5 絶賛王都脱出中
「……不愉快で、不服で、不満だわ。陸に打ち上げられた魚のように飛び跳ねて移動するよりも、こっちの方がよっぽど無様だと思うんだけど……セラクはどう思う?」
「うん、まあ、そうだな……否定はしないでおく」
俺はクレイを抱えて地下牢を出たあと、人がまばらな城内をひっそりと移動し、城の正門まで辿り着いた。しかし、時刻は既に深夜。正門は閉じられていたため、夜間の見張りを担当する兵士たちのために解放されている別の門まで行き、なんとかそこから脱出した。夜は気を抜いている奴が多くて助かる。
そして、王都の住民が寝静まっている中、昼間は多くの人で賑わっている城下町の大通りを歩きながら、周囲に人がいないことを確認して――話し声で気付かれないよう、城を出るまでは喋らないようにと伝えていたクレイに声を出すことを許すと、彼女は一言目に、自らの状態についての意見を求めた。
人間に抱えられて運ばれるのが名誉な生き物はいないとはいえ、人と敵対している魔族なら尚更だろう。
しかし。
「他に方法がないんだ。我慢してくれ」
「人影もないみたいだし、私、やっぱり自分で歩くわ」
「いや、今は一刻も早くこの大通りを抜けたい。だから俺がお前を抱えて移動する方が早い」
「でも、私を抱えたままだと……」
「気にするなよ。別に重くはないぞ」
「そんなことは一言も言ってませんけど!?」
「じゃあなんだよ」
「だから、その……色々と、迷惑が掛かるっていうか……」
どことなく遠回しに、クレイは恥ずかしそうに言う。
「……私、五日も牢屋に閉じ込められてて、身体とかも、その……あれだし……」
「ああ、なるほど」
そういうことか。
「重ねて言うが、気にするな。というか魔族も風呂に入るんだな」
「そりゃまあ、人並みにはね。いや、人じゃないけど。……だから、気にするなと言われても気になるのよ」
「俺は別に気にならない。冒険中は数日間ロクに水浴びすらできない事も多々あるしな」
「セラクは気にしなくても私はするの! 私はずっと、敵が攻めて来ない魔王の根城でのうのうと暮らしていた温室育ちなんだから!」
「分かった! 分かったから叫ぶな! 誰かに聞かれるかもしれないだろうが! そんなに気になるなら、この先の広場に噴水があるからそこに投げ込んでやろうか?」
「そこって深い? 両手両足を縛られた状態でも溺れないかしら?」
「入る気かよ……」
冗談のつもりだったのに……。
「なに愕然とした顔をしてるのよ。冗談に決まってるでしょ」
「……ああ、冗談か。てっきり本気なのかと……」
「そんなわけないでしょ。人に冗談を言っておいて、自分だけ真に受けるんじゃないわよ」
「……次から気を付ける」
「分かればいいわ。まあ、こういうイレギュラーな状況だから百歩譲って、身だしなみの整っていない乙女を抱えることは許すけど、まだ目的地を聞いていなかったわね。一体どこまで行くつもり?」
乙女って……まあいいか。
つっこまないぞ。どうせ冗談で言ってるんだろうから。
それより、クレイに説明をする方が優先だ。
「とりあえず、まずは王都の外に出る。それから夜明けまでに近郊の街に移動して、そこで時間を潰す。夜になったら、お前の鎖にかけられた術式を解ける魔術師を捜す」
「そんな人いるの? だってこの鎖、罪人を捕らえておく物でしょ? それを解いてくれって訪ねてくる奴なんて、兵士に通報されるのがオチじゃない?」
「ああ、そういう画が簡単に想像できるな。鎖を付けたまま街中を歩く奴なんて、脱獄してきたとしか考えられない」
「あと、おまけに私は魔族よ。街中で人間の前に現れようものなら、即座に通報されるわ」
「俺たちには通報される未来しかないのかよ……」
「見切り発車にも程があったわね。どうする? 今ならまだ、大人しく地下牢に戻ってあげてもいいわよ?」
そう、クレイは言った。
「地下牢の番をしている兵士に、どうやって鎖を切って逃げたかを聞かれても、口を割らないでいてあげる。セラクの名前は死んでも出さないわ」
「……お前が俺にそんなことをする義理はないだろう」
「なくはないわ。あなたのお仲間の……ほら、誰だったかしら? 白いローブを着た黒髪の美人……」
「エリティアのことか?」
「フフ、黒髪の美人という部分で判断したの?」
「……白いローブの部分だ」
というかそもそも、うちのパーティで美人という言葉が出てくると、4人の内3人は男なんだから、消去法で一人だけになるのは当然だった。
わざわざ言い訳をする必要はなかったな。
「そのエリティアっていう魔術師もね、ちょくちょく私に会いに来てたのよ」
「……あいつが?」
「ええ、『ごめんなさい、こんなことになってしまって。私にはこうして謝ることしかできないし、あなたからすれば、私なんかに謝られても意味はないと分かってるけど、それでも……本当にごめんなさい。こんな、どうしようもないエゴをぶつけてしまって……』――って、まるで懺悔室みたいに謝り倒すのよ。聞いてるこっちが申し訳なくなってくるくらい」
