第五面 : 風紀委員長 後編
「やはりあなたが裏切り者でしたか。副委員長」
「なんのことかな」
とぼけてみるがしかし効果はなさそうだ。女生徒は風紀委員会支給の電撃竹刀を取り出すと、容赦なく襲いかかって来た。私も所持しているが持ち歩くのが嫌だったので携帯していない。
「覚悟! あなたは独房禁固です!」
掠りでもしたら即座に気絶必死なのでもはや逃げるしかない。うっかり口を滑らせてしまったことを後悔してももう遅い。
私はとりあえず逃げ出――そうとしてつんのめって地面に転がった。
「今日はついてないな」
つぶやく私を見下ろす角度で、眼鏡の風紀委員が竹刀を大上段に構えた。
「残念です」
そんな冷え切った言葉と共に凶器が振り下ろされる。
己のふがいなさに恥じ入って目を閉じてみるものの、しかしいつまで経っても電撃が訪れない。
どういうことだろう?
薄目を開けると、女生徒がマタタビを嗅いだ猫のような表情で佇んでいた。ぼんやりとした視線を私のそばに向けているのでそちらの方を見遣れば、いつのまにやら私の鞄から弁当箱がこぼれ落ちていた。
「どうした」
弁当箱をとろんとした表情で眺めている風紀委員に声をかけると、彼女はビクッっと体を震わせた。
「そ、その弁当箱は……」
先ほどまでの毅然とした態度はどこへやら、おどおどとした所作で彼女は私に問いかけた。その動作で一層、彼女への既視感は強まる。確か……確か……
思い出した。
武闘家騒動の際、私を道場まで案内した比名子のクラスメイトだ。
「も、もしかしてそのお弁当、比名子様がつくったものではありませんか……?」
比名子様? そんな畏まった呼び方だっただろうか。
「そうだが」
「ものすごいヒナコニウムが感じられるのですが、もしかして食べ残されていたり……?」
「ヒナコニウム?」
未知の物質だ。聞いたことがない。
「知らないんですか!?」
「勉強不足で済まない」
「はあ……仕方ないですね。教えてさしあげます。そこに正座してください」
正座した。
「いいですか。ヒナコニウムというのは不動沢比名子様がその体から発している物質でして、私たちはそれを摂取しなくては死んでしまいます」
「なるほど」
「具体的には比名子様と会話する、比名子様と目が合う、比名子様と同じ空気を吸うなどして摂取します」
「なるほど」
「わかりましたか?」
「わからん」
女生徒はやれやれという表情で肩をすくめた。腑に落ちない。
しかしこれはチャンスである。私の予想通り、風紀委員の秩序は比名子への信仰(?)に依るものが大きそうだからだ。
「実は風紀委員の仕事が忙しくてまだ弁当を食べていない」
正座したまま私は彼女に訴えかけた。
「もし協力をしてくれるなら、この弁当を君が食べてくれてもいい」
「ぐ……そ、それは……」
激しく葛藤する女生徒。
比名子に対する誠意と己の欲望の間で揺れ動く乙女心。なんと切なく美――しくはないか。
「いらないのならすぐにでも俺を拘束してくれ。その際は惜しいがこの弁当を窓の外から投げ捨てる」
「なっ! そんな罪深いこと……!」
恐怖におののいて女生徒は顔を蒼くした。
「どうする。五秒以内に返答しろ。5……4――」
「あ、あわ、あわわわわわわ……!」
「3……2――」
「……ください」
「聞こえないな。1……ゼ――」
「逮捕しないのでそのお弁当をください!!」
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「うぅ……比名子様……浅ましいこのわたしの行為をお許しください……」
むせび泣きながら正座して弁当を食べる風紀委員。
「結局、風紀委員の構成員はそのほとんどが比名子のファンであると」
「はい、そうですよ? 風紀なんて正直どうでもいいです」
「急に素直になったな」
「わたしはもう穢れた身ですから……」
遠い目で弁当を見つめる女生徒。卵焼きをつまんで口に運ぶ。
「おいひい……」
「そうだろう」
兄として誇らしいばかりだ。
「いいなあ……お兄さんを殺して成り替わりたいなあ」
兄として恐ろしいばかりだった。
さておき、この小柄な少女の名前は『木実萌果』といい、熱狂的な比名子支持者の一人である。その手腕は高く、風紀委員会の中での地位も高い。彼女を抱き込んだとあれば、この計画の成功率もぐっとあがるだろう。
