第2夜 お兄さん、綺麗
前回のあらすじ
主人公、フードさんに逃がされる。
玄関の扉が開いた。
驚いてそちらを見ると、そこには燭台を手に持った‥‥背の高い、少年ぐらいの年齢の人がいた。
目が合う。
ドキッとした。
頭の中で警報が、鳴り響くのを感じた。
逃げろ、逃げろ、と五月蝿いこれは何?
思わず怖くなって自分の体を縮こまらせる。何だかそんな雰囲気の人なのだ。玄関灯と燭台の光に照らされたその人は15歳くらいのお兄さんなのに、その漆黒の髪と切れ長の深い紫色の瞳のせいか、凄く近づいちゃいけない怖い恐ろしい人だと思ってしまう。お化け屋敷に入る時みたいな恐怖じゃない‥‥何だか出会っては行けない人に会ってしまったような‥‥。
「‥‥。」
その人は私を視認しているのに、こちらを見つめるばかりで何か話しかけてこようとはしなかった。その見つめるのもまるで私の内心の隅々まで見られているのではないかと思うくらい、怖いものだった。
何を言ったら良いか分からない上に異様にその人が怖くて、言葉に窮する。でも、何か言わないと‥‥。それにフードさんが頼ったのはきっとこの人だ。あの人柄が良いフードさんが頼る人だから、良い人のはず。
「あのう‥‥。夜分遅くにごめんなさい!えっとその‥‥。」
思い浮かばないなりに頑張って声を出す。すると、そのお兄さんが表情一つ変えずに口を開けた。
「入れ。」
「!?」
まさか入れなんて言われるとは思わなくて、お兄さんを二度見する。一方で、さっさとお兄さんはそんな私を置いていくように中に入っていった。‥‥本当に入っていいのかな‥‥?怖くて足が竦むけど、私は思い切って着いて行った。
家の中は凄くシンプルな間取りの、白壁に囲まれた部屋だった。台所、居間、浴室が家を突き抜けるような廊下一つで往来できるように配置されていて、部屋数も多い。お兄さんは私の3歩前を歩いて、ずんずんと廊下の奥に行く。通り過ぎる部屋の扉によってはいびきや寝息が聞こえるから、きっとお兄さん1人だけじゃなく、色んな人が住んでいるのだろう。
廊下の一番奥に着くと、お兄さんはそこにある扉の鍵を開けて、無言で私を入るよう促した。一切無駄のない、淡々とした動き‥‥お兄さんが一瞬、人間じゃないような気がしたけど、私はお兄さんが機嫌を損ねないように早く入るのに夢中でそんな疑問飛んでしまった。
部屋の中は書斎のような場所だった。窓以外埋め尽くすような本棚に、何だか高級そうな両側に棚が着いた重厚な机、そこに置かれた椅子。そして、まるで応接間にあるようなソファのこじんまりしたのが、部屋の中央に2つ。2人がけのそれが対面するように小さな机を挟んで置かれていた。
お兄さんが目でそのソファに座るよう勧め、私は少しばかり緊張しながら、そこに座った。
すると何処からか暖かい紅茶が私の目の前に現れる。‥‥魔法で出したのかも。ふとその紅茶に映った自分の髪と瞳の色がいつもと違う気がしたけど、お兄さんの言葉で遮られた。
「紙。」
紙とはきっとあのフードさんの紙だろう。私はいつの間にか目の前のソファに座っていたお兄さんに戸惑いながらも、紙を渡した。その紙をお兄さんは徐ろに手に取ると、それを読み始めた。
‥‥凄く緊張する。
緊張から気を逸らしたくても、何故かそういう魔法でもかかっているかのように私の目はお兄さんの方を見てしまう。やっぱり凄く怖い人だ。さっきからずっと無表情だし、紫色の目はどこまでも深い色をしていて底が見えない。人間離れした白い肌、気迫さえ感じる圧倒的な何かを感じる雰囲気‥‥。なんだろう。居るだけで迫力があるのだ。本人は何気ない普通のことをしていても、お兄さんからまるで圧力でも放たれていて自分が押し潰されるような気持ちになる。でも‥‥そんな第一印象に怖がっていたら、一言も話せなくなる。それじゃだめだ。お話出来ないと何もこの人に聞けない。
アイドルだった私を思い出せ。大御所の短気なおじいさんだって最初怖かったけど仲良くなれたじゃない!養女にしようか、なんて言われるぐらい仲良くなった!ここで怯んだら、仲良くなれる人も仲良くなれない‥‥!