「……それはすまなかった。リタにも罪悪感みたいなものがあるんだと思う。魔王は敵だったとはいえ、ああいう方法は――」
「別にあの魔術師に対しては怒ってないわ。私が許せないのは、直接父に手を下した2人よ」
「…………」
クターニーと、カサマか……。
「正直、私はあの2人を殺したいと思っているわ。今は到底勝てっこないけど、もし自由になったら、私はいつか絶対アイツらを殺す。セラクもそうなったら困るでしょ? だから、今ならまだ――戻ってあげる。それがお互いのためよ」
努めて明るく、クレイは言う。
やたらと冗談めかして、しかし、決して嘘ではなく、紛れもない本心で、そう言う。
クレイにそんなことを言わせてしまう自分を情けなく思うのと同時に、俺がどれだけ頼りがいの人間だったとしても、少女はそのセリフを口にしたのだろう――とも思う。
だから同じように返すことにした。クレイが、魔王である父親を殺されるという酷い仕打ちを受け、それをやった人物を深く憎んでも、それでもなお、あくまでも人間を気遣い、自分の身をないがしろにしているように、俺はクレイを逃がすのにどれだけの困難が待ち受けていようと、今更後戻りする気はない。
だから言った。
「……クレイ。俺たちはこれまで、多くの魔物や魔族を討伐してきた。だから当然、逆に手を掛けられる覚悟もできてる」
「それって見捨てているようなものじゃない。セラクは仲間が大事じゃないの?」
「大事さ。まあ、今回の件で色々と思うところはあるけどな。それでも一応、今まで一緒に戦ってきた仲でもある。……俺はクレイとあの2人の間に干渉しない。平等に、公平に機会を与えられるべきだと思う。クレイはクターニーたちに復讐する機会があって、クターニーたちはそれを返り討ちにする機会がある」
「……ふうん。本当にそれでいいのね?」
「ああ」
「……じゃあ、少し、待って」
身体の力を抜き、無言で顔を伏せるクレイ。
葛藤し、深く考え込んでいるのだろうが、他人の脇腹に抱えられた状態でそんなことになられると、それはまるで気を失った子供を運搬しているような、なんともいえないシュールな光景を生み出してしまう。
とはいえ、それを口には出さず、黙々と歩く。
そして、ちょうど噴水のある広場に差し掛かった頃――
「……いいわ。じゃあ、そういうことにしておきましょうか。ただ素直に、クレイが死ぬのが嫌だから地下牢には戻らない――と言ってもよかったのよ?」
無邪気――とは表現できない悪い笑顔を見せながら、クレイは言った。
「……はいはい。長々と黙っていての開口一番がそれでいいのか?」
……まあ、当たってるけどな。
絶対に言わない。
ここは話題を戻そう。
「しかしまあ、クターニーとカサマと戦うのは、個人的には賛成できないな」
「……む。なによ、やっぱりあの2人が大切なんじゃない」
「違う。むしろお前の身を案じているんだ。あの2人は人間の中じゃトップクラスの実力だぞ。魔物に対しての非情さも兼ね備えているし、そういう意味じゃ俺より厄介だ。クレイがアイツらを倒せるようになるとは思えない」
「私を舐めてるわね」
「舐めてない。事実だ。現状、クレイはクターニーたちの脅威にはならない」
「くっ……腹の立つ言い方を……手始めにセラクから倒そうかしら」
「いいな、それ。挑戦はいつでも受け付けるぞ」
「セラクは心優しいんでしょう? 王都の人間を人質に取ったら簡単に勝てそうだわ」
「甘いな。クレイが一度ここを出たら、もう戻っては来れないぞ。近郊の街を突破されない限り王都に魔物が入り込むなんてことはないし、王都の周りの街には優秀な冒険者が集まるから、どんな凶悪な魔物だろうと撃退できる。人間の領地の中で最も安全な場所と言っても過言じゃない。多分、王都に入った魔族はクレイが初なんじゃないか――」
――ドグォン!
「……!?」
王都に4つ設けられた入り口の1つ――南門がある辺りから、大きな破壊音が聞こえた。一瞬遅れて、黒い煙が立ちのぼる。
ここからだと少し距離があるので、まだ、その全貌は分からないが……。
少なくとも、こんな深夜に人間同士で戦闘が始まるほど治安の悪い街じゃない。
となると襲撃だよなぁ、あれって……。
「ねえセラク。あなた今、ここは人間の領地の中で最も安全な場所と行っても過言じゃないとかなんとか、言わなかった?」
「……言った。撤回する」
「それと、ここに入った魔族は私が初めて――とも言ったわね?」
「……それはまだ言い終わってなかったからセーフだ」
「別にどっちでもいいけど――もう2人目が来たみたいよ。いえ、2人目なんてもんじゃないわね。王都に侵入した魔物の数、一気に三桁くらい記録更新しちゃうんじゃない?」
「不吉なこと言うなよ……」