30 クレイ・ニアヴェルディの憂鬱
「インフェルノ。インフェルノ……何にしようかしら。うーん……」
魔力で生成した炎を操り自分の周りに滞留させながら、銀髪の少女、クレイ・ニアヴェルディは悩ましげに唸った。
彼女はセラクから「俺がいない間は一人で外に出るなよ」と言伝を受けていたため、室内で魔法の鍛錬にいそしんでいた。
「ミストとベールは妹たちが名付けてたし……ルミナリエ……うん、私のはインフェルノ・ルミナリエにしましょう。これならお姉ちゃんたちとも被らないし、なにより独創的だわ。時間を掛けて変にこだわるより一瞬の閃きを大事にしましょう。フフ、完璧ね……っと」
自らの魔法に命名したことで満足し、既に練習に飽きてきていたことも手伝って、クレイは颯爽と炎を打ち消しベッドに倒れ込んだ。
「……ふぅ」
そして、ぼんやりと天井を見つめながら、
「ゴルビー……」
そう呟く。
オークの準純血種【ハッドグレーオーク】ゴルビーの王都強襲。その件について、人知れず、密かに、クレイ・ニアヴェルディには引っかかっている事柄があった。
……魔王を裏切るということは、あなたが好きだったアルジーラお姉ちゃんを裏切るのと同義で、実際そうなっているのに。昔は「俺は何があろうとアルジーラについて行くぜ。お前こそが次の魔王にふさわしい」とまで行っていたのに、どうしちゃったの?
「…………」
……ただ、ゴルビーがまだアルジーラお姉ちゃんを想っているのなら、この間の理詰めされていない間抜けな行動にもある種の合点が行く。もしかしたら本当に、ゴルビーは私を――
「……まあ、もう確かめようがないわね」
クレイは自分に言い聞かせるように投げやりな言葉を口に出し、思考を切り替えようと寝返りをうった。
「……魔力を消耗して疲れちゃった。だけど勝手にパンを食べたらまたセラクに怒られるだろうし……」
――セラク・ラーミック。
人々から羨望の眼差しを受ける高潔な勇者を辞めてまで、彼が自分の手助けをしてくれる理由が、クレイ・ニアヴェルディには分からない。
仲間が自分の父親を狡猾に殺めてしまったことに罪悪感を覚え、せめてもの罪滅ぼしをしようとしているのか。普通に考えるのならそうだろう。それ以外に理由が思いつかない。
……しかし、だとしたら、私がこの街から出られるようになった時、彼はどうするのだろう。私を無事に逃がすという目標は達成されるわけだから、そこで別れることになるのが当然ではある。「あの時、私を牢屋から連れ出してくれてありがとう、セラク」。「ああ、元気でな」……そんな会話を交わして離別するのが、自然ではある。
だから、もう、あまり長い間一緒には……いられないのだろう。それこそ、今日にだって王都を出られるようになるかもしれないわけで。
ただ、浅ましくも彼の優しさに付け込んだ考え方をするのなら、彼は私を心配して、私が姉たちと合流するまでは行動を共にしてくれたりするのかもしれない。
「…………」
……だけどそのあとは?
私が姉たちと合流したあと、彼はどうする?
既に死んだ人間となってしまった彼は、どこかの小さな町で、正体を隠しながら一人で細々と暮らしていくのだろうか。
それは紛れもなく――私のせいだ。
私は、彼の生き方を狂わせてしまった。
無鉄砲だったせいで。
無力だったせいで。
「……はぁ、ジッとしてるとこんなことばっか考えちゃうわね」
少女は無理矢理ベッドから身体を起こし、立ちあがる。
……せめてなにかお返しがしたい。セラクの選択が無駄ではなかったことを示したい。彼だけではなく父に対してもだ。魔王ディアグレイの娘として「ニアヴェルディ」の名に恥じない存在になりたい。
私なんかがなれるとかなれないとか、そういう現実的な問題を一切除外して考えた場合、私は――
父が望んでいた魔王になって。
セラクが目指していた平和な世界を作りたい。
それがきっと――今の私がやりたいことなんだろう。
「魔王、クレイ・ニアヴェルディ……か。うん、良い響きね」
……とはいえ今日のところは、もっと短い時間で完結するお礼を選択するべきだろう。
「……そうだ。たまには私が夕飯を作ってあげようかしら。私がじゃんけんに強いせいでセラクはいつも床で寝ているし、なにか埋め合わせをしなくちゃね。よし、そうと決まれば、まずはお風呂に入って英気を養いましょう。いつもより大分早いけど、ま、いいわよね」
そう言って、家に誰もいないのをいいことに、リビングで服を脱ぎながら脱衣所に向かうクレイ。
そんな少女の言葉には――少しだけ語弊があった。
勝手にパンを食べるから怒られるのではなく。
勝手にパンを食べ尽くすから怒られるのだ。