自信、自信!
私はお兄さんが手紙読んでいる間に、お兄さんの別の印象を持とうと見る。印象が変われば、多分お話出来るはず!どうせお兄さんから目を離せないのだ。お兄さんを怖いけどよく見て‥‥。
あっ!
「‥‥お兄さん、綺麗‥‥。」
思わずポロリと出た私の言葉に、お兄さんが手紙から顔を上げる。思わず、自分の口を塞いだ。お兄さんがじっと無言のまま私を見つめてきた。‥‥うっ、やっぱり聞かれたんだ。どうしよう‥‥。言ったら不味かったかな。
「ごめんなさい。お気に触りましたか?」
「‥‥。」
是とも否ともお兄さんは言わない。やっぱり言っちゃダメだったかな?何で声に出しちゃったかな‥‥私‥‥。
ところが、お兄さんが次の瞬間言った言葉に驚いた。
「‥‥お兄さん、とは俺か‥‥?」
「?はい、お兄さんがお兄さん‥‥です、よ?」
何を聞かれているのか一瞬分からなくて変な返答しちゃった。お兄さんはここに1人しかいないのだから、お兄さんがお兄さんなのは分かることだと思う。だけど、お兄さんはそれに訝しげに目を細めた。
「‥‥俺が綺麗?」
まるで初めて言われたみたいな反応だった。そんな反応に私の方が戸惑ってしまう。お兄さんの雰囲気は本当に怖い。本能が今すぐ逃げなさい命がないからと叫ぶくらい怖い。でも、そんな雰囲気を一先ず置いて、お兄さんを見ると、お兄さんはびっくりするくらい端正な顔立ちをしていた。あれだ、女性向けのゲームで出てくるようなイケメンだ。高身長、服の上からでも分かる細身の筋肉質な身体、黒い髪と対照的な白い肌、そこに映える深い紫色の瞳‥‥容姿端麗、眉目秀麗、見ていると今日さっきまで見ていた夜空を思い出す。
うん、やっぱり綺麗な人だ。
「お兄さんは綺麗な人です。お星様だけの夜みたいな。」
そこまで言って、慌ててまた私は口を塞いだ。初対面に失礼すぎじゃないかな?お兄さんの顔をずっと見ていたことになるし、初めて言われたなら、絶対気を悪くしたよね。どうしよう。
改めて、お兄さんの方を見る。きっと無表情でこっちを睨んでいるような気がするよぉ‥‥。と思っていたのに。むしろお兄さんの表情を見て、私がびっくりしちゃった。
お兄さんが瞠目していた。
初めて表情を崩したところをこの時見た。
表情崩すと怖い雰囲気が一気にお兄さんの見た目相応の雰囲気になるのに気づく。それに気づいて、私はやっと何だかほっとした。この人も人なんだ、と本心から思えた。
なら、気負わなくて大丈夫だよね。私は正直にお兄さんに打ち明けた。
「自己紹介が遅れました。私、アイリス・ローザレンスです。私の家族が襲われたところをフードさん‥‥親切な人が逃してくれたんです。その人がここに行けって‥‥。あの‥‥私‥‥これからどうしたらいいか分からなくて‥‥逃してくれた人の無事も気になるし、私の家族を襲わせた人から逃げないとダメな気がするし‥‥。‥‥お家に帰ってもきっと待っている人もいないから‥‥。」
打ち明けながら段々と現状がわかり始めて、困った。私、思ったより詰んでる。何処にも行き場が無いんだ。家族の身代わりで捕まったんだもの。本来ならフードさんの依頼主さんのところに行くのを、フードさんが逃がしてくれたから、今があるのだ。それがつまり、今があるだけで先が無いということだと今更自覚した。
先程瞠目していたお兄さんだが、私がそう言うと元の無表情になってしまって、何を考えているのか分からなくなってしまう。
仕方なく自分で考える。やっぱり路頭に迷っているわけだから、働くのが筋かな‥‥?でも、私、実は前世があるから忘れちゃうけど、まだ8歳なのよね。働き口あるかな‥‥。
「‥‥あの8歳でも働けるところってありますか?」
「‥‥。」
お兄さんの目が訝しげに細められる。説明悪かったみたい。
「お家に帰れないし、居場所もないから、働けばいいのかな?と思うんです。働ければ、家族がいなくてもお家も借りて生きていけるから‥‥。」
そう私の過ごしたあの日々のように、働いて生きて行ければ‥‥誰かがいなくても生きている。そう告げたら、ますますお兄さんに訝しげに見つめられた。‥‥何だか怒っているような気がする。8歳の発言じゃないもんな‥‥よくよく考えたら、8歳には似合わない態度をさっきから取りすぎている。もしかして不審に思われたのかもしれない。
ややあってお兄さんは口を開いた。
「‥‥お兄様。」
「はい?」
「今日から俺のことはお兄様と呼べ。」
?????????
