第二面 : 武闘家 後編
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私は己を恥じた。
何が強い兄だ、なにが彼女を守るだ。
手も足も出ないではないか。
独特の匂いがする清潔な病院のベッドの上で、私は拳を握ろうとして諦めた。
上腕骨に加えて橈骨尺骨指骨は五本骨折、肩甲骨及び鎖骨下顎骨はひびが入っただけで済んだが、これは一般的に『大怪我』に分類されるのではないだろうか。本当に二週間で治るのか。
しかしこの痛みは甘んじて受けよう。彼女の期待を裏切った罪は重い。
「うわっ、ミイラ男!」
そろりと病室の扉が開いて、小唄がイタズラぽく笑いながら私の傍までやって来た。
「試合見てたよ。情けないお兄ちゃんだね~」
「……………………」
「そんな寂しそうな顔しないでよ」
面白いなあ。と彼女は意地悪に笑った。
「はい。これ差し入れ」
そう言って小唄が私に手渡してきたのは透明のボトルだ。なにやらベージュ色の液体が満ちている。
「なんだこれは」
「プロテイン」
「俺をからかって楽しいか」
「にひひひひ」
昔から私が困れば小唄が喜ぶ。困った幼馴染だった。
「でも、これでやるべきことははっきりしたでしょ?」
「……」
小唄の言う通りだった。今日の比名子が求めているのは『肉体的な強さ』で間違いないだろう。私が彼女に認めてもらうには、彼女を超える強さを手に入れるしかない。
「しかも、のんびりしてる暇はないかも」
小唄が私に背を向けてなにやらもぞもぞとスカートの中を探ると、スマートフォンの画面を見せて来た。
「これ見て」
「お前どこからそれを取り出したんだ」
もしやその黒いスパッツの中ではなかろうな。
「いいからいいから」
それで済ませていい問題なのかはさておき、画面に表示された情報に私は驚かされた。
【 謎の少女、次々と市内の道場を撃破 】
【 お手柄女子高校生、動物園から逃げ出したライオンを拳で昏倒させる 】
【 強盗グループを逮捕。決め手は居合わせた女子高生。銃弾を指で受け止めたか 】
理解が追いつかない情報の数々、どうもすべて比名子のことで間違いないようだった。
「加速度的に強くなっていないか」
これでは私が彼女を超える前に彼女が銀河を征服しかねない。
「じゃあ、諦める?」
小唄が私の耳元で囁いた。
「お兄ちゃんになるの、諦める?」
「そんな馬鹿なことがあるか」
私は奮い立った。ここで諦めては男が廃るというものだ。
「そうこなくっちゃ。ボクが徹底的にサポートしてあげる」
「ちょっと楽しんでいるだろう」
「そんなことないも~ん」
小唄は心底愉快そうに笑った。
そしてなにか再びもぞもぞし出すと、今度は何枚かのDVDを取り出した。
「カンフー映画?」
「入院して動けない間、まずはイメトレだね」
「なるほど」
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それからの生活は熾烈を極めた。
己に暗示をかけるため、ナースの目を掻い潜り一日中カンフー映画を視聴し、退院後は自宅でもカンフー映画にどっぷりと漬かった。
比名子は『しゅ行の族にでる』と置手紙を残したまま帰ってきていないが、しかし時折耳にする噂によると元気に世界中を破壊して回っているようだった。その過程でいくつかのテロ組織を壊滅させて世界平和への架け橋となっていることは大変喜ばしい限りだが、いよいよ彼女に比肩する人間はいなくなっているようだった。
こうして二週間が経過した。
私の怪我も完治し、ここからは鍛錬あるのみだ。
「987…988…989…990…」
小唄を背中に乗せて腕立てをする。こんなものはまだ準備運動だ。
時計台から落下する修行、サドルのない自転車に飛び乗る修行、甘酒を呑みながら酔拳を繰り出す修行、箸でハエをつまむかと思いきやハエ叩きで叩き潰す修行などを通じて、私はみるみる強くなっていった。
そしてさらに二週間が経ったある日、ついに再び比名子と対峙する日が来たのであった。
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「いよいよだね、應之介」
「好緊張呀」
「ごめんなにいってるかわかんない」
自己暗示はばっちりだった。
ともかく、小唄がセッティングしてくれた決闘の場は家からほど近い河川敷だ。
七月の夕方、夕日が川を真っ赤に染め上げている。
比名子は確かにそこにいた。
「待ってたぜ、兄貴」
「我都係」
「随分強くなったみてえだな。オーラで分かるぜ」
「佢係為咗保護你」
「言うようになったじゃねえか……」
「ごめんやっぱりぜんぜんわからない」
感動の兄妹再開を止めると、小唄が私たちの間に立った。
「今から、不動沢應之介対不動沢比名子の決闘を開始する。審判はこのボク、野々宮小唄が執り行います。ルールは簡単、どちらかがギブアップ、もしくは戦闘不能になった時点で終了。いいね、二人とも」
