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その7


 個人の100mのウオーミングアップをしている選手たちを横目に、左手にはすっかり手に馴染んだバトンを持って第3コーナーを少し進んだ場所に立つ。3人とも100mのレースには出るからノエルの前でバトンパスをやるのは1回だけ。数十メートル先には、助走のスタートの目安にするため小さくちぎったガムテープをトラックに貼っている赤羽と、レーンの外で腕を組んで私たちを見つめるノエルがいる。

 夕日が差し込んで、赤色のトラックに自分の身長よりも長いかげぼうしが伸びる。ちらりとノエルの影を見ると彼女の脚の長さがより強調されていた。



「8レーンお願いしまーす」


 安全のための掛け声をしてから走り出す。一気に加速し、目印のテープを超えると赤羽も走り出す。

 トップスピードの私が、速度ゼロから加速を始めた赤羽を追いかけながら声を上げる。


「ハイ!!」


 後は赤羽の右手に思い切りバトンを叩き込むだけ……しかし赤羽の右手が斜め後ろに上がるのが遅い。


「ちょっ」


 ようやく赤羽の手が伸びてきた頃には、私は置いて行かれていた。

 すぐに赤羽が戻ってきて、3人で集まる。


「ごめんねケイ。ノエルに恥ずかしいところ見せちゃった」


「いや、いいよ」


「恥ずかしいことじゃない」


 ノエルは真剣な眼差しで励ましてくれた。そして赤羽の方を向く。


「レースに出るのは県選と地区ユースだけ?」


「そうだよ、県は出ない」


 はっきり言ってしまっていいのだろうか。確かユースの県大会は地区予選の結果は関係なく、全ての学校が出場できるって聞いたけど。


「じゃあ肩の力抜きなよ。失敗しても大丈夫だって」


 やっぱりノエルは赤羽の「ツボ」を知っているのだろう。他にも慣れた口調で赤羽に色々とアドバイスを送っていた。

 積もる話もあるのかなと思い、私は撤収しようかなと背中を向けた時だった。


「ケイ!」


「はい?」


「なにかあったら連絡頂戴。聞いてあげる」


 ノエルは大人びているな。実力もそうだし、包容力もあって敵わないなと思った。


「ありがとー!」


 少し大きめに手を振って、一足先に100mのウオーミングアップに戻ることにした。前の記録会でレース前にやることは大体教わったから、もう1人でできる。




 高校女子100mの開始時刻になり、同時に競技場の照明に明かりがつく。思っていたよりも眩しい。空はもうほとんど暗いけど、トラックは白色に輝き、端から端まで見渡すことができる。

 時間の都合もあるのだろうか、次々にテンポよくレースが進んでいく。今日の記録会も組み分けは自分の申請したタイムの速い人から順番だから、ノエル、赤羽、そして春香さんはもうレースを終えていた。向こう側で3人で集まっているのか、別々でいるのかは分からない。今は自分の走る姿をイメージして、呼吸を整える。


『On your marks』


 肩に力を入れて、すとんと力を抜く。

 競技場の外は暗闇。だけど私たちがいる場所にだけ人工の光が降り注ぎ、昼間には感じることの出来ない不思議な感覚がする。だけどやることは変わらない。ただ駆け抜けるだけ。


『Set』


 指に体重を乗せ、後ろ脚を伸ばす。ここからはもう何も考えない。


『バッ


 号砲に反射して全力で飛び出す。無意識でも前に進む。筋肉が脈動し体がきしむ。そして自分が風を切り裂いていくのを肌で感じた。




 気がついたら、目の前でユニフォーム姿の春香さんと赤羽さんがもの凄い笑顔で立っていた。息が上がって反応することができない。


「ケイ凄い!ぶっちぎりじゃん!」


「多分ベストタイムどころじゃないよ。ケイちゃん速い!」


「あ、あざっす」


 速い遅いのタイムや感覚はまだよく分からないけど、速くリザルトを見たいなと思った。


「さあ、みやの応援行くよ!」


 レースで火照った体に丁度心地よい風が吹く。スタート地点を見ると、周りと比べてひときわ小さなみやさんがスタートブロックの調整をして初めてのレースに臨もうとしていた。



―――



 クールダウンのジョグとストレッチをしてから、リザルトが張り出されているホームストレート大会本部に向かった。掲示板の前は私たちと同じレースを終えた選手でごった返している。順番を待って最前列まで来て、急いで数十枚のコピー用紙に印刷された全レースの記録の中から自分の種目と組と名前とタイムを探し出す。


「どこだ」


「ケイの記録あったよ」


「さんきゅ」


 隣にいる赤羽が指差しで教えてくれた。まず自分の名前が目に入る。組の中では1着だったから一番上に自分の名前があって少し嬉しい。そして視線を右に右に移していく。自分の名前を見てから自分のタイムを確認するまでほんの数秒、心臓がどきどきして、だけどワクワクして胸が高まる。


「……もしかして私って凄い?」


 前のレースを大幅に更新した自分のタイムを見て、思わず人ごみの中で呑気なことを言う。


「うん、凄い」


 赤羽に置いて行かれないようにと思わず赤羽の手を握り、そのまま人波に押し出されて集団から解放された。少し行った所に春香さんとみやさんを見つけた。……先輩2人も手をつないでいた。恥ずかしくて赤羽と手を放そうとしたけど、今度は赤羽の方から力を入れてきて離すことができなかった。


「メールで先生に今日の記録を送るから、後で2人のも教えてね」


 結局、2組とも手をつないで歩いて陣地に向かう。もう競技場の大きい照明は落とされていたから多少は目立たないはず。撤収作業のため手を離す直前、赤羽が小声で話しかけてきた。


「ねえケイ」


「ん?」


「ケイは私のために走ってくれてるんだよね」


「そうだよ」


「変わらないでね、そのままのケイでいてほしい」


 赤羽に誘ってもらったから私は陸上部に入った。だから、私が走る理由は変わることはない。


「変わらないよ……恥ずかしいこと言わせないで」


 少し顔が熱くなる。赤羽はもう一度ぎゅうっと力強く私の手を握ってから手を離した。まるで私が赤羽から離れていかないようにと確認するかのように。

 赤羽がいなくなったら私は陸上部はやめる。私は赤羽のために走る。だけどこの時、私が走るのは赤羽のため「だけ」ではなくなったことに、私は気づいたような気づかなかったような。


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