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15 ヒザ、ひざ、膝

 まだ辺りからは、ポツポツと戦闘を行っている騒音が聞こえてくる。

 兵士や冒険者が、突然撤退を始めたオークを追撃しているのだろう。まったく、お互い余計な怪我が増えるからやめてほしい。敗走している敵は見逃すとか、ディアグレイが生きている頃にそういう取り決めを作っておくべきだったな。

 とはいえ、そのおかげでこうして悠々と街中を走れるのはありがたい。この辺りの市民は既に避難しているだろうし、見つかる理由が見つからないな。これなら――


「セラク、ちょっといい?」

「ん、なんだ?」


 先程、六路騎士団の団員に声を掛けられてから、今まで沈黙を貫いてきたクレイが、おもむろに言った。

 二人になってからも押し黙ったままだったので、なにか考え事をしているのかと思っていたが……一体なんだろう。


「……セラクは勇者を辞めるつもりなのよね?」

「ああ、そのつもりだな。それが?」

「具体的にはどういう形で辞めるつもりなの?」

「どうって……このままひっそりと王都を出て『勇者セラク・ラーミック』は、今回の戦いで失踪してしまいました――みたいな?」

「セラクは人間側の重要な戦力なんでしょ? きっと国中が総出で捜すわよ」

「じゃあ死亡したことにした方がいいか。この辺に服の切れ端とかを散らして、ゴルビーと相打ちになったあとに街を彷徨った感を出そう」

「でも、さっきの兵士に無事な姿を見られてるわよ」

「……そうなんだよなぁ。だけどまあ一人だけだし、あいつに会ったあと、勇者は撤退中のオークに不意を突かれてしまった、そういう解釈になるだろ」

「死体が見つからないと不自然じゃないかしら?」

「あー……確かにな。王様に直接『辞めます』って言う訳にもいかないし……」


 どうしよう……。

 意外と大変だな。勇者を辞めるのって。


「問題は他にもあるわよ。もぬけのからになった地下牢を見られたら、私はお尋ね者になってしまうわ」

「……肩身が狭いな、二人とも」

「そしてなにより、極めつけとしてこの鎖よ」


 そう言ってクレイは忌まわしそうに、グイッと両手を掲げた。


「これが取れないと『私は王都で捕まっていた者です』と宣言しているようなものじゃない。この状態じゃ魔力も使えないから飛べないし……」

「……え? お前、魔力が使えたら飛べるのか?」

「え? セラクは飛べないの?」


 と、キョトンとした顔のクレイ。


「普通は飛べねぇよ……」


 そもそも、人間の間には魔力で空を飛ぶ概念がない。当然、そういう魔術もない。数多の魔術師たちが開発を試みているらしいが、未だに完成の糸口が見えない、いわゆる机上の空論というやつだ。

 それを当然のことのように言ってのける辺り、相当純度の高い魔力を宿しているらしい。魔王の血を引く娘は伊達じゃないな。


「いいなぁ。俺も飛びたい。空を飛ぶのって全人類の夢と言ってもいいくらいだし。今度俺を抱えて飛んでくれ」

「別にいいけど、命の保証はできないわよ」

「……なんで?」

「魔力をほとんど制御できないから、スピードが常にマックスなの。私とセラクが初めて会ったあの会談場所、覚えてる?」

「ああ、うん」

「あの時、私は窓を突き破って館に入ったけど、あれは威嚇のためとかではなくて、ただ単に墜落しただけよ」

「…………」


 死ぬ。あんな隕石みたいな速度で地面に落ちたら死ぬ。クレイは持ち前の魔力で衝撃を緩和できるから大丈夫なんだろうが、俺は間違いなく死ぬぞ。


「……やっぱいいや。夢っていうのはそう簡単に叶ったら味気がないからな」

「遠慮しないでいいのに」

「それより、鎖を外したあとの話もいいけどさ、まずはその鎖をどうにかしないと」

「ええ、それもそうね。どうしましょうか……」

「方法は一つだな。鎖に掛けられた魔術を、腕の立つ魔術師に解除してもらうしかない。問題は、その魔術師が健全な人だった場合、王都の鎖で縛られている奴を助けたりしないってことだ」


 俺の知り合いの魔術師といえばエリティアくらいだが、魔族に掛けられた鎖を解くなんて作業を彼女に頼めるわけもないし、なにより、もう会うタイミングもない。となると――


「クレイ、俺に良い考えがある」

「なにかしら、聞かせて?」

「罪人ではなく馬鹿になってしまえばいいわけだ。罪人だったら兵士に通報されるだろうが、馬鹿は呆れられるだけだから」

「……つまり?」


 と、クレイは小首を傾げる。


「いいか、俺とクレイはSM好きのカップルだ。普通の拘束道具では物足りなくなった俺たちは、王都からこの魔術的拘束力のある鎖を盗んで、臨場感のあるSMプレイに興じようとした。ところが鎖が外れなくなってしまい、恥を忍んで解除を申し出にきたという設定で――」


 ――ガツン!


