2 魔王ディアグレイの死
「ぐぅ……!」
立派なイスがいくつも並ぶ絢爛な空間で、そこにふさわしくはない――低い唸り声が響いた。
声の主は魔王――ディアグレイ・ニアヴェルディ。退魔の加護がかけられた剣が突き刺さった腹部から血を流し、その場に倒れ込む。
何が起こったのか――理解が追いつかなかった。
その日は、人間にとっても、魔族にとっても、重要なイベントが執り行われる日だった。
勇者一行と魔王が直接相対し、今後の人と魔族間の関係について相談する、そんな日だった。
両陣営の使者が幾度も幾度も交渉を重ね、ようやく実現した催しだった。
会談の場所は、魔族が暮らしている城の内の一つ。王都から最も近い地域にある、城というよりは洋館と言った方が似合っている建物だった。
魔族側はここを指定し、「会談の際は、城の近辺や城内には魔王以外の魔族は滞在させない」という破格の条件で提案してきた。
人間側はその誠意を汲み取り、「こちらからは、武器を携帯していない勇者のパーティ4名を向かわせる」と応じた。
長く続く敵対関係にお互い疲弊していた、という背景もあって、交渉の舞台は平和的に整った。
人間と魔族が和解する機会があるとすれば、今回が最大のチャンスだった。
――なのに。
「ハハッ! やったぞ! 魔王を倒した!」
俺のパーティのメンバーであるクターニーは、高らかに勝利宣言をした。
刺々しい髪型が特徴であるクターニーは、巧みに隠し持っていた剣を魔王に突き刺した張本人である。
普段は長い刀を獲物にして扱っている剣士であり、頼りになるのだが……。
「おい……なにをしているんだ、クターニー!」
俺は思わずそう叫んだ。
「自分がなにをしたのか、お前分かってい――」
「問題ない、セラク。全て手筈通りだ! なぁカサマ!」
クターニーは意気揚々と、同じくパーティのメンバーであるカサマに声を掛ける。
「ああ、うまくやったじゃねぇか、クターニー。いい連携だったぜ」
と、弓術士のカサマは尊大な笑みを浮かべる。
カサマは――俺たち四人の中で最も体格がよく、最も性格の明るい大男で、戦闘だけに限らず、移動中の荷物の運搬などの際もかなりの量を負担する、縁の下の力持ちだ。
「…………」
それだけに、これみよがしにわざと床に躓いて転び、魔王の気を引くマネをするような奴だとは思っていなかった。
魔王と、俺たち4人が部屋に入り、各々が席に着こうかという時、カサマが体勢を崩し、魔王の気がそちらへと向いた一瞬の隙に、クターニーが懐から取り出した剣で刺した。
「カサマ、クターニー。今、お前たちが独断で行った勝手な行為で、人と魔族の関係に修復できないヒビが入ったんだぞ! 人の代表としてここに招かれた誇りはないのか!」
「あるさ。なんたってこれは、俺たちが国王から直々に賜った任務なんだからな」
そんなことを口走るクターニー。
何を言っている、コイツ……。
「俺たちが国王から頼まれたのは、ここで話し合いをす――」
「するように見せかけてのだまし討ちだ」
「……! 俺は聞いてないぞ、そんなこと……!」
「王都に帰れば分かるさ」
「…………」
俺は、背後で茫然と立ち尽くす四人目のパーティメンバーである、回復魔術師に向かって問いかける。
「……エリティア。お前も知っていたのか?」
「わ、私は、何も……聞かされてないわ……」
彼女はフルフルと首を振り、首元で切り揃えられた黒髪を乱す。
エリティア――このパーティの紅一点で、魔法に精通している魔術師たちの中でも、一際扱える者が少ない回復魔術に長けている術士だ。
この場で嘘をつく意味はないし、エリティアは本当に知らされていなかったらしい。
理由は容易に想像できる、彼女は戦闘職ではないからだろう。
「……つまり、お前たち二人だけが内密に知らされていたということか」
「ああ、そうなるな。エリティアは不意をついての強襲なんて柄じゃねぇし、セラクには堂々と構えていてもらう必要があった。魔王に少しでも警戒されたらおしまいだからな。結果として、俺たちの采配は正しかったわけだ」
と、カサマは得意げに言う。
そんなはずが――あるわけないだろう……!
