プロローグ : わたしと一人の兄 / 私と百人の義妹 前編
この話でちょっと一区切りにするつもりです。ネタを溜めたいのです。
薄闇の中で目を覚ます。
あ、いつものとこだ。
わたしはぼんやりと立っていた。
不思議なことに、わたしは同じ夢をよく見る。
真っ暗な空間に一人で立っていて、視界の先にスポットライトのような光が見える。あそこに立てば、いつだって『現実世界』で目覚めることが出来る。
わたしはこれを『舞台袖の夢』と呼んでいる。スポットライトに立てば現実世界にオンステージ! なんてね。
この夢を見るのがわたしだけなのか、それともみんな朝起きる時にこうしているのかはわからないけど、ちょっと面白い。
「……ほっ!」
なんだかちょっぴり久しぶりの『舞台袖』だったので、倒立をしてみたり、側転をしてみたりとはしゃいでみる。
「あだっ!」
びたん! と盛大に側転を失敗して、わたしは大の字に仰向けになった。
起きるか……
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「あれ?」
目が覚めたら部屋がダークでアバンギャルドな感じになってる……
というかこれってわたしの部屋?
記憶が曖昧だ。
こういうこともよくある。自分がしたはずのことなのに、自分が経験したはずのことなのに、なんとなく覚えてない。
この家に住み始めて二ヶ月、なんとなく幸せな気がするけど、具体的にどんなことをしていたのかが、なんとなく思い出せない。
なんでこんな模様替えをしたんだっけ?
ま、いっか。よくわからなけどかっこいいし。
ごてごての装飾が施された鏡で髪を整えると、わたしは部屋を出た。
階段を降りて一階のリビングへ向かう。
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お兄ちゃんはすでに起きていて、ソファで新聞を読んでいた。すごい、大人みたい。
「おはよう!」
もうお兄ちゃんとの生活も二ヶ月近い。こんな平和な朝がいつまでも続けばいいな。
「おはよう」
お兄ちゃんが新聞から目を離してわたしに視線を向ける。今日も完璧な無表情だ。すごい、お面みたい。
「身支度をしていろ。俺が朝食を作る」
「いいよいいよ。わたしが寝坊しちゃったんだし。つくるよ」
どうも倒立とか側転とかをしている間にお兄ちゃんを待たせてしまっていたらしい。
「いや、俺が作る。せっかくお前に教えてもらったんだ」
「もう……いいのに」
頑固だなあ……って、わたしお兄ちゃんにご飯の作り方なんて教えたっけ?
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「うわあすごい! おいしそう!」
ほかほかのご飯にお味噌汁、鮭の切り身にほうれん草のおひたし。どれもとてもよくできている。
「そう言ってくれるとうれしい」
坦々とした口調ながら少し誇らしげにお兄ちゃんはそう言った。
「食べよう」
「いただきまーす!」
二人で手を合わせて、わたしたちは食卓に着いた。
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おかしい。平和すぎる。
いやおかしいということはない。むしろ喜ばしいことだが、しかしどうにも毎日毎日ファーストインパクトが衝撃的な我が義妹なので、今日の彼女の人畜無害さがいやに不自然だった。
これではまるで……まるで……
『あの日』の比名子ではないか。
味噌汁をすすりながら、私は比名子の様子を眺めていた。なにか人格を隠しているような雰囲気ではない。
「ん? どうしたのお兄ちゃん」
「いや……」
「もー心配しなくたっておいしいって」
比名子はにこりと微笑んで白米を口に頬張った。
かわいい。
いやまて、これが本当に比名子の『基本人格』なのだとしたら、私の悲願はいよいよ成就したと考えられるのではないか。
比名子の潜在意識に、ついに兄として認められる時が来たのだろうか。
いやいやまてまて、早まるな。
「あ、お兄ちゃん、ほっぺにお米ついてるよ」
テーブルの反対側から比名子が手を伸ばして私の頬についた米粒をつまみ取った。
ぱくりとそれを口に入れる。
「えへへ~」
かわいすぎる。
これはもう人格とかどうでもよいのではないだろうか。
いやいやいやまてまてまて、どうでもよいということはないだろう。これまでの物理的に血が滲むような努力はどうなる。私を信用してくれた比名子の人格たちの気持ちはどうなる。ここはもうひと踏ん張りして、そうだな、鎌をかけてみよう。
「お前は『基本人格』の比名子なのか」
間違えてド直球な質問をしてしまった。
「へ? じんかく?」
「いやなんでもない。気にしないでくれ」
きょとんとした表情の比名子を見て、私は確信を得た。
これは間違いなく比名子の『基本人格』だ。ついにわたしは認められたのだ。代わりに突然変なことを言い出す馬鹿だと思われてしまった気がするが、しかしそれはささいなことだろう。
よかった。
ついに報われた。
短いようで長い二か月だった。
間違えたことも多くこのまま見切りをつけられてしまうのではないかという心配も多分にあったが、ようやくこれから彼女との平和な暮らしが始まるのかと思うと感激を抑えられない。
「……………」
「お、お兄ちゃん……? 泣いてるの?」
「泣いてなどいない。食べ終わったら片付けるぞ」
「? う、うん……」
食器を台所まで運び、二人で皿を洗いながら、私はこの幸せを噛みしめていた。
これは小唄にも報告をしなくてはならないな。
ふと、シンクにおいていた皿がかたかたと音を立てているのに気が付いた。これは――
「地震かな?」
「大した揺れでもないな」
無視して皿洗いを続けようとしていると、比名子の頭上の棚に置いていたグラスが揺れによって転げ落ちそうになっているのに気がついた。これはいけない。比名子の頭に落ちてしまう。
そっと手を伸ばしてコップを掴もうとしたその瞬間――
「ひっ……!」
そんな鬼気迫った声がして、私は比名子に突き飛ばされた。
私も手を伸ばした不安定な体勢だったため、よろけて台所の床に転んでしまう。
比名子の方を見上げた私は、その表情に体を硬直させた。
恐怖だ。
目を見開き、口元は歪み、体は小刻みに揺れている。
私に対する限りのない恐怖が比名子を覆っていた。
「ひな――」
「ご、ごめんなさいごめんなさい!」
私が声をかけるとパニックを起こしたように比名子は顔を手で覆い、私のそばを駆け抜けるようにして台所を出て行ってしまった。
そのまま玄関を飛び出してしまう。
「なるほど」
自分でも驚くほど震えた声が、独りきりの台所に響いた。




