授業参観。手を挙げなくなった日。
10年以上も前の事だ。
それはたぶん、理由があったと思う。
何日の何時間目とかはさすがに覚えていない。
だが、小学3年生というビミョーなラインで、国語の時間だったというのを憶えている。
「今日は授業参観です」
自分が周囲を嫌いになった日だ。
「親御さんが来ているので、張り切って手を挙げて。良いところを見せてくださいね」
「はーい」
それは教師が昨日から言っている事である。教師としての立場もあって、生徒達には頑張ってもらいたい。
高校生とか中学生辺りであれば、例え授業参観だろうと、そんな言葉に乗っからない。
純粋さを持っている小学生達は親という存在の前で、自分を見せたいらしい。お小遣いアップのチャンスかもしれない。
そんな生徒達のまだ残る純粋さの後ろでは、殺伐としたPTAではないゆる~い感じの、奥様やお父さん方の井戸端会議や撮影の準備。
自分達にもこんな時代が合ったと懐かしんでいる事もある。
運動会とか音楽祭とか、展覧会とかとは違う。こーいう日常を覗くというのは子供の一面を知れる良い機会だ。
「それじゃあ、授業を始めましょう」
教師として良い授業を親御さん達に見せたい。多少簡単でもいいので、クラスのみんなが質問に答えてくれる事を願う。教師であるため、親御さんには悪いが。どの子ができる子で、できない子かはある程度分かっている。
序盤の簡単な問題は、あまり勉強のできない子を指名したい。いや違う、目立たぬ子を指名したい。
特別、頭が良いわけではない。特別、運動が良いわけではない。特別、顔が良いわけではない。特別、社交的というわけではない。じゃあ、虐められているか?本人がそーいう事を感じていないようだ。
特別に手を妬いている子ではないが、手を妬くすら起きない子。
誰にも興味を感じさせない人間というのはいるものだ。そんな子にも親がいて、授業を見に来ている。正直に意外だった。親が来ている子は最低でも、1度は問題を正解させてやりたい。
「じゃあ、この漢字の読み、意味を答えてもらいましょう。分かる人、手を挙げてー」
「はーい」
「はーい」
普段よりも声が大きく、その手の数も多い。そんな中、親が来ているからか。教師の言いつけを護ってくれているからか。手を挙げてくれている標的の1人。
さすがに分かるか。小2レベルで出されている問題。しかも、昨日の授業で教えていた事。先生の話を聞いていれば分かってくれている。子供の記憶力、学習力は大人のそれとは遥かに高い。
「じゃあ、畦くんに答えてもらおうかな」
「はい」
元気はないが、返事をしてくれる。こんな子を指名したのは、いつ以来だろうか。
ほとんど音読とかやらせる行いしかさせてないような気がした。
指名された畦総一郎は黒板を見ながら、ゆっくりと立ち上がり、普段と違って少し大きな声で
「分かりません」
「…………………」
問題を間違えてしまうという、可哀想な。フォローができる程度の間違えを想定していたが。
まさかの答えに教師は絶句であったが、
「あはははははは」
「なんで手を挙げたんだよwww」
「ふふふふっ」
「はははは」
クラスのみんなが畦の勢いが入った答えに笑い。他の親御さん達も、まさか初っ端でこんな事になるとは思わず、失礼ながら笑ってしまった。笑えないのは畦の父親ぐらい。恥ずかしい顔を分かりやすくした、顔真っ赤。
しかし、当の本人は
「ふふふ」
自分で面白い事を言ったと、なぜだか自信に満ちた顔で着席した。周りの様子からして本人にとって、大成功なんだろう。
とはいえ、何を考えているんだと教師にも親にも思わされる行為。
恥ずかしくないのかと。恥をかいたまま、
「わ、わ、分かっていたら手を挙げましょうね。畦くん」
「先生が指名するとは思わなかったから。手を挙げないと、来てる親に悪いから」
それは私が悪いと思っているのか、こいつ……。