「ああ、それでいいぜ」
比名子が構えを作り、私を見据えたまま頷く。
「所以冇乜問題」
私もそれに応えるように頷き、構えを取った。
「では……よーい!」
「……」
「……」
私と比名子はにらみ合った。
一瞬の沈黙。
風の音。
そして豆腐屋のラッパの音が河川敷に響いた。
「スタート!!!」
「でぃっ!」
比名子が一歩踏み出すと、河川敷に巨大なクレーターが出来上がった。
恐怖のあまり私の暗示が解けた。
「これはもうだめだ」
私の闘争心は雲散霧消していた。
音よりも速く比名子が迫ってくる。
私は突如脳内で流れ出した『蛍の光』と走馬灯にノスタルジックな気持ちになるばかりだ。
思えば孤独な人生だった。まだ17という若い年齢だが、最期に可愛い義妹に爆砕されて死ぬのならこれもまた本望だった。
突き出される比名子の拳がソニックブームを引き起こし、私の顔面を歪めながら押し迫る。
情けない兄で申し訳ない。幸せになれ比名子。
私は目を閉じた。
「124-95」
突然河川敷に響いたそんな言葉に、比名子の拳がすんでのところで止まった。
「へっ?」
比名子が驚いた表情で固まった。
「124-95だよ、比名子ちゃん。答えはいくつかな?」
小唄だ、小唄がなぜか簡単な引き算の答えを求めている。
訳も分からず小唄を見遣るが、こちらを見てウィンクするばかりだ。
可愛かったがやはり意図は不明である。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、え、えっと……えっと……」
ただ、比名子にとっては効果覿面だったようで、明らかに動揺して両手を広げている。
「まず4-5だろ? でもそれだと計算できねえから……えっと、そうだ! となりの2から1もらうんだ……それで、そしたら、5-5になるから…………えっとぉ……0?」
そうか、今しかチャンスはない。
私は無我夢中で比名子に掴み掛った。
「あ、ちょっと兄貴、今はダメだ! 答え忘れちゃう!!」
「答えは29だ」
「え!? なんで!?!?」
目をぐるぐると回しながら比名子が悲鳴を上げる。
私たちはバランスを崩してそのまま川に落ちた。
思った以上に川は深かった。
「あ、あ、水! 水は……! た、助けて兄貴……!」
比名子の焦燥感に満ちた声と水面で暴れる音が聞こえる。
もしや、比名子はカナヅチなのか。
私はとっさに彼女を背負うと、そのまま岸まで泳いで渡った。
岸に比名子を引き上げる。
「う、た、助かったぜ」
せき込みながら、比名子はなんとか落ち着きを取り戻したようだった。
「泳げなかったのか」
「うん……」
はあ……。比名子が溜息を吐いてごろりと河川敷に仰向けになった。
「世界最強になるつもりだったんだがなあ。兄貴にゃかなわねえや」
「……」
十分世界最強どころか人間ですらなかったような気がするが、この際どうでもいいだろう。
「それに兄貴がインテリだとは思わなかったぜ」
「いやお前はもう少し勉強しろ」
「これなら、『あいつ』を任せても大丈夫そうだな……」
そう言い残し、比名子はころりと寝静まった。
今回の人格はまるで嵐のように、こうして通り抜けていったのであった。
「お~い! だーいじょーぶー?」
小唄が駆け寄って来る。
「あれ? 比名子ちゃん寝ちゃってる?」
「なんとか認めてくれたようだ」
「ふふふ。作戦大成功~!」
満足げに小躍りする小唄。彼女がいなければ、私は今頃爆発四散していたことだろう。
「ありがとう。助かった」
「いいってことさ~」
やはり持つべきは賢い親友だ。
「しかし最初からその作戦があるなら、俺の修行には一体どんな意味があったんだ」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「てへっ☆?」
今日も陽は沈みゆく……
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さて、そのあとは眠ったまま起きない比名子を背負って帰り、小唄に頼んで風呂に入れ、ベッドに寝かせた。
今回は中々にハードだったが、しかし実りは大きかった。
これ以上に対応に疲弊する人格はもういないだろう。
私もまた、眠りについた。
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朝だ。
こうして自然に起きたのは一ヵ月ぶりかもしれない。
今日の比名子はどういう人格なのだろうか。少し不安ではあるが、しかし一歩一歩前進することが重要だ。
ベッドから出ようと体を起こすと、なぜか生暖かい感触が掌に感じられた。
「やんっ!」
ピンク色の嬌声が傍から聞こえて、私はそちらの方向を見た。
全裸の比名子が私の傍で寝ていた。
「應之介さんの、ス・ケ・ベ❤」
「なるほど」
どうやらかなり疲弊しそうだった。