ちょっと理解が追いつかない。脈絡もなく何故、この人はお兄様と呼べなんていうのかな?私が戸惑っていると、その人はソファから立ち上がり、私の方にやって来ると、私の手を取って立ち上がるよう促した。それに私はとりあえず立ち上がり、どこかに私を連れて行こうとしているお兄さんの手に引かれて、歩を進めた。
その時、手を繋がれて初めて分かる。私の手が震えていることに。やっぱり人だと思っても、まだ私はお兄さんが怖いのかもしれない。
‥‥でも、寡黙で言葉が少ないお兄さんの手は凄く暖かった。
お兄さんが私を連れてきたのは、台所だった。
台所はとても広くてコンロが3台、流し台が4つ、調理台が何人も並んで作業出来る4畳くらいの大きさ、それらが並んでいて、まるでお店の厨房のようだった。
その調理台を机に小さな椅子をお兄さんは出すと、私に座るよう促した。何をするんだろう?私が座るとお兄さんは私から手を離して、宙に向かって手を捻った。
すると、台所に風が何処からか舞い込み、食器や食材が戸棚から飛び出した。魔法だ‥‥!それからは本当にファンタジーだった。フライパンがひとりでに動いて肉を焼き、包丁が野菜の中で踊る。くるくると回るのは食パンで、パン切りナイフでみるみるうちにスライスされていく。調理台の向こうではチーズが火に焼かれて溶けている。そうして調理されたそれらを受け止めるように皿が私の前で舞う。
凄い。
目の前でショーが行われているみたい。屋敷のメイドさんでも全部魔法任せで料理なんてしていなかった。せいぜいガスの代わりとか、食洗機の代わりぐらいしか使って無かったのに、この人は全部魔法でしちゃった‥‥。あまりに凄くて、ついつい身を乗り出しそうになりながらみちゃう。
美味しそうな温かい匂いが鼻腔をくすぐる。
もしかしたら、生まれて初めてじゃがいもと堅いパン以外の食べ物の匂いを嗅いだかも知れない。
あっ。
そんな私をお兄さんがじっと見ていることに気づいたその時、私の前に舞っていたお皿が次々とおかれた。
「‥‥わぁ‥‥。」
前世では見かけない料理ばかり並ぶけど、その彩りと匂いで分かる。絶対美味しい。
玉ねぎとトマトと‥‥鶏肉っぽいような白身魚のようなお肉が煮込まれたスープに、赤い細長い木の実に溶けたチーズを載せたパン、何か黄色い葉っぱに緑色の‥‥バジルソースをかけたようなサラダ‥‥。あと、オレンジ色のリンゴと赤色のオレンジのデザートが付いてた。
これ、もしかしたら、もしかして‥‥私のなのかな?考えすぎかな?食べていいのかな‥‥。伺うようにお兄さんを見ると、お兄さんが食べるよう目で勧めた。
「い、いただきます‥‥。」
食べていいなら、食べたい。
初めてだ。こんな豪華なご飯‥‥。
‥‥本当に‥‥アイリスに生まれてから‥‥初めて‥‥。
信じられないくらい初めてご飯が美味しいと思った‥‥。
どうしてだろう。食べながら、私は泣いていた。
びっくりするくらい、美味しくて‥‥温かい。
食べたことない味ばかりなのに、酷く懐かしい気分になる。
そう言えば‥‥アイドルだった私も、ご飯と言えば、既製品のお弁当とインスタントばかりだった。じゃあ手作りの御飯とか‥‥いつぶりなんだろう‥‥。
こんなに、こんなに美味しかったっけ‥‥。
お兄さんの魔法は本当の魔法なのかもしれない。
小さい頃、絵本で読むような魔法‥‥。
「‥‥お兄さん、いや、お兄様、お兄様は幸せの魔法使い?」
そう聞いたら、お兄さんの表情がやや困惑したように思う。
だってそうじゃないか、と思うじゃない。
ぐずぐずに私の頬は涙で濡れていっている。でも‥‥ご飯が美味しくて手が止められない‥‥。そんでもって凄く心が満たされるんだ。
うん‥‥お兄さんはきっと本物の魔法使いなんだ。あの絵本に出てくるような。‥‥怖いのは見た目だけで‥‥本当に怖かったら、こんなに温かいご飯作れないもの‥‥。
泣きながら食べる私にお兄さんは言葉少なに言った。
「俺の名はハルト・マイネス。」
「ハルト‥‥さん?」
「お前は今日から、シヴァリエだ。」
「しば‥‥?」
「シヴァリエ・マイネス。」
「!?」
「‥‥今日からお前は俺の家族だ。いいか?」
それはびっくりするような話だった。
私をお兄さん‥‥お兄様は家族として引き取ろうと言う‥‥。神様かな、信じられないくらいこの人親切で優しい。‥‥嬉しい。そっか、だから、お兄様と呼べと言ったのか。言葉が足りない人だ。‥‥何だか全然怖くないな、この人。優しい、フードさんが頼るだけのある、優しい人だ。
「ありがとうございます。お兄様‥‥。」
何だか泣きながら笑っちゃった。
この恩は絶対忘れないようにしよう。
凄く良い人な、幸せの魔法使いさん。それが私の新しい家族になってくれるなんて、なんて贅沢で幸福なんだろう‥‥!私、夢でもみているんじゃないかな‥‥?
