幕間 ノエルの回想
イギリス人の父と日本人の母の間に生まれた私は、大学の講師をしている父の転勤の都合で、その都度転校を繰り返した。小学校は3つ行った。東北地方の小学校を卒業したと思ったら、また引っ越しだった。
中学校生活も全く新しい場所でのスタートになった。友達はゼロだし、前にいた地方から遠くかけ離れている。住居を転々と振り回される両親が嫌いというわけではない。だけど、転校するたび、今まで築いてきた自分という存在がリセットされてしまう。12歳ながら人生に虚しさを感じていた。
そんなことをぼんやり思いながら、中学最初のホームルームが始まった。出席番号1番の人から自己紹介をするらしい。
ウェスト乃英流。それが私の名前。出席番号は2番。まずは私の前の席の1番の人が椅子を引いて立ち上がる。
「赤羽小蒔です。部活は陸上部に入りたいと思っています」
堂々として自信に満ちたその顔は、少し羨ましかった。
控えめな拍手が鳴りやみ、私の番になる。
「私はWest乃英流」
すると、どこからか、クスクスと私をからかった様な笑い声が聞こえた。後から聞いた話だと、「West」の発音が、日本人にとって馴染みがなくて面白かったとのことだった。その時はそんなことは知る由はなく、自分を否定されたような気持ちがして、とても悲しかった。
次の言葉を発することができずうつむいていると、前の席の赤羽さんが立ち上がり、声を上げた。
「みんな!ここで笑うのって良くないんじゃない?」
私は前の席の赤羽さんに救われたのだった。
―――
私は赤羽さんと友達になり、一緒に陸上部に入った。気づけば小蒔と呼んでいた。
同じ短距離の種目で、1年生の春からリレーのレギュラーになった。小蒔にはお姉さんがいて、その人もとても足が速かったらしい。3年生の先輩が「育実さんの再来だ」と喜んでいた。
そして私にも案外と陸上の才能があった。小蒔には勝てないものの、小蒔と共にリレーのレギュラーメンバーに入った。リレーでは、小蒔が二走で、私が三走。小蒔からバトンをもらうと、背中を押してもらうような感じがして力が湧いた。
順調に思えた中学1年の6月だった。
「育実が、お姉ちゃんが陸上をやめたの」
小蒔は泣いていた。
小蒔がお姉さんを好いていたのは、普段の会話から分かっていた。「お姉ちゃんみたいに走りたい」が口癖だった。
「小蒔は小蒔じゃん。一緒に頑張ろうよ」
「だけど、私なんか、私には無理」
「なにが?」
「今度は私に全国大会に、出ろだなんて……できない」
高校2年生の小蒔のお姉さんは、全国大会まであと一歩のところで負けてしまったらしい。少しずつ問い質していくと、お姉さんは家族やコーチ、そしてチームメイトから凄く期待されて、それがプレッシャーだったとのこと。
「(プレッシャーに負けるなんて一流じゃななくない?)」
期待に押しつぶされて挫折して陸上をやめた小蒔のお姉さんに対しての、私の正直な気持ち。だけど、決して小蒔には言えない。小蒔はお姉さん思いだから。
その日から、走るときの小蒔は、まるで機械のように表情がなくなった。
私にバトンを渡すときの、小蒔の眩しい笑顔は二度と見ることができなかった。
小蒔はお姉さんの代わりになったつもりなのだろうか。
「……小蒔」
「なに?」
「全国に行こう。一人じゃ無理でも、リレーで全国目指そうよ」
小蒔を全国に連れて行き、お姉さんの呪縛から解放しよう。そして、元の小蒔に戻して、笑顔の彼女と一緒に走りたい。
気が付けば、私は小蒔より、そして部の誰よりも速くなっていた。
―――
3年生の8月。見事私たちは全国大会、「全中」に出ることができた。
優勝とまではいかなかったけど、小蒔を全国に連れていくことができた。これでやっと、元の小蒔に戻り、一緒に楽しく走れる……はずだった。
「小蒔、私たち同じ高校に行かない?」
全中の後、県内で強豪の高校からスカウトが来て、私と小蒔を推薦でどうかという話を持ち掛けられた。
私は高校でも小蒔と陸上をしたかった。2人で新しい景色を見に行くことを望んでいた。
「考えておくね」
だけど、結局私たちは別々の高校に進んだ。小蒔は「両親に、高校では勉強も頑張れと言われたから」と言っていたけど、真相は分からない。
それに、全中に出てからも、小蒔は笑顔で走ることはなかった。
「小蒔はなんで陸上しているの?」
私は小蒔に「楽しく」走ってほしい。だけど、中学卒業というタイムリミットがすぐそばまで来ていた。だから思い切って本人に聞いてみた。
「んー、わからないや。やらなくちゃいけない気がするから、やってる感じ?」
「……まるでSpring dollね」
「スプ……なに?」
「なんでもない」
ぜんまい人形。自分の気持ちなんて関係なく走るだけしかできない、まるでぜんまい人形のように感じた。
「同じ高校に行きたかったけど、仕方ない。高校では違う学校の選手として勝負しよう」
「ごめんねノエル。いつかもう一回勝つからね」
小蒔が笑顔で走れるようになる日は来るのだろうか。問題は先送りになってしまったけど、同じ陸上競技をしていれば、違う高校に行ってもきっとどこかで繋がっている。
いつかの未来を信じて、私は走り続ける。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次話から、ケイ視点から赤羽視点に変わります。




