第16夜 そして、現れる。
前回のあらすじ
皇子、恋に堕ちる。
辺境伯領、城壁に近い地下シェルター。
魔族からの攻撃に備え逃げる為に作られたシェルターには、多くの人々がいた。
辺境伯領には戦火だけでなく、災害からの避難の為に各地に幾つもの地下シェルターがあり、どんな魔法でも壊れない壁と扉に守られたそこには、約2ヶ月は余裕で生きられるほどの保存食と、何千人分の水が蓄えられており、こうした非常時の避難先として優秀に機能していた。
そして、このシェルターは領主宅にも近い場所にあり、シーラやアンナなどの戦争に関わらない使用人と一緒にシヴァリエもこちらに避難していた。
そんな彼らは今、現時刻、朝ということもあり、早朝から避難していた住民の殆どがお腹をすかせているのを見越して周りの住民の手伝いも得ながら炊き出しをしていた。そうして、その中でシヴァリエも手伝いをしていた。
「はい、スープですよ。暖かいうちにどうぞ。」
そうにこやかにお腹をすかせている人々に朝食を配り回っていた。
男性は全て前線に駆り出されている為に、このシェルターには高齢の人や女性、子どもしか居らず、配膳する机まで取りに行けない人が多いのだ。女性の中には妊娠中の人も多く、シヴァリエはこのシェルターの中で大活躍だった。
元々アイドルまこちー時代にもこうした活動は災害で被害が出た地域に度々行って慣れていたし、それに今‥‥。
「ねえ、御領主の妹ちゃん。」
「はい?」
配り回っている最中でシヴァリエを引き止める人間のおばあさんがいた。彼女は少し戸惑った様子でかねがね疑問に思っていたのだろう問いをシヴァリエに問いかけた。
「貴方は何でそんなに今、走り回っているんだい?配膳なんてお嬢様がすることでもないでしょう?」
彼女には先程から領民に食事を配り回るシヴァリエが俄に信じ難いようだった。シヴァリエは幾ら王都から冷遇される辺境伯と言えど、フローレンスの貴族の1員だ。彼女は城壁内からこちらに移住した人間である為に、シヴァリエが信じられなかった。彼女が知る貴族というのは人から奪った税金で贅沢する性根の腐った者達だ。決してこんな風に領民に手を伸ばす人達ではない。
そのおばあさんの話に周りにいたリザードマンやドワーフの女性達も気になったのか、いつの間にかシヴァリエを囲んだ。そんな彼女達を気にせず、シヴァリエはおばあさんの問いに微笑みながら答える。
「‥‥兄様は今、最前線にいるんです。だから、兄様と同じくらい頑張りたいんです。」
その答えにその場にいた全員が顔を合わせた。そんな彼女達を前にシヴァリエは今は遠くにいる兄を思いながら言った。
「兄様は今、この場所を守る為に戦ってます。もちろんサウスさんやターザさんとか私兵隊として頑張っている方々もいらっしゃるんですけど、兄様は本当の本当の最前線にいるから‥‥私は私の出来る事を何でもしたいんです。それでお兄様の為になるのかは分からないんですけど‥‥。」
最後は少し恥ずかしくなって声が小さくなってしまったが、彼女達にはシヴァリエの言いたい事が分かったらしく、感心した同時に驚いたような表情をしながら、そのシヴァリエを見ていた。やがて、おばあさんが口を開いた。
「貴方、あの御領主が大好きなのね。」
それにシヴァリエは満面の笑みを浮かべる。
「はい!」
そんなシヴァリエに噂好きのリザードマンのおばさんは詳しく聞いてきた。
「‥‥ちなみにどうして好きなんだい。私には怖い人にしか見えないし、好きになれないけどねぇ。」
なかなかに失礼な言葉だったが、それにもシヴァリエは笑顔で答える。
「怖く見えるだけでお兄様はお優しいですよ。分からないことは教えてくれるし、大変な事になっても助けに来てくれるし‥‥あと、抱っこして寝かせてくれました!」
抱っこ‥‥?
抱っこ‥‥!?
