第29夜 第一王子
前回のあらすじ
お兄様、王命を断る。
しかし、である。
一介の一貴族がどんなに口で断ったとしても、王命の方が絶対であるのは致し方ないことであった。
困惑するシヴァリエを庇うようにハルトは1歩だけ前に出るが、そんなハルトに王は首を横に振った。
「残念だが、君に選択権はない。だが、出来うる限りの譲歩はしよう‥‥。彼女を傷つけるつもりは無い。神に誓っても。」
譲歩という恩恵を与える、だから、NOは受け付けない。そう傍に控えていたアンナは聞こえた。横暴だ。わりと横暴すぎる。アンナは改めて知る。この目の前にいる王は一見、知的で落ち着きがあり、良識もあるが‥‥それでも彼は“王”なのだ。他者を従わせて、その上にのし上がり、絶対権力を振りかざす王様‥‥。自身が優先されて当然だという彼の常識を一連の流れから汲めて、アンナは思わず息を呑んで、顔には出さないが、内心、顰め面になる。
「兄様‥‥。」
小声でシヴァリエがハルトを呼ぶ、それをハルトは一瞥すると、王の方へ向き直った。
「シヴァリエに御夫人の面影を重ねないと誓えますか?」
その言葉に王が息を呑んだのを、グローゲンは確かに見た。そして、ハルトの傍らにいる少女を改めて見る。確かに、確かに王が先程の発言をしてしまうのが分かるほどに、彼女は先日、亡くなった妃に似ていた。
王は少しばかり焦りを混じらせながらも、ハルトに誓った。
「あ、ああ‥‥約束しよう。」
それをハルトに苦々しく告げた王のその姿をグローゲンは思わず、視線を背けた。
ふと、辺境伯領に王妃が亡くなったことを言っていただろうか、とグローゲンは気になった。あの時、混乱の中にいた為にもう分からない話だが、何となく辺境伯領には伝えていなかったような気がした。
緊張気味のシヴァリエは王とその側近や護衛に連れられて、宮殿内の数ある中庭の一つに案内された。そこに置かれたテーブルと椅子には淹れたての紅茶とクッキーのような焼き菓子が用意されていた。
「シヴァリエ嬢。こちらへ。」
椅子を勧められて、シヴァリエは恐る恐る礼儀に気をつけながら座る。しかし、意外と緊張はしていなかった。前世で世界規模のスポーツ大会のキャンペーンで開催国の首相と対談した経験があるからかもしれない。だが、シヴァリエの王に対する印象はあまり良くない。緊張とはまた違った気を許せない緊張感がシヴァリエを支配していた。
王はそんなシヴァリエに対し、穏やかな表情であった。まるで慈しむような、優しく見守るようなそんな表情。
それは2人きりになって早々、ハルトとの誓いを破り、がっつりシヴァリエを自身の妻と重ねている証拠であった。しかし、ここにはハルトもいない為、それを咎める者はいない。その上、王を咎められるようなものも居なかった。
「シヴァリエ嬢は何が好きかな?サラフェ?アルダ?カナマ?」
どうやら焼き菓子の種類のどれが好きか聞いているようだった。しかし、シヴァリエはこの世界生まれてこの方、この焼き菓子は食べたことが無い。ローザレンス家は言わずもがな、辺境伯領では果実がおやつ代わりだった。作るお菓子でも柑橘を細かく切ったものに蜂蜜をかけて、魔法で凍らせたお菓子とか、パンケーキにチョコをかけたみたいなお菓子が辺境伯領の主流で、焼き菓子はあまり無かった。
「‥‥食べたことが無いので、分かりません。」
「?辺境伯領では出ないのか?」
「焼き菓子はあまり‥‥。果物をよくいただいているので。」
「なるほど。辺境伯領の文化を私は知らないが、今度はフローレンスの特産の果実を用意させよう。」
今度‥‥?その言葉にシヴァリエは内心、戦慄した。次があるのか、このお茶会‥‥。その言葉に、シヴァリエは思わず背筋を震わせた。今すぐ兄の下へ逃げたかったが、無理であるのはよく分かっていた。
社交辞令もあって、焼き菓子の一つに手を伸ばす。食べてみたがこの状況のせいか、あまり味を感じることはできなかった。
「どうだ?美味いだろうか。」
「お、美味しいです‥‥。」
世辞で感想を言ったようなものだが、王はその言葉に機嫌を良くしたようだった。
「そうか。そうか。もっと食べると良い。」
「ありがとうございます‥‥。」
そんなシヴァリエを見ながら、王は悩んでいた。
やはり、やはりこのシヴァリエは亡き彼女に似ていた。一つ一つの仕草が表情が‥‥まだお互いに幼かった頃の彼女を思わせた。
(このまま辺境伯領に返すには惜しい。)
自身の養女として引き取ろうか?しかし、では貴族からの反発が強いだろう。何せ領主の妹とはいえ、“あの”辺境伯領の人間だ。彼女を円満に引き取れはしない。
(一目でこの子を手元に置きたいと思ったものの‥‥果たしてどうしたものか。)
ふと、そこへ。
「お父様、何をしていらっしゃるのですか?」
彼の息子である王子の1人、第一王子であるルキウスが来た。
ルキウスはこの国の第一王子である。淡い金髪にペリドットの瞳を持つ、王族でも最も美しい容姿と讃えられるその人である。性格は思慮深く真面目で機微に聡い、と周りは言う。数年後には王になることが確定しており、彼のここ最近は王としての仕事を学ぶ日々を送っていた。
