桜守 2話
「フム、大樹は『ダイオウ』と言うのか。オレもこれからはそう呼ぼう。オレは……スマン、オレは名前を捨てた。今名乗る名前は持っていない。好きに呼んでくれ。」
生まれた土地を離れたときに、名を捨てた。
その後、旅を続けてる間に様々な名前を名乗ったが、その土地を離れるときに都度名前を捨てた。
名前を捨てることで、その土地での様々なしがらみも捨てられるようで、より身軽になれた気がした。
最近では名前が無くてもどうとでも出来るようになっていたので、自分で名付けることを止めていたし、他の者に会うこともなかったので、名前が無い状態だった。
「それは困ったな。うーん……じゃあ、ペタル。ペタルだ。そう呼ばせてもらうよ。」
ヒガンが大桜を眺めながら少し悩んで、いいのが思いついたとばかりにいい笑顔を向けてくる。
「ペタルだと?随分と軟弱そうな名だな。本気でオレのこのカオを見て言ってるのか?オレには相応しくない。却下だ。」
「そうかい?いい名前だと思うし、俺が気に入っちまった。さっきアンタは『好きに呼んでくれ』って言ってたろ?ペタルで決まりだ。」
「確かにそう言ったが……。フン。なら好きに呼べ。」
「ああ。これからよろしくな、ペタル。」
「……やはりジブンで名を考えればよかった。」
ヒガンが嬉しそうに笑う。
これがオレの心を奪った大樹、大桜を世話し、守る、桜守という一族の長、ヒガンとの出会いだった。
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ここにいるもう一つの理由。桜守のヒガンが腰を叩きながら大桜を見上げる。
「ったく、歳は取りたく無いもんだ。ここに来るまでにくたびれはてちまう。」
「ハッ、着いて早々泣き言か?ちゃんと世話してやってくれよ。」
「少しくらい休ませてくれよ。ったく、少しくらい掃除を手伝ってくれてもいいんだがな。」
ヒガンがため息を吐きながらも、どこか嬉しそうにオレの隣に座った。
「何度言わせる気だよ。掃除はガラじゃない。」
いつものように小言を言い合いながらヒガンは大桜の真下に座り、共にそこから見える景色と、そよぐ風を楽しむ。
「ここは変わらねぇなぁ。」
ヒガンが水筒の水を飲み、一息つきながらしみじみと言う。
「なんだよまた年寄りみたいな事言って。まだジジイと呼ばれるほどでもないだろ?」
「そうでもないさ。若い頃と比べると身体の動きが全然違う。しんどいったらないさ。」
初めて会ってから随分経った。当然お互いに歳を取っている。
「そういうもんか。ちゃんと身体を動かしてるのか?オレみたいに森に住んで毎日森を動き回ってみろ。自然に鍛えられるぞ。」
「アンタみたいにはいかないさ。それに、普通に生活してる奴が森で簡単に動き回れるかって。温かい暖炉とフカフカのベッドが手放せないよ。風呂だって大事だ。」
「それもそうだな。少なくとも自らの身一つで自身を守れるだけの力が無いと自然の中で暮らすのは難しい。オマエには無理だな。」
ヒガンが森で迷い、帰ることが出来なくなったら、数日と持たないだろう。オレから見たらそれくらい弱い。
「中々厳しい事言ってくれるね。でも事実だ。俺にそんな力は無い。只の農夫だ。」
「桜守もだろ?大事な仕事を忘れるなよ。当然森に入る以外にも身体の鍛え方はある。多少なり鍛えれば、違って来ると思うがな。」
「農夫の仕事で手一杯だ、そんな時間も無い。畑を耕した後、温かい風呂に入って、少ない酒を楽しんでベッドで寝るのが忙しい。」
ヒガンは笑って言う。
「フン、いい人生を送っているようで何よりだ。」
「アンタのおかげで森も安心して通れることがわかったし、何より色々持ってきてくれるおかげで昔と比べて随分と生活が楽になったからな。ペタル様様だよ。」
ペタルという名前も違和感が無くなった。不本意ではあるが。
