大江山鬼憚
夏に向けて、怪談的なものが書きたかった(ーヮー)
それは児童養護施設を管理する親戚の住む田舎町へと遊びに行った時だった。
私は、化け物と出会ったのだ。
見るからに寂れた、閉鎖的な町。親戚の叔母さんは私たちを快く迎えている様子だったが、叔母さんの家を出入りする町の人達の目はどこまでも私たちを疎ましそうにしていた。私はどうにも居心地が悪くなって、叔母さんの家の裏から続く細い山道の中へ、町人の目から逃れるように足を踏み入れていた。
山道は舗装されていないものの、何度も踏み固められているようで、確かな道筋を残していた。踏み固められ露出した土道を進む。木々に囲まれたこの地は澄んだ空気で満たされており、森林浴と呼ぶに相応しい解放感に私は思わずため息を漏らしてしまうほどだった。
けれど、奥へ進んでいけば次第に囲む木々の密度が増し、重苦しい空気に覆われるようになる。引き返すべきだと思ったが、足を止めたその時に、奥の方に古びた納屋のような建物があることに気づいてしまった。
叔母さんの家から続いている道の先にある納屋なので、叔母さんの仕事道具なんかが閉まってあるのだろうと思ったが、それにしては家から離れすぎている。農家の納屋がこんな山奥にあれば不便で仕方ないだろう。
隠したいものがある。
そういう結論に行きつくのは自然な流れだった。私は自身の好奇心に従い、納屋の前まで足を運んだ。扉には南京錠によって鍵がかけられていたが、肝心の南京錠の鍵は挿さったままで何のための鍵なのか分からなかった。
南京錠を外し、扉を開ける。埃っぽい空気かと思いきや、どうやら頻繁に人が出入りしているようで鼻を抑える必要はなかった。
小窓もなく、光の入らない納屋の中は目を凝らさなければ奥が見えない程であった。次第に目がその暗さに慣れてくると、奥の壁に人影のようなものを認めた。
私が一歩踏み出してみると、その影はこっちに気が付き顔を上げた。
入り口から差し込む斜陽に照らされた水晶のような瞳だけが暗闇の中でキラキラと輝きを持ち、こちらを見つめていた。
「おやおや、給仕かと思えば、いつものおばさんやないな」
声変わりも終えていないようなトーンの高い少年の声に驚いて尻餅をついてしまう。その様子を可笑しそうに笑う少年に抗議の目を向けると、少年は宥めるように謝罪する。
「お嬢ちゃんは迷子か? だったら、そこの道をまっすぐ引き返せば気の良いおばさんの家に辿り着くから電話でも借りるといいぞ」
スカートに付いた埃を払い立ち上がった私は、ようやくその人影を捉えることができた。
その両手は鎖によって納屋の天井に吊るされており、折り曲げて座るその足首にも枷が嵌められおり、まるで囚人のように捕えられていた。
「ん、迷子やないんか。興味本位でやってきた? なんとも危なっかしい子やな」
私は外から掛けられた南京錠が、内側から開けられないようにするためだけのものだとようやく理解し、彼が閉じ込められている事に疑問を持った。
「どうして閉じ込められているかって? んー、そりゃ、俺が化け物だからやろな」
あっけらかんと言い放たれた言葉はどうにも私には理解しがたいものだった。
「どのへんが化け物かって言われてもなあ。まあ、簡単に言えば人の見た目してるのに人やないから、人からしたら人に化けた物に見えるっちゅうことやろ」
そう。彼は人の形をしているのだ。綺麗な長髪、透き通るような白い肌、水晶のような瞳。美少年と称するに相応しい風貌の少年を私は化け物と認識できなかった。
「そない難しく考える必要あらへん。ほれ、俺の服捲ってお腹の辺り見てみ。そしたら分かるから」
私は言われた通り彼に近づいて服の裾を掴む。そうして露わになった彼の腹部には白い肌の上に真っ赤な痣が広がっていた。それは確かに人らしさを持たぬ異物として、彼の体の上で違和感を主張していた。