「理解してほしいが、こちらも比名子に敵意があってこの計画を立てたわけではないということだ」
「しかし比名子様は気を悪くしますよね」
「それはそうだが」
比名子の行為で生徒が被る迷惑は、圧倒的にこの計画によって比名子がこうむる迷惑よりも多い。しかし一年生からしてみれば比名子の感情こそがなにものにも優先されるので、それこそが厄介な点だと言えよう。
「このままだと比名子は人の痛みを知らないままだ。それは比名子のためにもならないだろう。彼女が嫌われるようなことにはしたくない」
「それは……まあ……そうですけど……」
「お前がファンクラブ?の規則?を破ったことも、弁当を食べたことも黙っておくから、手伝ってくれ」
「それ、脅してるだけですよね」
はあ、とため息をついて、木実は私の目を見た。決心の光が見える。
「いいでしょう。これも比名子様のためだと思って手伝います。そのかわりわたしがファンクラブの鉄の規則を破ったことは絶対に黙っていただきますよ」
真顔で弁当箱を嘗め回しながら彼女はそう言った。
最高に心強くて最高に気持ち悪かった。
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『比名子様は最近、放課後になるとわたしたちを先に帰して、ご自身はお部屋でなんらかの作業をしているようです』
『どんな作業かはわからないのか』
『ご自身では「押収品の管理、査察」とおっしゃっておりますが、今までそれで残業していたこともないのにここ最近は毎日のように精を出しておられていて、わたしたちとしては大変心配です』
というような情報提供が木実からあったので、私は単身、比名子に帰宅を促された後も彼女に隠れてこっそりと学校に戻って来ていた。
真っ赤な夕暮れ。
比名子は不安げな表情でキョロキョロとあたりを見回しながら、やがて押収品を集めている一室に辿りついた。
再度辺りを警戒すると、彼女はそっと室内に入り、ドアを閉めた。
五分ほど待ってみるが、恐ろしいほど室内は静かだ。
足音に気が付かれないように部屋に近付いて、室内を覗き込む。
「……こ、これは…(ゴクリ)……またすごく、破廉恥な、うわ、すごい……」
背中で隠れていて見えないが、しかし何かの本を読んでいて感銘を受けているようだ。
私は落胆に近い気持ちになった。
毎日学校に残って読書に励むことが、何らかの不正につながるとは到底思えない。勉強熱心で結構なことではないか。
これはまた別のアプローチをするべきだろう。
踵を返して帰宅しようと思っていると、うっかりと私は携帯電話を床に落としてしまった。
コトンッと小さな音がしたが、これほど静かな廊下ではそれでも響いてしまう。
まずい。そう思って慌てて体を引っ込めると、私は息を殺した。
部屋の中からも物音はしない。しのぎ切ったか?
ズガァァァァァァァァアアアアアアアアアアン!!!!!!!!!!!
轟音がして背後の扉が吹き飛んだ。
一緒に吹き飛んで廊下に転がると、私は慌てて辺りをうかがった。
立ち込める土煙の向こう、竹刀を携えたあの姿は……
「……見ましたね……?」
「いや本を読んでいる姿など見ていない」
「見ているではありませんか!!」
やっちゃった。
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空き教室に逃げ込んで鍵を閉めたころには、私はすでに満身創痍の状態だった。
打撲に擦り傷切り傷青痣。羅刹のような形相で迫りくる比名子に対抗する術もなく私は逃げ纏うばかりだった。
「兄さま~~~?」
地獄の底から響いてくるような声が教室の外から聞こえてくる。
今なら確信できる。
比名子は私をこの世から消し去るつもりだろう。
「いらっしゃるんですよねぇ……? なにもしませんから出てきてくださぁい」
これほど打ちのめしておいて信用できるわけもない。
私は教室内で一人震えた。
「お困りのようだね」
そんな声がして振り向いてみると、教室の隅の掃除用具入れから『泥鰌の会』会長が現れた。
「なぜそこに」
「そんなこと言っている場合かな?」
ズゴンッ!