シェルターのその場所だけに衝撃が走る。目の前の幼い少女を抱えている領主の姿を想像するだけで身震いがするほど信じられない。そこに寝かせてくれたという追い討ち。キメラ怪獣に懐く子うさぎの図を彼女達は、一斉に浮かべて、思わず息を呑んだ。あの領主が子どもの寝かしつけをしたようなもんである。彼女達はシヴァリエの話が信じられなさすぎて固まってしまった。
「あっ、アンナに呼ばれているので、ここで失礼します!!」
丁度アンナに呼ばれたシヴァリエはそこで彼女達に別れを告げる。ややぎこちなく彼女達はシヴァリエを見送ると、口々に言い合った。
「‥‥御領主って実はああいう人なのかしら。」
「分からないわ。」
「でも、お嬢様は本当に大好きみたいね。」
「‥‥怖いと思ってないのでしょうね。」
ふと、その中でおばあさんが頷いて、言った。
「‥‥お嬢様があんなに懐いて、御領主を思っている‥‥。それが答えだわ。あんなに人が懐くにはそれだけの本物の気持ちが無いと無理だもの。」
俄には信じ難い。
しかし、シヴァリエの思いを聞いて、彼女達はハルトの評を改めることにした。
妹様にはちゃんと優しい兄だと。
妹様には。
一方。
混迷極める帝国の軍勢の1角、部隊長であるバルガスという魔族の黒髭を立派に蓄えた武骨な男は、事態の収拾の無さに舌打ちと苛立ちが先程から止まらなかった。
辺りを見れば、爆発によって重傷を負った自身の部下とこちらに向かってくる辺境伯領側の兵士達。遠くを見れば、一方的にやられる自陣の魔法士部隊と投石部隊が見える。
「腰抜け共め‥‥!!」
剣を抜き、憤る。
世界最大国家の軍が聞いて呆れる。たかだか歩兵部隊と騎兵隊が爆散しただけで不利になるなど、しかも、まだこちらの方が数が多いというのに関わらず、この一方的な展開。彼は自身の軍勢が実に恥ずかしく情けなかった。
彼は今までの全ての戦争に於いて勝って来た百戦錬磨の将軍だった。だからこそ、自身ともに自身が率いる戦士にも自負があり、誇りがある。それが今、穢され、貶められ、貶されている。実に憤りが収まらない状況にあった。
「こうなったら‥‥!!」
バルガスは自身が手塩をかけて育てた馬、怪馬と呼ばれる跳躍や走りに優れ、しかし、技量と実力が無ければ乗ることすら出来ないその馬に方向転換を促し、ある場所に向かって走るよう指示する。
目指すは辺境伯領。‥‥そのどこかにある敵の本陣。
「一矢、一閃でもこの怒りを‥‥!!」
この作戦を立てた下劣な人間がいる筈だ。ソイツに知らしめてやりたい。よくも我を我らをコケにしたな!と。バルガスが馬に全速力で走るよう指示し、辺境伯領に1人突っ走る。敵の矢が何本を飛んでくるが、剣で薙ぎ払い、先を急ぐ。
「うおおおおおああああああ!!」
雄叫びを上げ、向かうは一直線。
‥‥しかし。
その目の前に、1人の人間が現れた。
「‥‥ひっ‥‥!」
その一目見た瞬間、バルガスの表情が青ざめる。
何故だ、息が詰まる。
何故だ、震える。
何故だ、真っ白になる。
何故だ、どうしてこんなにも恐怖する。
そこにいるのが、何なのか分からない。確かに人らしいと恐怖する頭は理解するが、何故こんなにも恐怖する原因が何なのか分からない。
死ぬ。
その二文字が頭を駆け巡る。
思わず馬を止めてしまう。それでも撤退しないのは彼の意地だった。
しかし、それが彼の最大の不運であり、墓穴であったのを誰が分かったか。
ガタガタと震えるバルガスにその目の前にいる恐怖は実に淡々とした言葉で、事も無げに言った。
「‥‥馬、寄越せ。」
うちのは使えないから使えるお前の馬、さっさと渡せ、と言われるという新手の恐喝と脅迫にバルガスは一瞬にして心が折れた。
戦場ではバルガスが1人外れた行為をしても相変わらず、魔族と辺境伯領側の闘争は続いていた。
「‥‥くそっ‥‥。」
「攻めきれないぜ。」
「まじ数だけが嫌っすね~。」
サウスの一団は魔族の魔法士達相手に善戦していたが、如何せん、数が多く攻め切れない為、勝っている気がしなかった。
魔族の魔法士の殆どは詠唱してから技を放つという非常に面倒臭いやり方で戦っており、詠唱中にこちらが矢を放てば簡単に倒すことができるが、1人ばかりに気を遣っていると他の詠唱中だった魔法士の魔法がこちらに放たれるのでなかなかに厄介だった。
「言わば!マントルモグラ叩き!!」
「ふざけてないで、腕動かせ!!」
団員に叱咤しながら、サウスは剣を振るう。
(しかし‥‥ここいらで一つ、何か状況変わってくれねぇかな‥‥?)
出ないと団員の士気がこのままだと下がり、ただ疲労して隙が生じる。今のところ、こちらの被害は重傷1人、火傷3人、凍傷2人‥‥。この混迷極める中でこれだけしか怪我人がいないのは上々だろう。しかし、このままというのは有り得ない。隙が生じれば、今の帝国の不利が自分達になるかも知れないのだ。
(‥‥御領主の作戦はあと一つ。だが、俺達には“状況が変わるまでは戦え”という実に曖昧な指示しか出さなかった。)
状況が変わる、それも劇的に変わる瞬間があるのだろう。‥‥それが何かはサウスには予想もつかない。あの領主が何見ているのか本当に理解できないが、確かにあるのだろう。実際、この戦況は確実に彼の掌の上だ。
(報酬がかなり割良いから不満は無いが、恐ろしい人だ。)
世界すらその将来、掴めるのではないか?
