その4
幸せすぎて、目眩がする。
甘いケイの香りとケイの唇が私をおかしくさせる。
頭も痛くなってきた。
幸せ頭痛ってやつかな。
目の前のケイは不思議そうな顔をしている。
ん?
目眩と頭痛、段々強くなってきたぞ。
頭がガンガンする。
あ、これって……
「ケイ、水ちょう、だい」
「赤羽?ちょっと!」
この感覚は、真夏の練習中に一度だけなったことがある。
私としたことが、脱水症状だった。
四つん這いでケイに跨ったまま、全身の力が抜けて、ケイに覆いかぶさってしまう。
「ぐえ」
ケイは私の圧迫から脱出し、慌てて部屋から出ていく。体が動かなくなり、顔を上げる余裕もなくなった。
すぐにどたどたと足音が聞こえて、ケイが部屋に戻ってきた。
何とか私の上半身を起こして、ペットボトルを口元に当ててくれた。
朦朧とした意識の中でも、ケイの胸が私の後頭部に当たっていることがわかり、余計頭が熱くなった気がする。
「早く!これ飲んで」
冷たい。水分その他諸々が入ってきて、体が喜んでいることがわかる。
「プハァ~助かった」
程なくして目眩が収まってきた。持ってきてもらったペットボトルのスポーツドリンクを一気に飲み干し、安堵の声を出す。
「喉渇いてたなら言ってよ」
「いやぁ、ケイに夢中で気が付かなくて」
たははと照れ笑いを浮かべる。だけど、ケイは呆れた表情を崩さなかった。
「しんどくない?」
「ちょっとまだ頭が痛いかも」
心配はかけたくないけど、ケイに嘘をつくのも嫌だったから、正直に答える。
「じゃあ晩ごはんまで寝てな?できたら起こすから」
「そうする」
再びベッドに寝転がると、少しだけケイの香りが薄くなった気がした。
もう慣れてしまったのか、私のにおいが移ってしまったのか。
窓から入ってくるそよ風が心地いい。試合の疲れもあって、目を瞑るとすぐに眠りに落ちた。
―――
「赤羽、晩ごはんできたよ」
「んんー」
肩を揺さぶられながら目を開けると、ケイの顔が真っ先に目に入り一瞬混乱する。
眠る前は窓から差し込んでいた日は暮れて、部屋が薄暗い。
「え、ケイ?」
「赤羽寝ぼけてる?」
「晩ごはん……あぁ」
意識がはっきりと覚醒すると、体がとても軽くなったことに気づいた。精神的なものはもちろん、肉体的にもかなり回復したように感じる。
ベッドから起きて、大きく伸びをした。気持ちがいい。
「2階行くよ」
「よ、よろしくお願いします」
ケイの家族に混じることを想像すると緊張してきた。
後ろに付いて階段を下ると、カレーの良いにおいがした。
「小蒔さんおはよう」
「大丈夫?よく寝れた?」
菫ちゃんとケイのお母さんが声をかけてくれる。
「ご心配をおかけしました」
ケイの家族にも私がダウンした伝わっていたようで、少し恥ずかしい。
「それじゃ、いただきましょう」
野菜がごろごろ入ったアツアツのカレーと、生野菜のサラダ。
菫ちゃんと美空ちゃんが何かのテレビゲームの話で盛り上がっている。口ぶりからしてさっきまで一緒にやっていたようだ。勝った負けたで言い合いになり、ヒートアップした所でケイが「うっさいなあ」と乱暴になだめる。
普段見ることの出来ないケイを見て、自分が他人の家の空間にいることを認識した。
大きめの机を6人で囲んで、体も心も満たされる。ここ数年、こんなにも暖かな食事は食べた覚えがない。姉の件があってから私の家庭はどこか冷たかった。
こんな時間がずっと続けばいいのにと思って、目が熱くなってしまう。
「赤羽、泣いてる?」
ケイの一言で、家族みんなが心配そうな顔で私に注目する。
すると、いよいよ涙の制御ができなくなった。
「ぐす、そんなこと、ないです」
―――
両親には外でご飯を食べることは連絡しているけど、晩ごはんを食べさせてもらった後は、長居はせず早く帰ることにした。。
あれ以上一緒にいたら、自分の家に帰れなくなるような気がした。
「今日はありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ惠と仲良くしてくれてありがとうね」
「またね小蒔さん」
「赤羽さんでしょ」
ケイが菫ちゃんの頭をぽんと軽く叩く。私は「小蒔さん」でも全く構わないけど、それを言うタイミングは逃してしまった。
「駅までの道はわかる?送っていこうか?」
「いいよいいよ。それじゃ、失礼します」
歩いているうちに大通りに出るだろう。
今は一人で歩きたい。家に帰るまでにこの気持ちの整理はできるだろうか。
涙を流した目元が渇いて、皮膚がかゆい。
赤羽はドリンクを飲むとすぐに眠ってしまった。
赤羽が麦茶を一気に飲み干したときに、赤羽の疲れと脱水に気がつくべきだった。
「ごめんね赤羽」
起きてからもう一度言おう。
窓から吹き抜ける風で、少しだけ彼女のきれいな黒髪が揺れる。自然と視線が彼女の目元に移る。
「まつ毛長いな」
自分の方が多分身なりには気を使っているだろうけど、赤羽の方が美人だ。
ベッドの真ん中より少し壁に寄って、仰向けで寝息を立てている。きれいな寝顔だなと思った。
「……」
赤羽が寝ているうちに、自分も疲れたし妹の部屋で昼寝しようと思った。2人ともリビングのテレビでゲームをしているから、部屋は空いている。だけど、
「赤羽が途中で具合が悪くなったらダメだし、誰か看てないとだよね」
誰に言っているのか分からない言い訳をして、そおっとベッドに忍び寄る。
片手と片足をのせ、ゆっくりと体を横にする。
シングルベッドに2人で並ぶと、やっぱり狭い。少し動くとすぐに落ちそうだ。
それに、肩と肩が当たって、真横ではすうすうと赤羽の胸が上下している。
「…………だめだ、寝れる気がしない」
穏やかな赤羽に対して、私の胸の鼓動は更に速くなってしまった。
起こさないように再びゆっくりと起き上がって、彼女を見下ろす。今度は、さっきまで私とゼロ距離だった唇に目が行く。そういえば自分からキスをしたことはない。断られるの嫌だし。
だけど、今だったら……
腰を曲げて、背中を丸める。赤羽との距離が近づく。赤羽が起きる気配はない。
「っ」
私の唇はいつもよりも硬い感覚を脳に伝えてきた。
おでこが限界だった。
逆に、おでこだとしても自分から口づけができたということにしておこう。
『拒絶アレルギー』の克服が少し進んだんだといい方に考えよう。
「おやすみ」
足音を立てないように気をつけて進み、細心の注意を払ってドアを開けて部屋の外に出た。
その後の昼寝は、どきどきしていつもより深く眠れなかった。