++++++
「?ハルト様?」
アイリスもといシヴァリエがハルトを名乗る少年に家族として迎えられた頃、同じ屋根の下で、この家に住み込みで働く使用人の男が騒々しさに目が覚めて、自室から出たところ、台所で銀髪に少年と同じような瞳をした小さな幼子と、自身の雇い主にあたる少年が何やら話しているのを発見した。
思わず使用人の男は少年を二度見する。
何故なら、少年の性格を知っている彼としてはそれが如何に珍しく有り得ない光景であるのか、知っているからだ。
「‥‥ハルト様が一個人に心を砕かれてる‥‥?」
使用人から見て、ハルトという人物は常に人を寄せ付けず、誰かに気を許したり世話を焼いたりしない人間だ。その彼が幼子をじっと見ているだけでなく、何やら会話しているのに、腰が抜けるぐらい使用人は驚いた。
「明日は天変地異でもあるのか‥‥?」
そのぐらい、そのぐらい、見ない光景なのだ。多分“ここ数百年”は見ていない。
「一体、何が‥‥。」
そう使用人が台所の扉に身を潜めながら疑問を口にすると‥‥どうやらハルトは使用人に気づいているのか、紙切れのようなものがひとりでに台所の中から使用人に向かってひらりと飛んできた。それを使用人は急いで手に取ると中身を見た。
そこにはなかなかに衝撃的なことが書いてあった。
『突然のお手紙、ゴメンなさい。
この子、両親、ネグレクト。俺、良心、ダイレクト。
この子、捨てられた。
この子、食べてない、体重無い。
この子、このままだと、俺の変態上司行き。
だから、上司の上司であるあなた、頼る。ごめんなさい。首、チョンパ覚悟してる。
この子、どこか保護、して欲しい。この子、俺のこと怖がらない、多分どこでも生きていける。だから、とりあえず保護、して欲しい。
手紙、お願い、ごめんなさい。』
「‥‥ネグレクトされてた人族の子どもねぇ‥‥。ハルト様、保護するのですか‥‥。」
厄介事の匂いしかしない。
特にハルトの部下で変態とくれば、一体どんな奴を指しているのか容易に想像がつく。
そう、シヴァリエの、アイリスの屋敷を襲ったのは家族になろう、といった当のハルトの部下なのだ。
まだシヴァリエが家族になる件を使用人は知らないが、容易にその厄介さが理解できる。実に面倒なことになった。苛立ちさえ感じるが‥‥この手紙の持ち主は実に頭が良い。
「あの人を抑えられるのは、全世界でハルト様だけですからね。当たりくじもいい所、ですが、我々下っ端にとっちゃ貧乏くじ‥‥。」
はあ、と溜息を吐く。
その使用人の名はグラスゴー。
藍色の髪に青白い肌‥‥そして、特徴的なその小ぶりながらも尖った耳、緑色の猫目‥‥。
その容姿の特徴から人は俗に魔族と呼ぶその人がそこに居た。
「さてはて‥‥吉と出るか凶と出るか‥‥。」
使用人は頭を悩ました。
最も、この先彼はまた別の問題で頭を悩ますことになるのだが‥‥それはまだ誰も知らない。