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その5

伊藤恵いとうけい 視点です


初めての陸上競技の練習を終えた、その日の夜。

私は柄にもなく、長風呂に浸り、今日のことを思い返していた。



―――



『赤羽は私に陸上部に入ってほしいんだよね?』

『……うん』


 やっぱり、赤羽は私を必要としてくれた。それがたまらなく、嬉しい。嬉しくて、表情筋の緊張が保てず、頬が緩む。


『だったら、決まり』


 このままだと、更に緩んで、にやけ顔にまでなりそうで。だけど、そんな顔は今は見せたくない。コロコロ表情を変えるのは赤羽の役目だ。

 照れ隠しで、ポーズを取っておどけたことを言う。


『一緒に、がんばるぞー! ……うぐっ』


 赤羽に抱き着かれた。

 それも、体が潰れそうなぐらい、強く。



―――



 赤羽は、その後の練習でも、「伊藤!伊藤!」と。それはもう満面の笑みで、私の名前を呼びまくった。



『伊藤!今からアップするよ!』


『一緒にストレッチしよ、伊藤』


『地面を蹴るんじゃなくて、膝を入れ替えるように、素早く……そうそう!伊藤上手だよ!』


『これがね、スタートブロックて言うんだ。聞いてる、伊藤?」



 友達、親友をすっ飛ばして、いきなりラブラブカップルみたいだ。


 ……今のは取り消し。

 そう、ペット!犬を飼うのが夢だった子どもが、念願叶って家に犬が来た日みたいな感じ。愛玩動物の扱いを受けただけだ。


「……どんだけ、喜んでるんだよ」


 ブクブクブクと、湯船に口を浸けて息を吐く。



―――



次の日


 2限の体育はスポーツテストだった。

 いくつか種目をやったあと、最後は50メートル走だ。

 名前の順で2人ずつ走るから、2列で並ぶ私の隣には、最近私を振り回している張本人がいる。

 背伸びをしたり、屈伸をしていた。

 

「よろしくね、伊藤さん」


 周りの目を気にしているのか、「さん」をつける。

 昨日は何も気にせず、抱き着いてきたくせに、今は気持ちの余裕があるらしい。

 少し面白くなくて、いたずらをしたくなった。


「ねえ赤羽、耳貸して」

「ん?」


 無警戒で近づくその耳に、わざと多めに息を吹きながら呟く。


「昨日は私をぎゅーっと抱きしめて、伊藤!って呼んでくれたのに、今日はしないんだ」

「んあ!!」


 赤羽は急いで顔を離し、距離を取る。 

 その動きは想定していたけど……


「何その顔。真っ赤だよ」


 ふふっと思わず笑ってしまうほどに、顔の色がみるみる紅く染まる。


「じゃ、よろしく、赤羽」


 赤羽は両手で顔を覆い隠して、左右に首を振っていた。

 この調子じゃ、私が競走で勝ってしまうのではないかと思った。

 テストなんだから競うとかはないけど、せっかく一緒に走るのだから、今の私と赤羽との差を測ってみたい。


 男子の最後の組が走っていった。いよいよ次は私たちの番だ。

 スタートラインに向かう。向かう途中で、私の右側の、つまり赤羽の纏う空気が変わった。


 さっきまで顔色を変えてあたふたしていたはずなのに、力みが全くない。

 凛とした顔で、ただ一点、前を見据えていた。


 体育委員の号令で、気をつけから、スタートの構えになる。

 鉄砲の代わりに使う、開いて叩くだけの木のスターターが、「カチン!」と鳴る。

 

 速度ゼロから一気に加速する。

 

『蹴るんじゃなくて、膝を入れ替えるように』


 走りながら、赤羽に教えてもらったことが、走馬灯のように浮かぶ。

 

 全力で走る。

 だけど、赤羽はぐんぐん私を置いていく。


 もっと!もっと速く!

 赤羽が見る景色と同じ景色が見たい!



―――



「ハァー、ハァー」


 ……疲れた。スポーツテストなんかで、ここまで全力を出し切ったのは初めてだ。

 タイムを計っていた体育の先生が、「赤羽はさすがだねぇ、陸上部」とか、「でも伊藤もめっちゃ速いねぇ」とか言っているけど、しばらくは相槌を打つのも難しい。

 膝に両手を置いて息を整えていた私の視界に、赤羽のすらりとした脚が入る。

 顔を上げると、赤羽はニコニコと笑っていた。


「伊藤もいいタイムじゃん!10点だよ、10点!」


 励ましの言葉をもらった。

 だけど、いい記録とかじゃなくて、赤羽の気持ちが聞きたい。

 私は赤羽に近づき、グラウンドに散らばる他の生徒に聞かれないような声で話しかける。


「……ケイ、って呼んで」

「え?」


 認められたくて、私は距離を縮める。


「いいから!」

 

 赤羽は驚いたような顔をしたけれど、すぐに微笑みに変わる。

 一拍置いた後

 

「ケイ、お疲れさま」


 赤羽は照れくさそうで、だけど気持ちが伝わってくる。


「……ありがと」


 顔に熱が籠る。


 走った直後でよかった。

 私の顔も赤くなっている理由を、答えなくていいのだから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] めっっっちゃ2人とも可愛いです。 ストーリー性もよくてキャラクターも可愛くて最高です。 1話ずつの文章量もちょうど良くて読みやすいです。 [一言] 最終話を読んでから感想を書こうかな、と思…
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