彼女はその花の意味を知らない
マリー=シモンヌはため息をついた。物憂げなその姿は美しい。豊かな金髪、海のような深い色の瞳、通った鼻梁にふっくらとした唇。
問題なのは今日が彼女の誕生日であることである。夜にはささやかな誕生パーティーが開かれることになっていた。賓客をもてなすのはホストの仕事だ。それなりに気負う。だが、彼女の憂鬱はそういうことではないのだ。
マリーは頭痛の原因とも言える、卓に置かれたきれいに包装された花へと目を向けた。__水仙だ。どうみても水仙だった。
送り主は3つ年上の従兄弟、シャーロック。灰色の髪に同色の瞳、紳士で穏やかな性格をしていると女性に人気がある。そう、奴がこの花の花言葉を知らないはずがないのだ。
__水仙の有名な花言葉は“うぬぼれ”、や“自己愛”、”エゴイズム”だ。
とても誕生日に女性に贈るようなものではない。
だが奴は毎年この花を飽きもせず嫌味のように送ってくる。
シャーロックがマリーに水仙を贈っているのは、社交界でも有名な話だった。そのため悪い噂が一人歩きをし、その結果、今年17になるにもかかわらず、極端に縁談の申し込みが少ないのだった。
「このままでは良縁は望めなそうだし、嫁き遅れになってしまうわ」
マリーは立ち上がって拳を握った。
「今年こそシャーロックを問い詰めてやるんだから」
実は、シャーロックとマリーは決して不仲ではない。華やかな場所を好む彼だったが、時たまふらりと邸宅にやって来て、その時々の面白い話や話題に上った珍しい菓子などを置いていく。
マリーは噂のせいであまり社交界にお呼ばれすることもなかったため、彼の話をいつも楽しみにしていた。全く皮肉なことであるが。
水仙の件を問い詰める。それはいつもマリーの頭にはあった。だが彼との会話は楽しくて、いつも天秤にかけて飲み込んでいた。でももうマリーも結婚適齢期である。今日こそは流されない。マリーは心に誓った。
夜になるとパーティーが始まる。ホストのマリーは使用人に指示を出し、自身は挨拶回りに追われながらシャーロックを探す。今日集まってくれたのは、噂に左右されなかった心許せる貴重な友人達とその連れだ。
「シャーロック」
彼は数人の女性に声をかけられていたが、
「失礼」と一言微笑んでこちらに向かって歩いて来た。
「誕生日おめでとうマリー」
「ありがとう」
マリーはありったけの勇気をふりしぼって言った。
「私、あなたにずっと聞きたいことがあったの」
「いいよ。何でも聞いて。僕も話したいことがあるし、ちょっと外に出ようか」
彼女の必死な様子に何か思うところがあったのか、彼はマリーをエスコートしてバルコニーへと誘った。
人気のないバルコニーは、室内と何か見えない膜で隔てられているかのようだった。遠くに談笑する人のさざめきが聞こえる。
「何だい? 聞きたいことって」
夜風に目を細め微笑む彼に躊躇しかける、が聞くなら今しかないだろう。
「あなたはなぜ__私に水仙を送るの?」
「なぜだと思う?」
彼は微笑んだまま謎かけのように返す。
「なぜって……わからないわ」
本当にわからなかった。彼はマリーのことが嫌いなのではないかと思ったこともあったが、彼の表情を見る限り、ハズレだろう。
「僕からも君に話があるんだ」
彼は言った。
「僕と__結婚してくれないか?」
「けっこん……結婚てどんな意味だったかしら?」
マリーは困惑していた。あの、よりどりみどりなシャーロックがよりにもよって私と結婚?
「逃げないで、マリー。君は知らないかもしれないけど僕はずっと君が好きだった」
「君は言ったよね?水仙をなぜ送るのか、と。それは僕が君を好きだからだよ」
意味がわからなかった。
「マリー。君は美しい。容姿も、そして心も、だ。普通なら結婚相手なんて山ほど押しかけてきたはずさ」
「でも、私に結婚を申しこむような奇特な殿方なんて……」
「それは僕が水仙を送り続けたからだろう? 噂に踊らされるような奴なんてろくな奴じゃないけどね」
「僕は君が欲しかった」
__どうしても、どうしても、ね。
熱のこもった視線を向けられてマリーは体温がぐっと上がった気がした。
「僕とは親戚だし、政略結婚の旨味が少ない。だから君を手に入れるためには君との結婚を望む相手を潰すしかなかった」
ごめんね。と彼は苦く笑う。
「傷つけたことは知っていた。でも、君が僕が水仙を送る理由を聞かなかったのは、僕との関係を壊したくなかったんだって、少しは自惚れてもいいかな?」
「馬鹿っ……いくらでも自惚れてればいいわ」
「私は、真剣にあなたが私のことを嫌いなんじゃないかって悩んでたのに」
「マリー、それって」
「私もあなたのことが好きよ。馬鹿シャーロック」
二人はしばらく動けずたたずんでいた。
夢見るみたいな瞳をしていた彼は、それから真剣な顔をすると言った。
「僕が君を傷つけたことは消えない、でも君の悪い噂を消すことは今からでもできる」
「一体どうやって?」
彼は袖口から二つの筒のようなものを取り出した。
「これは知り合いの魔術師に依頼して作ってもらった魔道具だ」
マリーの見ている前で彼がその一方を取り上げ、下方にある溝ををくるりとひねると、彼の手の上に一人のローブを纏った男性の姿が現れた。立体映像だ。
「やあ、僕の友人。使い方はわかるよね?これはちょっとの間の出来事を記録できる代物だ。上手くやるんだよ。成功を祈ってる」
それだけ言うと彼の姿は消えた。
「面白いだろう?」
シャーロックは言うが、マリーは赤くなったり青くなったり忙しい。
「あの、シャーロックさっきのまさか記録って……」
彼はにやりと笑った。
「さあどうかな?明日、いや明後日には君は時の人だ」
「恋に取り憑かれた哀れな男の、一途な求愛を受けたヒロインとしてね」
「ちょっと、それ消しなさい!」
「君は僕を悪役のままにしておきたいのかい?」
悲しそうな顔をしてみせる彼に、それが演技だとわかっても強く出れない。
「わかった、わかったから……好きにして!」
投げやりに叫ぶと彼は勝ち誇ったかのような顔をした。
「あなたには口で勝てる気がしないわ」
「おやおや。口でくらい勝たせてもらわないと」
「何しろ言うだろう?先に恋に落ちた方が負けって」
__僕は君に負けっぱなしだ。
続いた言葉にマリーは完全敗北を悟った。