面白いものほど役に立たないのは宿命なのか 昆虫が好きだったあの頃
昆虫・恐竜・偉人は男性なら子供の頃に一度は憧れたものだろう。私が小学生の頃はムシキングにどっぷりとハマっていたこともあり、カブトムシ・クワガタを心底愛していたものだ。母に買ってもらったカブト・クワガタの飼育図鑑も、落丁寸前になるまで読み込んでいた。特にネプチューンオオカブトのカッコよさが私の心をガッチリ掴んでいた。(周りの友達はヘラクレス推しばかりだったのでネプチューン推しは珍しかった)
一冊では飽き足らず、図鑑と間違い探しが一緒になった本や、強さ・カッコよさでランキング形式になっている本など、様々な昆虫図鑑を集めた。今でもこれらの図鑑は本棚に眠っている。
恐竜については、昆虫ほどではないが「恐竜キング」のアニメを見ていたこともあってそれなりに知識はあった。ティラノザウルスの姿には諸説あるらしいが、私の頃はおそらく皆が一番馴染んでいる姿だったはず…。(最近では羽毛が生えた鳥のようなシルエットになっているらしい)
私は昆虫学者になりたかった。カブト・クワガタの研究を好きなだけして生きていける。こんな幸せな事はないだろうと。ヘラクレスの亜種やオオクワガタの見分けだってカブクワ全盛期の頃は簡単に出来たものだ。
しかし中学生にもなれば現実を突きつけられることになる。学者(それも生物系)になるには「理数系が得意」というレベルではなく、学年トップクラスの学力がなければならない。さらに「理数が得意」というのはあくまで中学生での話であり、その後高校、大学と勉強を続けて大学院で研究できる水準にまで持っていく必要がある。数学で30点しか取れなかった私には無理な話だったのだ。
では学者以外で昆虫の知識を活かせる仕事があるかと言われれば、博物館の学芸員や昆虫ショップくらいになる。これらはお世辞にも高給取りとは言えない。
昆虫だけでなく、恐竜にも同じ事が言えるはずだ。恐竜を学ぶにも高水準な学力が要求される。さらに学者以外の道は昆虫と同じく博物館の学芸員くらい。
「好き」を仕事にする代わりに、給料は望めない。好きと高収入はトレードオフ(一方を選択すれば、もう一方は選べないという関係)なのだろうか。
図鑑や絵本で夢を与えるだけ与えて、実際には(あえてこう書くが)何の役にも立たない知識である。結局「好き」は「好き」のままであり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。それが仕事に繋がるわけでもないし、知っていた所で世間から評価されるわけでもない。なぜ、面白いものほどこの世の役に立たないのだろうか。
図鑑は「子供でも楽しめる」ように作られている。専門的な知識がなくともなんとなく分かってしまうのだ。私は結局、図鑑に踊らされていただけの人間だったのだ。同時に、出版社のいいお客さんだったにすぎない。
こういう風に大人になっていくのだろうか。