第9夜 狂気故に。
前回のあらすじ
主人公、誘拐された。
シヴァリエを攫った男の子は人形である。
その中身である本体は帝国の首都の地下で水晶玉越しに辺境伯領を眺めつつ、その人形を巧みに操って、檻に入れた可哀想な小鳥を運んでいた。
「全く、レーテンブルグ候から辺境伯領から娘を誘拐せよ。と何という仕事を押し付けられるとは思わなかったが‥‥。」
マルケレというその本体である魔族は魔族の有力貴族である諸侯からの依頼で、シヴァリエの誘拐を実行したその人であった。近々フローレンスに戦争を起こそうとしている帝国の王に確実な勝利と貢献をして媚を売る為に、今回の依頼人は勝利の為に如何なる手も惜しまないつもりのようだった。そう、攻め落とす予定の辺境伯領の最近引き取ったという幼子を人質にするなんていう卑劣な手さえ使う程に。
魔族の中でも魔法に秀でたマルケレはその依頼を受け、運び屋を手配し、幻術で直前まで身を潜めながら領主宅に潜入した。まさかこんなにスムーズに人質を確保出来るとは思わなかったが、マルケレはそれ以上にこの人質に実を言うと出会った瞬間から心を酷く奪われていた。
初見の時からずっと“目が離せない”。
何故か離そうするのに抵抗があり、抵抗せずにずっと見ている内にその一つ一つの行動に目が奪われていった。まるで魔法か呪いかとも思ったがそんな欠片、少女のどこにも無かった。ただずっと見ていたくなる程にいつの間にか夢中になっていた。出会ってから僅かな時間しか経っていないというのに、病的に惹き付けられる。
捕らえたい。そして、檻に閉じ込めるように私の下へ連れていきたい。
魅了の魔法にでもかかったかのように思考がそればかりになる。だからこそ、既にその人質は自身の手の中にあるのに、ほくそ笑んだ。
レーテンブルグ候には既に報酬として、この少女が欲しいと言ってある。返事はまだ返ってこないが、人間の子どもなぞ彼は興味無いだろう。あの子どもは最早、私のものだ。
「マルケレ!そこにいるか?」
だが、その声に私はハッとしてしまう。
何故だ!?
何故!?ここに‥‥!?
「レーテンブルグ候!?」
そうこの地下ににこやかに入ってきたのは当のレーテンブルグ候であった。髭を蓄えた立派な顔つき、中年男性程の外見年齢のその人は礼服をきっちり着こなし、私の前に出た。
「首尾の方はどうだね?」
「はっ!あの運び屋がヘマしましたが滞りなく。」
だが、一体何故、ここに‥‥。
「星占で、不吉な印が出たのでね。確認しに来たのだよ。」
こちらが何も聞かずとも彼はそう答えた。確かに占いで不吉な印が出たとは魔法を重んずる者にとっては看過し難い。しかし、私は今すぐ彼に出て行って貰いたくて仕方がなかった。
何故なら、人質である彼女を極力、レーテンブルグ候には、いや、自身以外の誰にも見て欲しくなかったからだ。
しかし。
「それでどうなっている?遠見を私に見せてくれないかね?」
候の言葉を撥ね付けられるほど、自身の立場は偉くない。マルケレは渋々自身の手にある水晶玉をレーテンブルグ候に見せた。
レーテンブルグ候の目には既に人形が連れている人質がいるだろう。それに嫉妬に近いものをマルケレは人生初めて感じた。自身の宝物は自身だけのものだと言いたい。そんな激情に狂うマルケレを他所にレーテンブルグ候は瞠目していた。
「‥‥これは‥‥これは‥‥珍しい。」
驚いたように目を見開いたまま、レーテンブルグ候は水晶玉越しにいるその少女をまじまじと見る。やがて、レーテンブルグ候はマルケレには残酷すぎることを言った。
「‥‥この少女は私が貰う。」
「な!?」
「いやはや‥‥こんな人間がいていいのか?」
レーテンブルグ候は感心しきりな様子でマルケレなど眼中に無く、彼がどのような表情をしているかなぞ、全く見ていなかった。マルケレは人生で最大の怒りを感じていた。たったその一言が彼の怒髪天を衝いた。それが例え、レーテンブルグという自身より何倍も偉い魔族が相手としても、抑えきれない程に。
「レーテンブルグ候よ。今回の報酬は少女で良いと言った私をどうなさるつもりか。」
「?ああ、そう言えば言っていたな。ならば、最初の報酬の5倍だそう。それで良いか?」
「いいえ。いいえ。私は彼女が欲しいのです。」
「‥‥もしやお前、あの少女に入れ込んだか。マルケレ。」
レーテンブルグ候はそこで初めてマルケレを見た。どこか憐れむような人を見下した顔をして。
「お前ほどの術師でさえも、あれには逃れられんということか。」
「何のことです?それより候よ、回答を!私は彼女が欲しいのです。金など要りません。この件の殆どは私が手配したのです!私に報いを下さるなら、彼女を!!」
そのマルケレの言葉にどれだけの熱情と恋情と劣情があったことだろう。それは先程出会った少女に心を奪われたというだけでは片付かないような狂気に成り果てていた。そんなマルケレの様を見て、レーテンブルグ候はゾッとした。同時に水晶玉に映る少女を二度見する。思わず、口角が上がるのは、その有用性を今直に見ているからだ。‥‥これは‥‥欲しいっ‥‥!!