そうサウスが思った瞬間だった。
「ぎゃあああ!!」
けたたましい悲鳴が突如として響き渡る。それは死に際の断末魔‥‥には全く聞こえない。むしろ‥‥何か恐怖に直面したような声だった。
戦っていたサウス達も思わず、そちらを見る。すると物凄い勢いで魔族の兵士達が退却しているではないか。味方の魔族も敵であるサウス達も突然すぎる彼らの行動に呆然としてしまう。
撤退しているのは甚大な被害を受けた歩兵部隊や騎兵隊を中心に様々な部隊の魔族で、皆、尋常ではないほど怯えて逃げていた。負傷者ですら足を引きずってでも逃げている。その表情には鬼気迫るものがあり、見ているこちらが不安になるほどだった。
「な、何が起こったんだべ‥‥。」
戸惑う団員を見て、サウスは気を利かせ、投石部隊が捨て置いていた射出装置の上に飛び乗る。戦況が一望できるそこでサウスは目を細め‥‥そして、あまりの驚きから目を見張り、その名を叫んだ。
「御領主‥‥!?」
その姿を見て逃げ惑う魔族達を、時たま今、乗る馬が蹴り上げても顔色一つ変えず、ハルトは恐怖のあまり半狂乱となって向かってくる魔族を自身が持つ剣で事務的にも見える動きで次々と屠り葬る。
「‥‥。」
相変わらず無言だったが、自身が何もしなくても逃げ惑う彼らに少しだけ息を吐いたように見えた。そんな中で、ハルトはこちらに向かってくる影を、1人みつける。
「わ、私は第23隊将軍のカラヤングル!!貴様の命を貰う!」
「‥‥。」
バルガスと似たような理由だろうか?こちらに名目と誇りの為に恐れながらも刃を向け、馬に乗ってこちらに向かうでっぷりとした腹の男が1人。ハルトはそれを無言で剣を構え、出迎えた。
「ハア!!」
将軍の迷いの無い実に鍛えられた剣が馬上のハルトに向かう。しかし、ハルトの目は一切怯まず、むしろ‥‥剣呑に細められた。瞬間、鋭い一閃が将軍の剣と交わる。その途端、将軍の剣は宙を舞った。
「‥‥な‥‥っ。」
心底、支配する恐怖によって剣の握り手に力が入って無かったのだ。幾ら鍛錬した腕の持ち主である彼でもどうしようもない致命的なミスを犯していた。
剣が宙を舞う中、ハルトの容赦ない追撃が丸腰となった将軍を襲う。将軍が来ていた鎧にハルトの剣が貫通し、その身体に剣の切っ先が入った。
「グハッ‥‥。」
しかし、それ以上剣は進まない。血が流れ出す中、異常な痛みに将軍は苦しみながら、それを訝しみ、ハルトを見る。
「吐け。」
そんな将軍に彼は尋問するように無表情のまま問い詰めた。ただ問われているだけなのに‥‥将軍にとっては最後の審判に見えたのは何故だろう。そう何故なら‥‥。
「貴様らの本陣はどこだ?」
「東の崖に‥‥。」
そう答えた瞬間、将軍は絶命した。ただそれを聞く為にだけに彼は生かされただけだった。ハルトは彼に弔いの言葉一つ吐かず、バルガスから奪った名馬を走らせた。
(綺麗‥‥。)
(きれいだ‥‥!)
シリウスは人生初めてではないかと思うような高揚感の中にいた。彼にはもう周りのことなど見えていない。ただ世界中で一点のみを見ていた。シェルターの中で食事を配り回る少女、その笑顔や仕草、揺れる髪の一つ一つから目が離せない。
彼の頭には、自分を殺そうとする父や、自身の願いや、後ろの監視者、自身の死の予兆すら消えていた。
ただあるのは幼子には刺激が強すぎる恋慕と、魔眼ではその声や匂いが分からないという現状に対する不満だけだった。
会いたい。会って僕に笑いかけて欲しい。その手で僕に触れて欲しい。
好き、好き。大好き。
どうしてこんなに好きになるのか分からないくらい好き。
彼はもう夢中という言葉では足りないくらい。強く彼女に惹かれていた。ここが崖の上で、後ろにいる彼がいなければ今すぐにでもそちらに行きたい程に。
否。
行けばいいのだ。崖だとか戦争中だとか死を望まれているだとかどうでもいい。そんなの気にするより、彼女の下に走る方がよっぽど有意義だ。行こう。場所は分かってる。彼女に会って、そして‥‥!!
「‥‥!!」
だが、皇子を阻むようにそれは現れた。
そんな皇子の目の前、崖を馬で駆け上がって来たのだろうその人が突如として現れる。少女に夢中だった皇子でも思わず現実に帰るような衝撃的でとてつもなく大きな存在が、彼を一気に恐怖のドン底に落とした。
皇子の後ろでレーテンブルグ候を含め、兵士達が一斉に悲鳴を上げる声が遠くに聞こえる。
腰が抜ける。体が震えて、喉が引き攣る。
「‥‥わ‥‥あ‥‥!」
魔眼持ちである皇子でも見た事がない恐怖だった。
どうしようもない
なす術ない。
死を感じるそれ。
そうして怪馬に乗ったその人間の形をした明らかに異質な存在は、皇子の目の前で剣を抜いた。