と凄まじい音がして教室の扉が大きく揺れた。
「兄さま~?」
ズガンッ!
扉を破壊するつもりらしい。あの勢いで扉を攻撃されては錠前も長くはもつまい。
「あのまま放置していると、僕も君もまずいことになる。わかるだろう?」
「ですがどうすればよいのですか」
「焦るな焦るな。僕に策がある」
そう言って制服のポケットから会長が取り出したのは中くらいのビンだ。
「これはなんですか」
「葡萄酒さ」
「なるほど」
「飲んでくれ」
突然の要求に私は困惑した。手に重たいこのビンの中身は、確かに葡萄酒のようだった。パッケージには『日本薬局方』とある。
これを飲んだとして、比名子を止めることはできないだろう。
ズドンッ!
「兄さまあ??」
「いいから飲むんだ」
「私はまだ未成年です」
バギィイン!
「それは医療品だから平気だ」
「しかし」
バギバギバギ……!
「選択の余地はないぞ。應之介君」
ついに扉は破られ、鬼のような表情の比名子が薄笑いを浮かべながらこちらへ向かってくる。
「見つけましたよ、お兄さま」
私は意を決して葡萄酒の蓋を開けた。
口に流し込む。
一度に大量に摂取したせいか、瞬く間に意識が混濁していく。
これは……
この感覚は……
比名子が目の前に迫りくるのを感じながら、私は意識を混濁になくした。
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目が覚めれば比名子がそばで眠っていた。
ここは、保健室だ。
「初めて出会った時のことを思い出すね」
横に座っていた会長が薄く笑っている。
「あれから何があったのですか」
「いやあ、凄まじい酔拳だったよ」
「……」
「武闘家騒動のときは僕も苦労したからね。君ら兄妹の情報はチェックしているのさ」
「一体あなたは何者なのですか」
「まあ、いずれわかるよ」
そう言って会長ははぐらかした。
「彼女の暴走は、彼女がBL本を読むことが『風紀違反』であると考えていたからだろうね」
あれはBL本だったのか……
さておき、何よりも風紀を重要視するこの人格が、自らのルールを破ったのだから、しばらくこの人格が表層化することもないだろう。
私は起き上がると、彼女を連れて帰ることにした。
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「いやあ。どうなるかと思ったよ」
すっかり平和になった校内。昼休みに小唄がそう言った。
「反動があるかと思ったがそうでもないな」
拘束されていた学生たちも特に解体された比名子率いる風紀委員に復讐をするでもなく。今まで通りの
生活を送っている。
久しぶりののびのびとした教室内の風景を眺めながら、私は総菜パンを口にしていた。
比名子が眠ったままなので今日はコンビニで昼食を購入した。
そんなふうに小唄と歓談していると、いつかのように教室のスピーカーから放送が流れ始めた。
「生徒会からのお知らせです。本日より、風紀委員長から『不動沢比名子』を解任し、『寂寺傾耳』を任命したします。繰り返します――」
おや。と思っていると、新任の風紀委員長の演説が始まった。
「前任の不動沢ほど『上手く』できる自身はないですが、僕は――」
どう聞いても『泥鰌の会』会長の声だった。
まんまと利用されたらしい。
「今回は特に振り回されただけだったな」
比名子と出会う前よりも随分と不味く感じる総菜パンをまた一口かじって、私は窓の外を眺めるのであった。
呆れるほどの晴天が、いよいよ夏を告げている。
もう少しすれば夏休みだ。




