第八面 : 巫女 後編
「……さま……」
ぼんやりと声が聞こえる。
「…………のすけ! おうのすけ……!」
体を強く揺さぶられている。
私はどうしているのだろうか。
「あにさま! 目を覚ましてください!」
目を開ければそこにいたのは比名子と小唄だ。
そうだ、そういえば比名子に導かれるまま廃病院へ来ていたのだった。そこで謎の老婆の悪霊に襲われたはずだ。
「皆大丈夫だったか」
「うん……なぜかキミを襲った後、あの悪霊はどこかへ消えてしまったみたい」
「わたくしも少し体を打っただけです」
それはなによりだった。てっきりあの悪霊は私たちを始末することを目的にしているものだと勘違いしていたが、こうして五体満足でいられるということは、そうではないということだろう。
「よ、よかった……てっきり死んじゃうかと思ったよ」
「あにさま、小唄先輩、申し訳ございません……わたくしが塩と味の素を間違えてしまったばかりに……」
「誰にでもミスはある」
それよりも今はいち早くこの廃病院から脱出することを考えるべきだ。ここに悪霊が存在することが分かった以上、清めの塩も掃除機もプロトンパックも持ち合わせていない我々としては一旦撤退して本職の方々をお呼びするしかなかろう。
「そうだね……ボクはもう一刻も早くここから逃げ出したい」
私は首肯した。
怯える小唄を鼓舞して、私たちは生臭い匂いの充満する霊安室を抜け出した。
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来た道を引き返そうとして、我々は行き詰っていた。
「これは……困りましたね……」
上の階へと続く階段が、机やベッドによって封じられている。
「他の道を探すしかないな」
「うぅ……」
仕方なく踵を返して他の道を探すものの、しかしそのことごとくが同じように崩落や物品の散乱によってふさがれていた。
我々は誘導されるように廃病院の奥の方へ奥の方へと進んでいった。
「もうやだよぅ……帰りたいよぅ……」
すでに幼児退行のようになってしまった小唄を背負うように、私は比名子の背中を追っていた。
「比名子、俺たちは誘導されているのではないか」
「……」
比名子は何も言わず、ただ廃病院の奥へと進んでいく。
「比名子」
「…………」
比名子は無言だ。
「これも悪霊の罠ではないのか」
「……今更気づいたんでスかァ??」
比名子は立ち止まり、そんなことを言った。
「なに」
「比名子……ちゃん……?」
「こコは廃病院の最奥、憎たラしイ小娘ハもうイナい……」
ゆっくりと振り向いたその比名子の顔は……
「ここデシねェェェエェエエエエエエエエエエエッッッ!!!!!!!!」
あの悪霊の老婆だった。
「ひっ! ……うぅ……」
あえなく小唄が私の背中で気絶し、私はいよいよ孤立無援となった。
襲い掛かる老婆から逃れようとするが、しかし地面から伸びた白い腕に足を掴まれ動けない。
老婆が纏う妖気のようなものも先ほどよりも大きい。比名子がいないからだろうか。
これはまずい。なんとしてでも小唄は守りたい。
迫る老婆にも対抗できず、私は無力感に歯噛みした。
しかし、いよいよ老婆の掴み掛る手が迫ろうという時、私の背後から何かが飛び出した。
ぬらぬらと光る『それ』は老婆の頭にかじりつくと、そのまま激しく暴れ出した。
あれは……
「サンショウウオだ」
私に取りついていたサンショウウオの背後霊だ。
なぜ可視化しているのかはわからないが、しかしどうやらサンショウウオ君は我々の味方のようだ。足元の手も困惑している。
老婆は必死で頭にかじりついたサンショウウオを振りほどこうとしているが、しかしサンショウウオもさるもの、くらいついまま老婆を離そうとしない。
「かしこみかしこみーっ!!」
いつか聞いたようなそんな掛け声と共に、闇の奥から本物の比名子が飛び出してきた。
大幣を一振りすると、足元や壁から飛び出してきた腕が消滅していく。
「あにさま、小唄先輩。わたくしが来たからにはもう安心ですよ!」
やや遅かった気もするが、しかし助かったのは事実だ。
「む……? こ、これは! あにさまに憑いてたオオサンショウウオ! 濃い霊気を吸収して実体化したのですね!」
そういっているうちにもオオサンショウウオは老婆に食いついている。
「……え? 『おいどんがこいつを止めている間に、おいどんごと除霊してくれ』? そんな……そんなことできません!」
「オオサンショウウオの言葉がわかるのか」
そしてオオサンショウウオの一人称は『おいどん』なのか。
「『それしか方法はない』? いえ、なにか他にあるはずです! サンシオーネ八世さんを傷つけずに悪霊だけを除霊する方法が!」
そしてサンシオーネ八世という名前なのか彼は。
「『いいからやれ、もう時間がない』? そ、そんな……! サンシオーネ八世さんには家族もいるのに!」
そして家族がいるのかサンシオーネ八世は。
「『お前にも守るものがいるだろう』 う、うぅ……そうですね……わたくしも強くならなくては」
比名子はサンシオーネ八世の言葉(?)に決意の表情を見せると、大幣を構えた。
「ありがとう……サンシオーネ八世さん……」
かしこみかしこみーーーっ!!
そんな声が廃病院に響いて、老婆の悪霊はサンシオーネ八世と共に光の粒子となって消えて行った。
「サンシオーネ八世さあああああああああん!!」
比名子の悲痛な声が、光に満ちた廃病院に響き渡った。
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「…………」
「…………」
翌日。
私と小唄は、家の庭に作った小さな墓の前で手を合わせていた。
墓標には『サンシオーネ八世』とある。
「……ねえ、應之介?」
「なんだ」
「いまいちよく分かってないんだけど。ボクたちは一体何をしてたのかな」
「俺に聞くな」
眩しい日の光が私と小唄を照らしていた。
明日からいよいよ夏休みだ。




