第5夜 予兆
前回のあらすじ
領主ハルトは敏腕?
一方。
使用人達を解散させ、家の主であり、この辺境伯領の領主であるその人はグラスゴーだけを連れて、自身の執務室であるその部屋に入った。
グラスゴーは部屋の扉がしっかりと閉められたことを確認しつつ、執務室にある椅子に座ったその人を見た。
いつも通り、そこには表情ひとつ無い。その考えを推し量ることはできなかった。しかし、グラスゴーは問わなければならなかった。
「良いんですか?あの子、何も知らない人間ですよ?引き取っても。」
足でまといにしかなりませんよ、とはグラスゴーは言わなかった。引き取った本人がこれを分からずにシヴァリエを迎えたとは思えない。しかし、それのその返答はグラスゴーの予想を遥かに超えていた。
「使えるからだ。」
「はい?」
何と言われたのかグラスゴーにはさっぱり分からなかった。使える?使えるだって?しかし、朝方見た彼女はどう見ても無力な人間の女の子だった。成長すれば分からないが、とてもではないが何かあるような女の子ではない。
そうグラスゴーは思った、その時だった。
「使えるでしょうね、それはそれは。だから、ボクが貰おうと思ったのになぁ。」
どこからか響くその声。実に中性的な男性とも女性とも取れる声はふいに現れた。
机に座るハルトの背後にその人は霞を伴って、突如として現れる。
真っ黒なフードを被り、顔や体型までも見せないその人をグラスゴーは息を呑みながら、内心、その存在に吐き捨てた。
(魔女‥‥!)
フードの僅かな隙間から真っ白な肌とエメラルドグリーンのメッシュの入った金髪を覗かせながら、その人、魔女は笑みを浮かべてハルトを背後から抱きしめた。一方、それにハルトは眉一つ動かさない。気にしていないようだった。魔女はそんな反応が分かっていたのか、特に気にすることなく、そのままハルトに体重を預けた。
「本当に、ボクの新しいおもちゃを取らないでいただきたかったですねー。我が主よ。」
微笑みさえ浮かべ、そう魔女は言うが、グラスゴーは魔女が苛立っているのを肌で感じた。ハルトとはまた違う意味でこの魔女は恐ろしいのだ‥‥そう自分の邪魔をされるのが魔女の鬼門であるが故に。
執務室に魔女のねっとりとした怒りが芳香のように漂う。
「我が主でなかったら、本当に、八つ裂きにしても仕方が無かったでしょうね?いやはや、まさか‥‥貴方までも目につけるとは思わず、とんだ失態をしたものです。」
だが、そんな魔女の怒りもハルトには何処吹く風のようで、無視さえして机に広がっていた自身の仕事に手につける。それに魔女はあからさまに不満げな表情を浮かべた。
「話聞いてからやってくれます?それ。ボクは今、とても怒っているんですよ?」
だが、そう魔女が言ったに関わらず、彼は反応一つしない。
それにますます魔女は不満げになる。
「全く‥‥我が主は必要最低限の行動の中に部下の愚痴不満を聞くという行為が本当に無い。ボクがあのおもちゃをどれだけ探したと思っているんです?わざわざ“他所の世界”から連れてきたというのに。」
その魔女の言葉にグラスゴーは目を見開いた。他所の世界‥‥?
尚も魔女は続ける。
「せめて、返すか、詫びかもしくは労を労ってくれませんかね?なかなか居ないんですよ?ああいうのが素質として精神に内在している魂なんて。ボクが本気出せば、あれは幾らでも使える方向性があります。だから、返すか、詫びか下さい、我が主。」
そう魔女が言い切ったタイミングで、ハルトは机に筆を置く。そうして、彼は口を開いた。
「‥‥玩具はあれ一つではないな。」
「あ?バレました?」
ハルトの指摘に魔女は悪びれもなく微笑んだ。その微笑みにグラスゴーはゾクッと寒気を感じた。一方、そんな魔女にも顔色一つ変えずハルトは淡々と問う。
「他は使えるのか?」
「そこそこですね。ま、使いようでしょうか?」
「話にならない。」
「だから、居ないんですってああいうのは。‥‥ああ、そう言えば‥‥。」
そこで魔女はわざとらしく話を変えた。
「魔族の長が決まりましたよ。これまた“丁度いい”のが。どうされます?」
その問いにハルトの目が細められる。
そうして、やがて目を剣呑に光らせた。
「好きにしろ。」
告げられた言葉に魔女はフードの中で実に楽しそうに口角を上げた。これは報酬だ。とびきりの報酬であり、ハルトが労を労った結果だ。おもちゃは諦めなければならないが、魔女はその報酬に笑みが止まらない。これからの行動を好きに出来るなぞ‥‥愉悦が止まらない。
「yes、マイロード。星の導くまま貴方に。」
そう言ったが早いか、魔女は執務室から消えた。
去ったのが分かるとグラスゴーは思わず背後にある壁に寄りかかった。いつの間にか手には汗が握り、寒気から身体が震えていた。そんな中、ハルトがまた仕事に向かうペンを握る音が静かになった部屋に響く。
恐ろしいと思う。
事も無げに指示した内容はゾッとするほど、残酷で惨たらしいものをグラスゴーには想像もつかない相手にもたらすものだ。‥‥あの魔女は‥‥実に相手を不幸にすることに置いて、放し飼い出来ない存在だった。だというのに、この主人は褒美として好きにしろ、と魔女の首輪を外した‥‥。
‥‥嫌な予感が走る。
「ハルト様、いえ、我が主よ。何をしようと言うのですか‥‥?」
そのグラスゴーの問いに、ハルトは彼に背を向けたまま、答えた。
「何もしない。」
「え?」
「“俺はな”。」
自身の手でやらずとも‥‥向こうが勝手にしてくれる。
グラスゴーには確かにその言葉にそんな意図を読んで、瞠目し息を呑む。
(‥‥これは‥‥また酷い混乱が生まれるぞ。)
その嫌な予感が刻一刻とグラスゴーのみならず、シヴァリエにも近づいているのを気づいているのは一体どれだけいるのか。
ハルトの表情は一つも変わらなかった。