43 遥かなる地下牢にて
……まずいぞ。
いや、まずいなんてもんじゃない。
「ストーップ! 姉さん! アルジーラさん! 一旦落ち着いてくれ!」
「ああ! この女を大人しくさせたらな!」
「そんな状況は訪れないわ! いい加減諦めたら?」
「…………」
……もう何度目だろう。そのセリフを聞いたのは。
ほんの五分ほど前に地下牢で勃発した姉同士の戦いは、ただただ激しさをましていくばかりだった。
ラミス姉さんの魔槍が地下牢の床や壁を破壊し、アルジーラさんのインフェルノが地下牢の壁や床を焼き溶かしていく。
つまり、だ。
このままだとブラコンとシスコンのせいで城が壊れる……!
そんな原因で建物が壊れていいはずがないってのに……!
「姉さん! ここまで派手に戦えば流石に物音を聞きつけて誰か来てもおかしくな――」
「――セラク! なにこれ!? どうなってるの!?」
階段を駆け下りてくるなり、エリティアは驚愕した。
「おお、来たかエリティア。見ての通りだ。俺の姉さんとクレイの姉さんが戦ってる」
「セラクは止めに入らないでいいの!?」
「あの二人の間に入ったら死ぬ。俺たちじゃもうどうしようない。今からでもクレイを呼びに行こう。一緒に――」
俺がそこまで言いかけた時、地下牢の中に見覚えのある魔力が渦巻いた。
そして、その渦の中から出て来るオークと少女。
「――うん。状況は全く分からないけど、大変そうってことは分かるわ」
「クレイ!? どうしてここに……ゴルビーまで……」
「ゴルビーが思ったより早く来てくれたから今日中に王都を出られそうなのよ。どう? 心の準備は出来てる?」
「ああ、もちろんだ」
「ねぇクレイちゃん。私も一緒に行きたいんだけどいいかな?」
唐突に、エリティアは言った。
「……いやいやいや、いきなり何言ってんだお前」
「行くったら行くの。もう勇者パーティもクビになっちゃったし、セラクだって怪我を治してくれる人が必要でしょ?」
「それはそうだけど、でも……」
「私は別に、エリティアが良ければ構わないわ」
「……構えよ」
「そういうわけだからゴルビー、今度は魔力渦を王都の外に繋げておいて。お姉ちゃんを落ち着かせた後、この二人も私たちと一緒に行くから」
「……もう何を言われても驚かねぇよ」
ゴルビーは質問も反論もせず、ただただ了承して新たな魔力渦を作り始めた。
なんか色々とあったみたいだな……。
「さてと、じゃ、あとはお姉ちゃんだけね。……ところで、私のお姉ちゃんと戦っているあの人は誰?」
「俺の姉だ」
「セラクの? へぇ、あの人が……」
と、クレイはスタスタと姉と姉が戦っている地下牢の奥まで歩いて行き、声を張り上げた。
「アルジーラお姉ちゃん!」
もうやめて、とか。止まって。だとか。そういうことは一切言わずに、クレイはただ名前を呼んだ。
しかし、ただそれだけでアルジーラさんは動きを止め、声がした方へ目を向け、そこに立っている少女の姿を見て――自らの周囲に纏っていたインフェルノを打ち消した。
「ク、クレイ……?」
「そうよ。私よ、お姉ちゃん」
「な、なんてことなの……」
力なく脱力し、バタリ、とその場に倒れ込むアルジーラさん。
「お姉ちゃん!? 大丈夫!?」
クレイは急いでアルジーラさんの元へ駆け寄り、身体を起こす。
それと入れ替わるような形で、ラミス姉さんは戦闘状態を解いてこちらに歩いて来た。
「……姉さん、やりすぎだ。アルジーラさんをあそこまで追い込むなんて」
「私のせいじゃない。トドメを刺したのはあのクレイとかいう子だ」
「え?」
「ほら、見てみろ」
姉さんがアルジーラさんとクレイの方をアゴで指したので、そちらに顔を向ける。
「お姉ちゃん、どこか怪我したの? 大丈夫?」
「いいえ、クレイがあまりにも可愛かったから腰が抜けてしまって……」
「……へ?」
「その髪型。その服装。驚異的に似合ってるわね。私、今のクレイを十秒見つめたら、それだけで悶絶して死んでしまいそう」
と、アルジーラさん。
「……だとさ。な、私のせいじゃないだろう?」
「ああ、そうだな……」
まったくどいつもこいつも、姉っていうのはどうしてこう……。
「……ゴルビー、お姉ちゃんを運んであげて」
多少呆れたような表情で、クレイはゴルビーを呼ぶ。それにも文句ひとつ言わずに応じるゴルビー。
既に転移魔法の出入り口は作り終えたらしく、地下牢の空中には大きな魔力が渦巻いている。
「よいしょっと」
ゴルビーは軽くアルジーラさんを抱え、クレイと共に魔力渦の元へ連れていく。
「……あら、久しぶりねゴルビー。あなたもクレイを助けに来ていたの?」
「まあそんなところだ」
「だけど、あなたの一族は父の支配下から離反したはずじゃ?」
「ああ、だから追い出された。今の俺はただのはぐれオークだ」
「クレイのために行動したのに追い出されたの? いくら反魔王はとはいえ、あの子の尊さが理解できない種族は私が燃やし――」
「燃やさなくていい」
「あら、そう。……ああ、待って。まだ渦には入らないで」
魔力渦の直前でアルジーラさんはゴルビーを止め、ラミス姉さんに向き直った。
「ラミス、クレイの可愛さ……あなたにも伝わったかしら?」
「ああ、伝わったよ。伝わったからさっさと行け」