「それじゃあ、気を取り直して。分かる人ー」
「はーい」
改めて聞けば、またクラスの子供達が手を挙げる。
その中で手を挙げないわずかな子達、本当に分からないのかと残念に思いつつ、悔しさとかを感じないのかと疑問を思う。
だが、その中でも
「…………………」
畦総一郎という子だけは、よく分からなかった。
この後続く、色んな授業にもまったく手を挙げず、誰かと話すとかなく。じゃあ、何かをしてるのかというと、何もしていない。
将来、こんな子がどーなるのか。分かったもんじゃない。
今日の出来事でこの子に言いたい事がある。それは
「手を挙げておいて、”分からない”って答える。謎の流行りができて、授業の進みが悪くなったよ!」
◇ ◇
近所のお子さんが授業参観で親が来ることを喜んでいて、そんな子供時代をふと思い出した。
そこから10年経っても、20に届かぬことだった。でも、今はその年齢を超えているのに、本人が憶えているという事。相当な思い出なんだろう。小学3年生の思い出だ。
「………なんだったかな。ねぇ、酉ちゃん。どうして僕はそんな答えを言ったのかな?」
「いや、知らないんですけど」
おそらく、当時の教師からしたらあり得ぬと思える事だろう。
こんな彼にも今は働く場所があり、自分を活かせる場所を見つけ、同じような仲間を持つという奇跡。人生とは死ぬまで分からないものだ。
「第三者の視点から有力は、クラスメイトに唆されただったように思えるけど……」
なんであの時、こんなことをしたんだろう。なんであの時、こんなことになったんだろう。そーいうものって生きていると出会っていくものだ。
「僕の場合、たぶんきっと。素で言ったのか。ウケ狙いという可能性も……いや、あえて逆をしたかったっていう。気持ちかもしれないかな」
「普通の神経をしていたら、畦さんのように恥ずかしい思い出を他人に吐露したりはしないものよ。ましてや自分からやるのだから、人様から見れば恥ずかしいの限りでしょうに」
「そーいう君もそんなの気にしないだろう?」
「多少の恥じらいはあるものですよ。いや、恥だからってやる事はやる主義」
相も変わらず。自分の行動やその存在に、自覚というものを感じさせない生き方。
生きているのか死んでいるのか。誰にも誰かを理解するなんて出来ない事であるが。兄弟だろうが、親子だろうが、友達だろうが、妻だろうが。自分の子だろうが。他人だろうが。あまつさえ、
「自分が自分を理解できない事を喜んでらっしゃるのですね。相も変わらず」
「…………そう見えるんだね。僕の顔、笑ってるんだ。酉ちゃんから見るとさ」
自分だって分からない。けど、そー感じている。
それなのに笑っているようだ。おそらく、世界中の9分9厘の人間がオカシイと思っていて、共感よりも批難されようとしている。自分にちゃんとした脳があるなら、たぶんその共感側から言うんだろう。
しないんだから違う。そして、それでいい。
よくは分かっていないけれど。
「長く生きれば良い思い出しか残らないものだねって、こと」
「……いや、今の思い出の中に、どんな良い要素があったのかしら?恥をかいても生き抜く事ですか?」
自分の予想では、
1.
当てられるはずないだろうって思い、手を挙げていた。
2.
誰かに唆されてやっていた。
3.
なんでも良いから手を挙げてと、教師や親に言われたから手を挙げていた。答えは分からん。
4.
自分でこれをやったら面白いだろうなって、思ってやった。
忘れかけていますが、たぶん。
2番目か4番目じゃねぇかなって。思っていますが、2番目は自分の周囲との人間関係から察するとなさそうなんですよね。じゃあ、4番目?って思うと、ウケなかったらどーするんだお前!って、当時の自分にツッコミたいです。それと自分はこの問題、分からなかったはずなんで。ホントになんで手を挙げたんだと。
タイムスリップできたら、この場面をちょっと覗きたいですね。