「これな、俺の体内が黄泉に繋がっとることを表してるんやて」
生まれながらにしてこの痣を持つ者は、死後の世界である黄泉との繋がりを持つとして、こうして幽閉するのが、この町に伝わる迷信らしい。
「まあ、俺の存在知ってるのはもう少数やと思うけどな」
ということは、彼は生まれた時からこの狭い納屋の中で過ごしてきたのだろうか。それはどうにも悲しいことだと思った。
「なんや、俺をここから連れ出すて? そら、面白そうやけど」
彼は何かを思案するような表情を浮かべる。おそらく、私の身を案じてくれているのだろう。夕日も落ち夜を迎えた暗闇の中で、彼は頷き、私の言葉に乗ってきた。
「ほな、助けてもらおかな」
そうして私は彼を拘束から解き放ち、その手を引いて山道を歩き始めたのだった。
おばさんの家へと戻るわけにはいかないので迂回するように木々を掻き分け進んでいく。しばらく歩いていると、町の外まで続いている道へと出てきた。この道をまっすぐ行けば、私がここに来るときに使ったバス停がある。そこまでいけば、私の家まで彼を連れていくことができるだろう。
「なあ、なんで俺を助けようなんて思たん?」
辺りを警戒しながら歩いていると、私の上着を着た彼が問いかけてきた。
彼がカッコいいから、なんて乙女のような感情がなかったわけではないけれど、私は自分の境遇と彼を重ねていたことを語った。
幼い頃の私は病気がちで、いつも病室の窓を眺めるばかりの日々だった。外に出ることも許されず、手の届く範囲でしか形成されない狭い世界に閉じ込められていた私は自分を囚人のようだと思っていた。
十歳の誕生日を迎えて、ようやく病院から外に出られるようになった私を迎えてくれた世界はどこまでも広く、鮮やかに視界を埋め尽くした。それは多分、春の桜の時期だったと思う。
「俺に外の世界を見せて上げたいから、助けてくれたいうんやね」
楽しそうな笑みを浮かべる彼を見て、私は嬉しくなる。自分のしたことに満足感を覚えたのだ。彼にも私と同じような感動を与えることができた。それは、とても嬉しいことだ。
けれど、それはどこまでも順風満帆では終わらなかった。
バス停が見えてくると、そこに幾人かの人影を見つける。たぶん、影の正体は町民たちだろうが、その手には細長い得物が握られていた。農耕用具だろか、三又の物もあれば、鎌のような刃の物もあったが、そのどれもが本来の用途で使われるようには見えなかった。
「まあ、こうなるやろね。日も暮れて、そろそろ夕飯の時間やし、納屋にきよったおばさんが俺の不在に気が付けば町民総出で探すやろな」
少年はどこか楽しげに語る。
私は彼らに見つかる前に道から逸れ、山の中に入っていこうとした。けれど、枝を掻き分ける音に気づいた彼らは荒く足音を立てながらこちらへと迫ってきていた。
私は少年の手を強く握り走り出す。
「なんや、面白なってきたな」
必死な私とは対照的に、彼はこの逃走劇を楽しんでいた。その笑顔は私に憎たらしいという感情の一切を与えさせない魅力を持っていた。追われている状況でなければ呆けてしまっていただろうけれど、それを許さない剣幕が後ろから迫っていた。
背中に投げかけられる怒号は身体の芯まで響き、私を心底から震え上がらせる。およそ同じ人間から受け取る恐怖とは思えない程のそれに、私はどちらが化け物なのか分からなくなってしまう。
迷信なんかを盲信し、何の罪のもない少年を幽閉するこの町の人間たちを、私は理知を備えた人間だと思いたくなかった。それこそ、人間の皮を被った化け物だと言われた方がしっくりくる。
月明かりに照らされた山中の道なき道を走り続けると、いつしか後方の怒号は遠くなり、どこかその方向も私たちの位置とは違う方に向けられているように思えた。