そんな最中、仕事の資料を探しに彼が部屋を出ると、自身の父親が幼い女の子とお茶をしているという奇妙な光景を目にし、しかも、その女の子が緊張からか何なのか震えながら、必死に気を使ってぎこちなく表情を取り繕っているというそれに王子は思わず、自身の父親の目を疑った。
しかも、少女に対して、王は実に楽しそうではないか。頭を思わず抱えた。
「お父様、何をしていらっしゃるのですか?」
思わず出た言葉は非難の色を帯びていて、少女が驚いてビクリと震えた。申し訳ない。しかし、君に浴びせたわけじゃないから怯えなくて大丈夫だよ。そうルキウスは内心告げながら、自身の親と親を護衛する彼らの前に来た。
「怯える少女を寄ってたかって囲んで、一体何をなさっているのか、お分かりか‥‥!?」
「る、ルキウス。」
「お父様、少女をよくご覧下さい。震えてますよ。」
「!?」
そう言われて初めて王は彼女自身を本当の意味で見た。すると、確かに少女は堪えるように震えていた。
よくよく考えれば、まだこの子は8歳で、王都に来るのも宮殿来るのも初めてなのだ。更に、兄からも引き離され、たった1人で王を目の前にしたのだ、失礼をしたらいけないと小さいながらに気を張って、気を使っているのだ。
‥‥そこで初めて王は彼女に悪いことをしたと気づいた。
「申し訳ない‥‥。この詫びは今度、盛大な茶会で‥‥。」
「そうではないでしょう!」
またもズレたことを少女に告げようとした父親をルキウスは止める。
「親元に返すべきです。今すぐに。お父様、貴方が今やっているのは、幼女誘拐も同然なのですよ!?」
「よ、幼女誘拐‥‥!?」
まさか、自身の子どもからそう批難されるとは思わず、王は立ち所に萎縮する。
「し、しかし‥‥。似ているだろう、あの彼女に?」
その王の言い訳に王子はまたも頭を抱えた。ちらりと少女を確認目的で見ると、確かに先日亡くなったあの方に似ていた。確かに似ていたがルキウスには美少女ではなく“普通の少女”に見えた。目がヤケに彼女に惹かれるが、そんなもの些細なもので、怯える彼女をどうにかしてこの王様から引き離さなくてはならないのが先決だった。
「だから、何だと?全く関係のない少女に亡き妻の面影を重ねるなど少女に失礼ではありませんか?そんな理由で怯える小さな少女を無理をさせるなど、お父様、あの方がこの場面を見たら、どう思いなさるでしょう?」
その言葉に王は苦虫を噛み潰したように表情を歪め、近くにいた侍女に渋々告げた。
「マイネス伯爵に連絡を‥‥。彼女を帰すと‥‥。」
王の脳裏には呆れたように息を吐き、こちらからそっぽを向く亡き妻の姿が鮮明に映った。
「ごめんね。怖かったでしょう?」
失意に沈む王の前で、王子がシヴァリエを慰めるように声をかける。シヴァリエは何となくその光景を見て、前世の交番を思い出した。王子が迷子を助ける優しいおまわりさんに見える。
「今すぐ君のお兄ちゃん来るからね。迎えが遅いようだったら、俺が送るから心配しないでね。」
うん、やっぱりおまわりさんに見える、しかも、かなり典型的な。もしくは保父さん。
と、その時、閃いたように王が立ち上がった。
「そうだ!ルキウス、彼女と結婚しないか!?」
「お黙り下さいませ、お父様。」
しかし、即座に当の王子に否定された。
「お父様、何をふざけたことを仰るのですか。」
「正室が無理でも寵妃なら、傍に置ける。」
「‥‥何をふざけたことを仰るのですか‥‥本当に。」
呆れたように王子は吐息を吐いた。王はどうしても彼女を傍に置きたいらしかった。ルキウスが有り得ないのは、それを当の本人である彼女の前で王が言ってしまったことだった。‥‥妻が亡くなり、彼は寂しいのだろう。だから、少しでも彼女の面影を傍に置きたいのだ。それは分かるが、やり方が横暴すぎる。権力の無駄遣いに他ならない。
ルキウスは溜息を吐きつつ、少女を安心させるように謝った。
「ごめんね。あのおじさんの言葉、本気にしなくて良いからね。君には君の人生があるんだから。 」
「ルキウス!?」
とうとうお父様とも王とも呼ばれず、おじさん呼びされた王は傷ついたようだった。しかし、そんな王に構わず、ルキウスは彼女に向き合った。
「甘い物食べる?‥‥大人向けの焼き菓子じゃ口に合わなかったでしょう?何か用意するよ?」
ルキウスという王子はシヴァリエから見て、不思議な王子だった。王族らしくないというか、王子というには庶民的すぎる感性の持ち主だった。親しみやすい、優しい。人に無理強いする傲慢さもない。その上で嫌味なく言いたいことははっきり述べ、正しくないことには正しくないと言える勇気ある人だった。
王子らしくはないが、きっとこんな人が王様になったら、国が平和になるだろうと思えるような人だった。
「お兄さん‥‥いえ、王子様、ありがとう。」
そう微笑んで、お礼を言うと彼は穏やかに笑った。
「うん。どういたしまして。」
その光景は微笑ましいものだったが、その光景を見る王の目が、結婚しろの4文字になっていて、ルキウスは今すぐ少女を親元に帰したかった。
だが、その時だった。
「ダメだよ。」
突如響いたその声にシヴァリエはさあっと青ざめる。
そして、ルキウスの目の前、シヴァリエの背後にその人は忽然と現れた。
「僕のなんだから。」
その言葉と同時に、シヴァリエは遥か上空にその人に連れ去られた。




