桜守 7話
ゆっくりと身体をつけていき、頭以外をすっかり湯の中に入れると、
「ふあああ、あああぁ」
理由はわからないが、自然と声が出てしまう。フロに入るのは本当に久しぶりだが、こればかりは昔から変わらない。
「ハッハハ!アンタでも風呂に入ると声が出るんだな。」
やってしまった。今はヒガンがいたのだ。
「ウ、ウルサイ。別にいいだろ。」
「別に悪いと言ってるわけじゃない。むしろ嬉しいね。」
そう言いながらヒガンも自身の身体に湯をかけて流した後、岩風呂に入ってくる。
ヒガンもまた、「ふううぅ」と声を出しながら肩までつかる。
「というか、何当たり前のように一緒に入っているのだ?別にオレだけで良かっただろう。」
「いいじゃないか。俺も汚れてたしな、裸の付き合いってやつだ。ついでに背中も洗ってあげるよ?」
風呂場に入ってからずっとニコニコ顔のヒガンがオレの肩に手を置く。
「ヘンタイのようだぞ。」
少し動いてヒガンの手をどけて、久々のフロを静かに楽しむ。
全身の力を抜いて身体を湯に預けると、疲労が溶け出すように感じる。
こんなに緊張を解いたのも久々な気がする。
いつ何が襲ってくるか分からない外では常に周りの気配を探り、注意をし続けなければならない。
動く動物なら気配を察知するのは難しくないが、落石や倒木等、自然が突然襲って来る可能性もあるので、たとえ周囲に動物の気配が無くても気にし続けなければならない。
常に周りを注意するのはもう癖のようになっているので特に苦というわけでは無いのだが、それでもどこかしら疲れが溜まっていたようだ。今はとても気持ちが安らかになっている気がする。
「……フロはやはりいいな。」
口にするつもりは無かったが、自然に口から出てしまった。
「だなぁ。風呂を作ってからはこれ無しじゃ生きられない身体になってしまったよ。」
ヒガンも何の気なしに返事を返してくる。
とても緩やかな時間が過ぎていった。
気がつけば壁の上部に空いている湯気を逃がす穴から差し込む光が傾いている気がする。
身体もすっかり温まったし、疲れも取れた。そろそろ出るとしよう。
「そろそろデルゾ。十分タンノウしたしな。」
「そうか?じゃあ出るとするか。」
オレは浴槽から出て身体の水分を飛ばした。ヒガンも身体についた水滴を手ぬぐいで拭っている。
ある程度飛ばしたら脱衣所へ向かう。
「しばらくここでカラダを乾かしてるぞ。」
「そうか。なら俺は先に出て肉でも焼いておこうか。」
「オオ!忘れていた。楽しみだ!」
ヒガンはしっかりと身体を拭いた後、服を着て厨房へと向かっていった。
オレは脱衣所の板張りの床に寝そべり、身体の火照りを取りながら乾かしていく。
しばらくまどろみながら伏せて過ごしていると、肉の焼ける音と、香ばしい匂いが漂ってきた。
粗方身体も乾いたし、そろそろここから出るか。
脱衣所から出て、最初の居間へ向かう。肉の匂いが強くなっていく。
ツバを飲み込んでヒガンが調理している調理場に向かおうとしたとき、
「おっきいわんちゃん!!!!」
「ウオォ!?」
突然、家の出入り口の方から声がしたと思ったら、小さな身体がオレの身体めがけて思いっきり抱きついてきた。
「ふわふわ!!おっきいわんちゃん!!」
抱きついてきた女の子はオレの身体に手も顔も埋めてワシワシ触ったり顔を押し付けてきたりしてくる。
「ヒ、ヒガンッ!いやっ、えとっ、ワ、ワフッ!」
思わずヒガンを呼んでしまったが、ここはヒトが住む村の中で、今抱きついてきてる子供は初めて会うヒトだ。オレが喋れると判れば騒ぎになるかもしれない。
無用な混乱を避けるためにも、理解出来た特定の者以外の前では喋らないようにするのが、オレが他の者と交流していたときに得た知恵だった。
しかし、長く交流してこなかった所為なのか、この辺りにはヒガンしかいないと風呂上がりの緩んだ気分の中あまりにも突然の出来事だった所為なのか、咄嗟に「ヒガン」と声を出してしまいまずいと思った刹那、慌てて取り繕うように犬の鳴き声の真似をしてみたが、結局は後の祭りだ。
調理場の奥からヒガンの吹き出して笑う声が聞こえる。
「わんちゃん!!しゃべれるの!?」
ワシャワシャと触っていた女の子は目を輝かせて、オレの顔を見ながら言った。
どう対処したらいいべきかわからなくなり、頭が真っ白になったオレは、女の子の問いに何も答える事無く、今もなお騒ぎながらオレの身体を触りまくる女の子のされるがままになりながら、
(さっさと調理場から出てこいヒガンっ!)