「それは良かった。オレが持っていても持て余す物を渡してるだけだ。別に有難がってもらわなくてもいい。」
ヒガンと会って、オレはヒガンといくつか取引をした。誰とも交流することの無くなったオレにはもう必要ないものばかりだったが、普通の生活をしているヒガンには価値のあるものがたくさんあった。
それに思い出した。ここに留まってる理由がもう一つあったな。
「オマエが作ってくれた『風呂場』にも満足してる。森では手に入らない物も貰っているし、助かってるのはこっちだ。」
「ちゃんと使ってくれてるのかい?それは嬉しいねぇ。作ったかいがあるってもんだ。まぁ俺は場所を教えただけだ。作ったのほとんどアンタ自身だろ?」
「オマエに任せたら出来るのがいつになってたかわからんからな。」
「それもそうだが、まさか2日で作っちまうんだからなぁ。俺も当時は一応働き盛りだったんだぞ。多少なり力仕事には自信あったんだ。アンタがおかしいんだよ。」
「何もかも年季が違う。力なんてそれこそだ。無駄に旅してないし、己の力のみで生きていない。」
「ハッハハ。ペタルには敵わないよ。それはアンタと過ごしてよくわかったよ。」
ヒガンが楽しそうに笑う。どうやら十分に休憩を取れたようだ。
オレは風呂場を作った当時を思い出しながら、大桜の真下からの景色を眺めていた。
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ヒガンと出会ってから数週間が経っていた。
オレは日課になった、ヒガンに頼まれた森の見張りを終えて、茂みに隠れることなく大桜の下に座ってくつろいでいた。
あの後ヒガンにいつも通ってくる方角を教えてもらい、その方角を重点的に見て回った後、森全体を警戒するように見て回った。
森を見て改めて思う。オレがここを住処とした理由でもあるが、ここは資源が豊富だ。
森の動物も種類も多く、そして小さい者、大きい者バランスよく生息している。
時折バランスを崩して獰猛な輩が暴れることもあるが、たいてい自然に何とかなるし、オレ自身も狩りに出て静かにさせている。
動物が豊かだということはそれらの腹を満たす自然の恵みも豊かだということになる。
低木の果実も高木の果実も十分に実っているし、地表にはキノコや花、山菜の類だって豊富だ。地下に実を成す野菜も取れる。
この辺りには四季がちゃんとあり、それゆえこれほどの豊かさがあるのだろう。
春の暖かな陽気で雪が溶け、新芽が顔を出し、夏の暑さと太陽の光が緑をより濃くし、秋の涼しさが葉を落として土の養分とし、冬の寒さと雪を何層にも落ち重なった葉が守る。そして新たな春が訪れる。
常緑樹だけではない木々が織り成す景色もまた、この森にすばらしいものを齎している。
そんな森に一つ、特別であるかのように生えているこの大樹、大桜は今日も枝を大きく伸ばして風で気持ちよさそうに揺らいでいる。
「おう、今日も早いな。」
「ヒガンか。オマエも律儀に週に一度顔を出すな。」
「一応役目だからな。たまに週1で来れないときもあるが、別に嫌でもない、……むしろ好きかもしれないな。コイツの世話は。」
ヒガンが大桜に手を当てて、笑顔で言う。
「ソウカ。ならしっかりと世話をしてくれ。オレは大桜の周りをソウジなんて細かい作業は好きではないからちゃんと頼むぞ。」
「はいはい。ペタルに頼んだらその辺の土がボコボコになりそうだ。」
「……ウルサイ。得手不得手というものがある。それにオレだってソウジはしてるぞ?今日も暴れていたイノシシを静かにさせてきた。」
ヒガンが驚いた顔をした後、考え事をし始める。
「イノシシ?森の中か……暴れてたとすると、中型が出たのか。厄介者だな。助かるよ。」
一話3000字程度
週2回更新予定です。
現在何時に最新話を更新するか決めかねていますので、更新時間がバラけるかと思われます。
次回は28日(月)朝6時に更新予定です。