ネットが「自称アスペルガー」を増やした
アスペルガー症候群が日本で広く知られるようになったのはここ数年の話である。私は医療界隈の人間ではないので詳しくは知らないが、現在ではアスペルガーという言葉は正式な名称ではなく「自閉症スペクトラム」の一種とされている、と聞いたことがある。
アスペルガーに限らずadhdなど、大人の発達障害について近年では注目されている。ネガティヴで有名な栗原類氏もつい最近自身が発達障害であることを明かしたという新聞記事を見かけた。これは一見すると良い傾向に思える。発達障害という存在自体も知らない人間だって居ただろう。また、単に甘えとして処理してしまう者も多かったはずだ。「発達障害」という言葉が広く使われるようになった現在では、多少なりとも多様性を認められるようになってきたのではないだろうか。(それでもまだまだ根本的な解決策は確立されていないのが課題である。)
しかし「アスペルガー」という言葉が広まった事は良いことばかりではなかった。某大型掲示板では「アスペルガー」がバカな奴の烙印として使われ始めた。つまり、相手を侮蔑するためのネットスラングとして用いられるようになったのだ。
さらに大きなデメリットとして、有名になりすぎたが故に簡単にインターネットの検索でヒットしてしまう、という点がある。確かに検索すればすぐに関連した記事を見つける事ができるのは便利である。
だが「空気が読めない」「人と目を合わせられない」「不器用」等の、健常者にもあり得るようなことを検索するとすぐに候補として「アスペルガー」が挙がるのだ。確かにアスペルガーの主要な症状として上記のものはおおむね正しいと言えるだろう。しかし、一口に「空気が読めない」と言っても度合いに大きな個人差が生じる。本当に言葉の表面上の意味しか読み取れない人もいれば、ちょっと天然くらいの人だって居るだろう。インターネットの検索ではそういった「個人差」は無視されるのだ。結果として「もしかして自分はアスペルガーかもしれない」という、自称アスペルガーの人間が出てくるのだ。
かつて私もその1人だった。きっかけは父から読みなさいと言われた朝◯新聞の2010年の記事『アスペルガーは個性だ』というもの(うろ覚えです)
記事を読んでみると「好きなものには集中」「言葉の表面しか理解できない」など、割と当てはまっているように感じた。その頃の私はポケモンにしか興味がなく、たしかに国語力もそんなに優れてはなかったのかもしれない。だが冷静に考えたらアホらしい話である。そんな人間、ゴマンと居るではないか。誰だって好きなものは好きだし、嫌いなもんは嫌いだ。国語力に自信のない者だって決して少数派ではない。この新聞記事も「個人差」というものに全くもって触れられていなかった。
さらに悪質なことに、ネット上には「アスペルガー診断」なるものが存在する。医療関係者が公式にやっているものならまだしも(それでもネット上で診断など可笑しな話だが)個人でどこの人間かもわからんような奴が作った診断だって存在する。全くもって信用できない。
変に「アスペルガー」という言葉が流行ったばかりに私のような人間が増えてしまったのだ。「自分は普通じゃないかもしれない」という不安は多大なストレスになるのだ。中高生にもなればネットを駆使できるようになる年ごろだが、物事の真偽を見極めるにはまだ早すぎる。中途半端にアスペルガーの知識を得ることは不幸しか生まないのだ。
発達障害を理解する一歩はまず、「発達障害について正しく、信用できる情報ソースを得る」ことだと私は考えている。そして私のような「自称アスペルガー」で悩んでいた人もネット上ではなくて、信用できる医療機関で診断してもらうようにすると良いだろう。恥ずかしいと思う人も居るだろうが、勇気を持って真偽を確かめてほしい。私のような「自称アスペルガー」がこれ以上増えないことを願うばかりだ。