と、心に思いつつ、怨念を込めた気配をヒガンに向けて送るのだった。
「いやぁ笑った笑った。まさか犬の鳴き真似をするなんてなぁ。相当慌てたんだな。」
涙を拭いながら調理場から出てきたヒガンは、笑い疲れた様子だった。
オレは何も言わず威圧を込めた視線をヒガンに投げつける。
「パパ!おっきいわんちゃん!!」
小さな女の子がオレの身体を触る速さを上げながら、今目の前にあるものを嬉しそうに報告する。
「そうだな。大きいワンちゃんだ。でもなヨシノ、そろそろそのワンちゃんを開放してあげなさい。ワンちゃん、毛がボサボサになっちゃってるから。」
「やだ!ふわふわ!」
「そうかぁ~。」
(そうかぁではないぞヒガンっ!!)
ヒガンの娘であろうこの女の子はオレから離れまいと腕をオレの首に回してくっついている。
オレは必死に(なんとかしろ)という思念を目で送り続けている。
「そのワンちゃんはね、パパの友達なんだよ。だからちゃんと挨拶しなさい。急にくっつかれて触られて、ワンちゃんビックリしちゃってるよ?ヨシノも急に知らない人に抱きつかれたり触られたりしたら、嫌だろ?」
「うん。」
ヒガンの説得が通じたのか、女の子はオレからゆっくりと手を離してヒガンの近くまで小走りで向かい、オレの方へ向き直した。
「はじめましてわんちゃん!よしのです!」
言い終えると、身体を思い切り曲げてお辞儀をする。
「よく出来ました。いい子だね。このワンちゃんはペタルっていう、パパの森の友達なんだ。思いっきり撫で回したりとか、あんまり困らせないであげてね。」
「わかった!ちょっとだけにする!」
そう言いながらヨシノの手は徐々にオレの方へ伸ばして、そのままジリジリと距離を詰め始める。
「ペタルも挨拶してやってくれ。もう喋れる事はわかってるんだし、ごまかそうとしなくてもいいだろ。それともまた犬の鳴き真似でもするか?」
ヒガンがいつもの笑顔で促してくる。
確かにもう遅いか。バレているとわかっているのに、隠そうとするのは愚かだし、ヒガンの笑顔を見て、絶対犬の真似なんてしてやるものかと心に誓う。
「チッ、ウカツだった。……娘よ、森でオマエの父親に出会った。それから時々一緒に過ごすことになってな。今日はフロに入りに来たのだ。名はペタル。ヒガンがつけた名だ。」
「堅いなぁ。もっとこう、よろしく!くらいでいいんじゃないか?」
「……よろしくな。ヒガンの娘よオッ!?」
言い終わるか終わらないかの間で、ウズウズしっぱなしだったヨシノの限界がきたのか此方に向かって飛びついてきた。
「すごい!!しゃべれるわんちゃん!!すごい!!」
再度オレの首に纏わりついたヨシノはもうそのままにしておこう。
「……ヒガンよ。オレはどうしたらいい?」
「すまんな。少しだけ付き合ってやってくれ。」
「……ニク、タノシミニシテル。」
「はっはは!ああわかった。すぐに作るよ。」
そう言ってヒガンは調理場に戻っていった。
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