「……来てくれ、エリティア」
「あ、うん……」
俺はエリティアを引き連れ、倒れている魔王の元へ向かう。
素人目に見ても出血がひどい。魔族が失血死する出血量は分からないが、これはもう……。
ただ、それでも。
「……治せるか?」
と、俺は聞く。
仲間として、今までずっと見てきた彼女の魔術師としての力量を信用しているからだ。魔獣の群れに襲われた村の人々を片っ端から治療して回ったり、簡単には解毒できない魔族の猛毒に侵された俺を救ってくれたこともあった。
床に膝をつき、エリティアは魔王へ両手をかざす。
緑色の魔力が薄く輝き、やがて、その光が収まると、
「……セラク、ごめんなさい」
神妙に、彼女はそれだけを口にした。
「まだ息はあるけど、長くはもたない」
「そうか……分かった。離れていてくれ」
「分かった……」
「エリティア、セラク。なにをしている? せっかく致命傷を与えたんだから、わざわざ治す必要はないだろ。余計に苦しまないよう、むしろ早くとどめを刺してやるべきだ。なあ、エリティア?」
「……クターニー、確かに魔王は人間の敵で、言うなれば、私たちは今まで魔王を殺めるために戦って来たようなものだけど、それでも……こんなやり方は駄目だったと思う」
「フン、優しいな、エリティアは。だが優しすぎる。もっと非情になれなきゃ人類は救えないぜ。これで俺たちは正真正銘の英雄になったんだ。王都に帰れば、一生生活には困らない報酬が与えられるだろうし、街を歩けば尊敬の眼差しがやまない、そんな名誉も手に入る」
「でも……」
非情……か。
目先の大金に目が眩んだの間違いだろう。
俺はそんなクターニーを尻目に、魔王の傍にしゃがみこみ、小声で語り掛けた。
「魔王ディアグレイ――近くに治癒魔法が得意な配下はいるか?」
魔王は、消え入りそうな声で応えた。
「……なんだ、仲間割れか。我を地に伏せさせ歓喜の声が上がるかと思えば……よりによって、勇者という偉大な役職を与えられている貴様がそんなことを言うとはな。その称号は飾りか?」
「前任者がお前の配下に殺されたから、そいつに次ぐ実力があるってだけで急遽抜擢されたんだ。他に適任な奴がいれば譲りたいさ」
「クク……そうか。お互いに内情は大変なようだな。質問の答えはノーだ。昔に比べ、我の支配力も随分と落ちた。今は水面下で権力争いが横行している。我が死ねば、幹部の配下、それから子供たちが、次の魔王の座を争うだろう。フハハ、お前たちの選択は正しかったかもしれんぞ。魔族が内部抗争で消耗すれば……人間側は有利になる」
「こんな傲慢な選択が正しいなんて、あってたまるか」
「……そう思うか?」
「ああ」
「だったら一つ、最後に頼まれてくれ」
このやり取りが他の誰にも聞こえていないことを確認したあと、魔王は言った。
「我には4人の子がいるが、その中でも、一際父親思いの娘がいてな。おそらく今、我の魔力が消失しかけていることを感じ取っているだろう。そして、仇討ちのためにここに向かって来ていると思う」
「その子を無傷で返せばいいんだな?」
「……違う。あの子は自分か貴様たちのどちらかが朽ち果てるまで戦うだろう。そうならないように説得してほしいが。まあ、無理だろうな」
「ああ、俺たちは親の仇だからな……」
「だからその子への伝言を頼むとする。『我がいなくなった以上、誰かが後を継がねばならん。自分の身をないがしろにして仇を討とうとするくらいなら、お前が我の意思を継げ』――と伝えてくれ……」
「確かに聞いた。必ず伝えると約束する」
「おそらく激昂して聞く耳を持たないと思うが……頑張れよ」
「……ああ、努力する」
俺が戸惑いながら頷くと、魔王は満足そうに「そうか」と言った。
――そして。
「いいか、あの子を傷つけたら許さんからな。あの子がお前の話を聞かないようであれば、おとなしく殺されるんだぞ」
「いや、さすがにそれは……」
「クハハ。冗談だ。……ああ、最後に一つだけ言っておくが、今回は不覚をとっただけだ。剣につけられた加護のレベルも国宝級に高かった。まともに戦っていれば、貴様ら4人より我の方が強いからな……絶対に」
「……遺言がそれでいいのか」
「いいとも。魔族にとって、戦闘力の序列は絶対だか……ら……な……」
「…………」
それから二十秒も立たない内に、部屋の窓ガラスが大きな音を立てて割れ、ものすごい勢いで外からナニかが入ってきた。
魔王が言っていた通り、それは魔族の少女で、父親を殺めた存在である俺たちに猛然と向かって来た。クターニーとカサマでは、更なる武功のためにと少女を殺めかねないので、俺が素手で相手をした。これでも一応勇者だ。剣がなくても未熟な魔族くらいならあしらえる。
攻撃をいなしながら事情を説明したが聞き入れてもらえず、彼女は消耗したらある程度距離を取って回復し、再び向かってくるの繰り返し。帰路でも度々襲われた。身体を酷使し、命を枯らす勢いで戦闘を続ける少女。
魔王との約束があるので絶対に死なせるわけにはいかない。しかし、弱った少女を偶然を装って逃がし続けるのには限界があった。王都が近づいてくると「これ以上魔王の娘を取り逃がすのは勇者としてあるまじき失態だ。次に会った時は俺たちが手を下す」という、クターニーとカサマの権力に忠実な言い分の相手もしなくてはならなかった。
その結果、彼女を捕虜として王都に連れていくことにした。もちろん、捕虜というのはクターニーたちを納得させるための名目で、一時的には囚われの身になってしまうが、その後、彼女は数日で解放されると踏んでのことだった。
これはあらゆる生物に共通して言える事だが、悪事を犯した生き物がいても、その子供に罪は無い。
いくら魔王の娘であろうとも、彼女自身に罪は無い。
いくら人と敵対している魔族であろうと、無意味に傷つけたりはしない。
魔王の誠意を裏切った人間にも、それぐらいの良心は残っているはずだ。
一国を守る勇者として、俺はそう――思いたかった。
そうであって――ほしかった。