「……それとね、私はこの街に入るために魔力を相当消耗してきていたから、この戦いは本来の五分の一程しか実力を出せていないの。あなたは割といい勝負ができたと思っているのでしょうけど、違うのよ?」
「まあ違うだろうな。王都のゴタゴタのせいで、私は一昨日から一睡もしていない。寝不足で普段の十分の一くらいしか力を出せなかったが、それで五分五分ということは、まあ、そういうことだな? アルジーラ」
「……ゴルビー降ろして。私はまだ戦えるわ」
「張り合うな。いいからとっとと行くぞ」
「いいから離しなさい」
取り合わずに渦へ入ろうとするゴルビーの腕を、アルジーラさんは両手で叩いた。
「痛ぇな。手ぇ怪我してんだからあんま叩くな」
「……あら、本当ね。ひどい怪我じゃない。インフェルノで焼いて応急処置をしてあげましょうか?」
「断る。放っておけば治る」
「……あ、だったら私が治しますよ!」
と、あまりに慌ただしい状況で呆気に取られていたエリティアが思いだしたように言って、クレイたちのところへ走り寄る。
「てめぇ人間だろ? 魔族を治していいのかよ」
「誰であろうと怪我をしているなら治します。これからお世話になるわけですし、私は治療くらいしかできないのでこれくらいはさせてください」
「……そうか。じゃあ向こうで頼む」
「うーん……ねぇクレイ? どうして人間を連れていくの? 私はその必要性を感じな――」
「私の服を選んでくれたのはセラクで、今の私の髪を仕上げてくれたのはエリティアよ」
「そう。だったら必要ね。こうもクレイの可愛さを際立たせることができるのなら、攫ってでも連れていくべきだわ」
「…………」
ひと悶着起こりそうな雰囲気が一瞬で消え失せ、ゴルビーはアルジーラさんと共に魔力渦へ入っていった。
「じゃ、私は先に行ってあのオークを治療してるから」
と、エリティアもそれに続く。
この場に残っているのは――俺とクレイ、それからラミス姉さんだけ。
「あの、姉さん。俺……」
「分かっているとも。既にエリティア嬢から聞いている。引き留めはしないさ。ただ、最後に一つだけ忠告だ」
「……忠告って?」
「ああ、それはな――」
言いつつ、姉さんはいきなり俺を抱きしめた。
強く、力強く、それこそもう、痛いくらいに。
「ね、姉さん!? なにを……」
「この先、もしお前が間違った道を歩もうものなら――たとえ弟だろうが容赦なく叩きのめす。いいな?」
「……覚悟しとく」
「よし。いい返事だ。死ぬ気で頑張れよ。じゃないとお姉ちゃんが直々に殺しに行くからな」
「怖いって……」
「フフ、大きな目標を持つならこれぐらいのリスクは背負っておけ」
そんな冗談を交えながら姉さんは身体を離し、俺の肩をバンバンと叩いた。
「さて、それじゃあな。ここでの騒ぎを聞きつけた城の奴らが起きて慌てふためいているだろうから、状況の説明に向かわなくては。はぁ……なんて言い訳をすればいいんだろうな……」
「あ、あの……」
ため息をついて重い足取りで階段へ向かう姉さんを、クレイは呼び止めた。
「ごめんなさい。お姉ちゃんがたくさん迷惑をかけてしまって……」
申し訳なさそうにペコリと頭を下げるクレイに対し、姉さんは口角を上げて――
「いやぁまったく、あんな傍若無人な姉には勿体ない妹だな。そうだ、アルジーラには頼めないから代わりに君にお願いしよう。クレイちゃん、セラクとエリティア嬢を――よろしく頼むよ」
「あっ……えっと……は、はい……」
そんな拙いクレイの返事を聞き届け、ラミス姉さんは満足そうに階段を上がって行った。
「さあ、それじゃ俺たちも行こう。……これって普通に入って大丈夫なのか? なんか怖くない――」
「……ねぇ、セラク」
恐る恐る魔力渦に脚を踏み入れようとしていると、クレイに服の裾を掴まれた。
「なんだ? どうした?」
「その……お姉ちゃんたちと合流する前に……セラクにお礼を言いたくて……」
「なんの?」
「全部よ」
魔力の扱いについては既にお礼を言われていたので心当たりがなかったが……全部ときたか。
「命知らずだった私を殺さずに生かしてくれたこと。しかもそこから助け出そうとしてくれたこと。王都から出られない私を家に匿ってくれたこと。脱出する方法を模索してくれたこと。魔力の扱い方を教えてくれたこと。……正直、またお姉ちゃんに会えるなんて夢にも思っていなかった。……だから、セラクにしてもらったこと全部……全部に感謝しているわ。あの時、ここに捕まって私を助けてくれて、どうもありが――えっ……?」
クレイの言葉を遮るために、俺は彼女の手を握る。
「どうしたの? あの、私、そういう情熱的なのはまだ心の準備が……」
「……違う。前にも言ったが、お前が俺に礼を言う必要はない。ただそれでも、どうしても言いたいというのなら止めはしない」
「……止めてるじゃない」
「まだ早いんだよ」
――そう、まだ早い。
とはいえそれは、人間と魔族が和解するまでは――なんて遠い先の話でもない。
ただほんのちょっとだけ、数秒早いだけだ。
「いいかクレイ、そういうことは実際に助かってから言え」
――と。
俺は燃えるように熱いクレイの手を引いて――魔力の渦に飛び込んだ。