「痛ぇ!」


 クレイが振り下ろした鎖によって、俺の左足の足首付近――例によってスネの部分にに、痛烈な打撃が入った。


「却下よ、却下!」

「お前……今のはゴルビーから受けたどの攻撃よりも痛かったぞ……!」

「あらそう。Mなセラクにご褒美をあげようと思ったのよ」

「設定って言っただろ……俺は別にそういう嗜好はない……」


 ……怒ってるな。絶対分かっててやってる。

 左のスネを狙ったのはせめてもの気遣いか。ただ、それができるのなら殴らないでほしい。


「あのねセラク? 私は年頃の女の子なんだから、そういう発言は控えてほしいわ」

「年頃ねぇ……そういえば、お前いくつなんだ?」

「17よ。そういうセラクは?」

「俺は22歳だ」

「あら、そんなに年上だったの?」

「ああ、だからちゃんと敬えよ」

「そうは言っても、魔族の寿命が200年程度で。人間の寿命は100年くらいでしょ? つまり、私は人間でいうと34歳になるわけだから、むしろ私の方が年上よ。セラクが私を敬いなさい」


 ……いやいやいや。おかしい。


「そんなわけないだろ! その理屈で言うとお前は9歳だ! 俺の年上どころかただの幼女だよ!」

「誰が幼女よ! 誰が幼児体型よ!」

「そこまでは言ってない! 勝手に余計に傷つくな! 被害妄想が強すぎるぞ!」

「私、身長は決して低くないわよ!? 年相応よ!? 出るべきところが出てないだけで、これでも締まるところはちゃんと締まってるんだから! 腰のくびれとか凄いんだから!」

「知らねぇよ!」

「なんで知らないのよ! 地下牢を出る時からずっと私の腰に手を回して抱きかかえているんだから、普通気づくでしょ!」

「気づかねぇよ! 抱えた幼女の腰の感触を確かめる奴がいたら、そいつは勇者失格だ!」

「幼女って言うな! 次にその代名詞を使ったら殺すわよ!」

「殺せるもんなら――いや……分かった。気を付ける」


「殺せるもんなら殺してみろ!」と張り合おうとして、やめる。

 現状、真正面から戦えば俺がクレイに負ける要素は皆無だが、今は別だ。あと2、3回スネを叩かれたら本当に死んでしまうかもしれない。

 そして、そんなことを言い合っている間に――


「……着いたぞ」


 と、俺は目の前にそびえる大きな門の前で立ち止まる。

 目的地にしていた南門だ。昼間は王都に出入りする行商人や冒険者で混雑しているが、現在はその喧騒が嘘のように静まり返っていた。


「門……締まっているわね」

「ああ、深夜だからな」

「ここを開けて出るの?」

「いや、日中は常に開いているけど、夜間は緊急時以外の開門は禁止されている。だからあそこから出る」


 と、俺は南門の横に取りつけられている小さな扉を指さした。


「王都の兵士用に設置されている出入り口だ。普段は見張りがいるからどうやって突破しようか考えていたが……ゴルビーが来たせいで出払っているみたいだな」

「ふうん。ゴルビーのくせに役に立つじゃないの」

「……まあ、そもそもあいつが来なければ、今頃俺たちはスムーズに王都を出ていたはずなんだけどな」

「それもそうね。今の発言は取り消すわ」

「別に俺しか聞いてないからどっちでもいいけど、とにかく、見張りが戻ってこないうちに――」

「――セラク!」


 俺が扉のドアノブに手を掛けようとした瞬間、またしても背後から呼び止められてしまった。

 女性の声。敬称は付けられていない。つまり兵士や市民ではない。俺を呼び捨てにする人間の数はそう多くはない……というか。

 脳内でこんな絞り込みをしなくとも、これは今まで幾度も呼ばれたことのある、聞き覚えのある声だった。


「…………エリティア」


 振り向いた先には――

 普段あまり運動をしないのに加え、なおかつ軽快な動きを取りにくいローブ姿のままで相当走ったらしく、呼吸が乱れ、ゼエゼエと息を切らしているエリティアの姿があった


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