予備のをあげるね。家から学校までは、スーパーの袋にでも入れて……」
「ほんと!?でも」
最初に聞いてきたのは赤羽だ。たとえ断られても、不自然ではない……はず。
「でも?」
「自分ちから学校まででも、シューズケースに入れて持っていきたいなあ」
「うん?」
「だからさ」
「うん」
「今から赤羽の家まで、もらいに行っていい?」
勇気を出して、踏み込む。
次の言葉を聞くまで、嫌などきどきが延々と続く。
赤羽はキョトンとしたけど、すぐに答えてくれた。
「いいけど、いいの?」
時間とか、手間とか、電車賃のことだろうか。
そんなもの構わない。
「いいのいいの!それじゃ、案内よろしくね!」
家族のことは聞けず、赤羽のことは知り得なかったけど、罪悪感が和らぎ、胸のズキズキが収まっていく。予定のなかった展開に、別のどきどきが生まれた。
今日はもう少しだけ、赤羽と一緒にいられる。