「使い方だ。使い方次第でこれは‥‥化けるぞ‥‥!マルケレ!私にはこの少女を手放すという選択肢はお前のおかげで消えた!!」
そうレーテンブルグ候が興奮気味に言うとマルケレはその顔を真っ赤にした。怒りが憎しみが沸く。そうして理性が消えた。後は殺意のみである。
「死ねええ!!」
莫大な闇の魔法で編み上げられた槍がレーテンブルグ候に向かい、放たれる。まさか、自身に歯向かうとは思っていなかったレーテンブルグ候はそれに瞠目するが、瞬時に何重もの結界を展開し、その槍を阻む。
「何を考えている!?私に刃向かうなど!!」
「うるさい!あの少女を私から取り上げる者なぞ、誰であろうと殺してやる!」
その言葉にレーテンブルグ候は息を飲んだ。狂っている。おかしい。彼はただあの少女を見ていただけの筈だ。“目が離せない”というそれだけの理由で。だが、それだけで見境まで無くなっている。甘く見ていた。レーテンブルグ候は今すぐに水晶玉を割らねばならなかった。割って治るものでは無いが、視界から消えるだけでこの狂気が一旦引くと考えられた。候の予想が正しければ、“存在の認知”が鍵の筈だ。
だが。
「‥‥誰だ、あれは‥‥。」
水晶玉を割ろうとそちらへ視線をやった瞬間、その水晶玉に1人の背の高い若い男が映った。
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山火事が広がっていた森は今や焼き焦げてはいるが、火はなくなっており、サウスの1団も火傷した者や煙を吸ってふらついている者を除けば、全くの無事でいた。
「すぐに態勢を立て直して、嬢ちゃんを追うぞ。」
サウスがそう自身の仲間に言った時だった。
「その必要はありませんわぁ。」
その突然、響いた声の方をサウス達が見ると、そこには穏やかに笑う艶やかな焦げ茶の髪と、柔和に微笑んでいるようなタレ目が特徴的なラミア‥‥カタリナがいた。ターザはその姿を訝しげに見つめる。このカタリナこそが、この山火事を消した張本人だった。山全体を覆うような火を水魔法でものの一瞬にして消したのだ。神の所業のようにも見えた、ほんの一瞬の魔法。しかし、ターザは彼女が信じられなかった。
何故なら“彼女は山火事が起こる前からこの山にいたのだ”。
ターザ達がシヴァリエを探して森に入った時、彼女はその道中で何かを待っているかのように何でもないよくある木に寄りかかってそこにいた。待ち合わせにも散歩にも見えなかった。不自然なまでにそこに居たのだ。
警戒を露わにするターザをサウスは目で窘めながら、そのカタリナに聞いた。
「そいつはどういうこった?」
それにカタリナは実に人好きのする微笑みを浮かべて告げた。
「御領主、いえ、我らが主が自ら取り戻しに行きましたから。‥‥もう、あの人ったら!もしかして実はせっかちさんだったのかしら?」
その言葉に、サウス達は皆、一様に顔を合わせた。
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シヴァリエはいつになく怯えていた。
警告するのだ、頭が。
逃れろ、と。狂った奴がいるぞ、と。
こういう頭の警告は初めてでは無かった。かつて、アイドルをしていた時にも度々あった。
熱烈なファンというのが、アイドルまこちーにはいっぱいいた。イベントやライブ中に乗り込んでくる人や、突然狂ったように愛を囁く人もいた。ストーカーなんて慣れるぐらいにはいたし、警察沙汰になるような殺人未遂もあった。
プロデューサーは言っていた。
熱烈なファンがいるなんて、アイドルには普通なことだよ、と。
何が普通なものか。あの時、新聞に載っていた事件は全てまこちーが被害者だった。確かに、ストーカーなら地下アイドル時代だけだったっぽいが、メンバーにも被害者がいた。しかし、メジャーデビュー後はまこちーだけが様々な事件に巻き込まれていた。自身が死んだあの時もそうだったのかもしれない。
でも、そういう事件を起こす人間は総じて“まこちーというアイドル”を愛していた人達で、アイドルとして簡単に無下に出来る人達では無かった。だから、あの頃はどんなに怖くてどうしようもなくても一つずつ対処していったものだ‥‥独りで。
そう、独りで。
助けてくれる人は既に自身を除け者にしてるか、金蔓としか思って無かった。
だから、ずっと1人で解決して来た。どんなに辛くても泣きたくなっても助けてくれる人はいなかった。
その当時を思い出して、シヴァリエは連れていかれながら、独りでどうにかするしかない現状に怯えていた。
おそらくこのまま連れていかれれば、何か良くない‥‥いや、確実に良くない人物が自身に何かするだろう。‥‥とてつもなく酷いことを。しかし、この檻は幾ら揺らしても開かず、連れていく男の子はサウス達すら退けた魔法使いだ。無力な自身に出来ることはない。
かと言って、助けてくれる人をシヴァリエは期待出来なかった。期待をしたくなかった。助けてくれる人を期待すれば期待するだけ、裏切られるのだ。味方一人いない独りぼっちには助けは来ないという結末がやってくるから。
だから、期待できなかった。本当にできなかった。もしかしたら、彼なら来てくれるんじゃないか?なんて、考えたくなかった。だって来なかったら、これ以上に悲しいことは無い。だって、シヴァリエはシヴァリエが思っている以上に、あの寡黙な人が大好きだから。裏切られたくなかった。本当に裏切られたくなかった。
だから、信じられなかった。
本当に信じられなかった。
シヴァリエは檻越しに見えるその人に目を見開く。
一方で同じ人物の来訪に気づいたシヴァリエを抱える人形がこれ以上ない程に表情を歪めていた。
そんな2人の目の前にいるその人は、能面を思わせるようなその無表情さをそのままに、淡々と抑揚もなく声を発した。
「俺の妹に手を出したな?」
そうして、その紫色の瞳が剣呑に煌めいたのを、人形の瞳に嵌められた水晶玉の向こう側にいた2人は思わず、息を飲んだ。




