その1
ケイ 〈伊藤惠〉
陸上初心者。髪は茶髪、スパイクは蛍光イエロー。
赤羽に誘われたので入部した。
赤羽 〈赤羽小蒔〉
アスリート体型。走るときは伸ばした髪をひとまとめにする。
ケイに頭を撫でてもらってから、”もにょもにょ”が増えた。
第2章です。
赤羽視点になります。
総体の地区予選が終わった。
1年に1回の大会で、5月の地区予選から8月の全国大会まで繋がる高校陸上の花形の大会。
ゴールデンウィーク明けの、最初の土曜日と日曜日の二日間。
個人種目で6位以内に入ると自動的に県大会に進める。私は100mで地区3位。200mでも地区4位を獲ることができた。そして家に飾るメダルと表彰状がまた増えた。
今までは、タイムに一喜一憂して、次はこう走ろうとか、自分に足りないのは何処だとかを考えて、「さあ次の大会だ」と前を向いてきた。
しかし今回はイマイチ大会が終わった実感がない。脚のダメージや疲れはあるけれども、何かやり残したことがあるような胸のしこりが残っている。
―――
大会の次の日の月曜日は練習はなく、放課後は直帰した。家に帰るとダイニングに飾ってある私と姉で獲ったトロフィーやメダルが迎えてくれるけど、その日はまっすぐ自分の部屋に入っていった。
火曜日の放課後。
ホームルームの挨拶をして、グーっと背伸びをしていると、後ろの席から声が聞こえた。
「赤羽、部活行こっか」
後ろの席のケイ。まさか私の勧誘で入部してくれるとは思わなかったクラスメイト。垢抜けていて、化粧をしていた時はジャージも似合わなかったぐらいだけど、いつの間にか一緒に行動するのが当たり前になっていた。
「うみゃ」
うん!と言おうとしたら、伸びの余韻が出てしまった。
「きょ、今日のメニューは何かな~」
誤魔化して、雑なフリで場をつないで、教室を出る。
ケイはいつも通りクールに「さあ?」と一言。
どうも、気持ちが次の大会に切り替えられない。地区の次は県。段々規模が大きくなって大会は続いていくのに、過ぎ去ったことを思い出す。
「一昨日の100m、ケイの応援がよく聞こえたよ」
日曜日は100mの決勝があった。部員総出で、私と春香さんのレースを応援してくれた。
みやさんは声が高いからとてもよく聞こえたけど、ケイの声もよく聞こえた。「赤羽ファイト!」って。
「応援してくれてありがとう」
えへへとお礼を言うと、ケイは調子を崩さず返事をした。
「赤羽、かっこよかったよ。ノビが凄くて」
「あ、あー。うん」
淡々とした言葉で褒めてくれた。
ノビとはレースでの走りの伸びだろう。今の背伸びとは関係ないはず……
どっちのことか迷ってしまったから、リアクションが取りづらかった。
―――
今日の練習は、まったく身が入らなかった。魂が置いて行かれたような、心ここに非ずとはこのことだろう。
自己ベストで6位に入り県大会を決めた春香さんとは大違いだ。
「赤羽」
反省と疑問が交互に浮かび出る。
「赤羽ってば」
「へ?」
「もう学校出なきゃ。門閉まっちゃう」
ハッと気づくと、部室には私とケイだけだった。春香さんとみやさんは先に帰ったみたいだ。
目の前には、制服に着替えて荷物を持ったケイが不思議そうな顔をして立っていた。
「調子悪いの?疲れてる?」
ケイが私に心配の声をかけて、少し首をかしげる。
あ……
一瞬、意識が凝縮される。
明るい髪。
長いまつげ、クリクリとした目、ピンクの唇。
裾の短いスカート。
汗のにおいに混じった、制汗剤の香り。そして、ケイの甘いにおい。
「……ねぇ、ケイ」
「ん?」
私の胸のしこりの原因が分かった。分かってしまった。
「この後、時間ある?」
ケイの指先に目線が移る。
「いいけど、ここから電車の駅と私の家の向き、反対だよ」
「ちょっとでいいの、ちょっとね」
ケイは、私のお願いを聞いてくれるだろうか。
「わかった。自転車取ってくるから、門の出たとこで待ってて」
そう言ったケイは、部室棟から校門へ向かう途中で道を外れて、駐輪場へと歩いて行った。
……緊張して汗ばんできた。
さて、どうやって頼んだら、もう一度頭を撫でてもらえるだろうか。
離れていくケイの背中を見つつ、足りない頭を必死に働かせた。