「どうやら、まいたようやな」
私は糸が切れたように跪く。スカートの裾が汚れることも気にせず、乱れる息を整えるのに精一杯になっていた。
「綺麗なお月さんやな。まん丸や」
久しぶりに見た、と感慨深そうに夜空を眺める少年。それはとても絵になっており、私は綺麗なお月さんに照らされる少年の美貌の方に目を奪われていた。そんな私の視線に気が付いたのか、彼はそれに向けていた視線を私の方へと向ける。月明かりが照らす彼の肌は空に浮かぶ星々に劣らない白さで光る。それは幻想の如く、人ならざる美しさがあるように思えた。
「なんや、お前にはお月さんより、俺の方が魅力的かいな」
そう図星を突かれると、恥ずかしくなって慌てて空を見上げた。冷たい夜風は熱を帯びた頬に丁度良い。
「実はな、俺は生まれた時から化け物やったわけやないねん。まあ、異常ではあったやろけどな」
少年はその出生を語る。母のお腹の中で普通よりも長い期間を過ごし、それにより人よりも早く成長していく中で、母に捨てられたそうだ。
「気味悪かったやろな。なんせ、四つの頃にはもうこの姿やもん」
そうして叔母さんの児童養護施設に預けられた彼はその美貌から多くの女性から愛されたそうだ。
「その頃は全く興味あらへんかったからね、そう言う類の手紙はぜーんぶ焼いてしもてん。したら、その煙が俺を包みよって、気が付いたらこのありさまや」
彼に非がないと言えば嘘になるだろう。彼に恋情を抱いた女性たちの気持ちを考えれば、灰になってしまった恋文が彼を呪うのも分かる話だった。
けれど、それでも彼を幽閉し続ける理由にはならないはずだ。罪は罰によって清算され、改心の機会は万人に与えられるべきなのだから。
「まあ、そしたら思い出したんよ。俺が何者やったかっていうのを」
思い出したという表現に私は首を傾げた。それは今まで自分が何者だったかを知らない場合にのみ使われる言葉のはずだ。それまでのことは彼自身が語っている。一体、何を思い出したというのか。
「俺はな、鬼やったんよ」
そう言うや否や、彼の手は私の首元へと伸びる。細腕のどこにそんな力があるのかと言わざるを得ない程の剛力で私の喉は締め付けられる。気道を塞がれ呼吸ができなくなると、私の顔は再び熱を帯び始める。
「人の魂は黄泉に送られる。ほな、鬼みたいな人ならざるものの魂はどこ行かはるやろな」
彼の問答に答えるよりも先に私は一つ、疑問を彼に投げかける。
「ん、なんで首絞められてるかって? そやな、そろそろおばさんのご飯食べとうなったからかな」
その回答に私はどこか納得してしまう。そうだ、初めから彼は言っていたじゃないか。この逃走劇を演じる理由は面白そうだからだと。私は、彼の夕飯までの暇つぶしに使われたのだと、ようやく理解したのだ。
「まあ、殺しはせんよ。おばさんの客人らしいから。でも、俺のことは口外せんといてよ。面倒やから」
人間の方がよっぽど化け物に見えていた私を否定するつもりはない。けれど、化け物が化け物と呼ばれるにはちゃんと理由があったのだ。
化け物は、人間以上に化け物なのだと。
目が覚めると、私は父と母に抱きかかえられた。どうやら私は裏山で足を滑らせ気を失っていたことになっているらしい。心配させたことを両親に謝っていると、襖の向こうから叔母さんがやって来た。
叔母さんは優しげに微笑みながら、私の体を心配してくれる。けれど、その笑わぬ目と後ろ手に握られる刃物の存在がその仮面の下の本心を私だけに投げかけていた。
私はこの田舎町で化け物に出会った。
一人は偽ることのない化け物。
一人は人の皮を被った化け物。
そのどちらも化け物だというのだから、私はこの世に人間は居ないと思ったのだった。
怪談……ではなかったような気もしますが、いい感じの雰囲気を書けたように思います(ーヮー)