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終章「その先へ」 四

 アスタロト公爵家長老会――アスタロト公爵家親族及び傘下の当主十名で構成される、意思決定機関だ。

 こうした意思決定機関は主に、四大公爵家及び十ある侯爵家に存在し、巨大な領土や財力、政治力を抱えるほど、複雑な対人関係や利害関係を生じながら、時に当主の意志すら凌ぐ力を有する事がある。

 長老会と上手く付き合い、操作しながら家を治めるのが、貴族の総主の一番の役割とも言える程だ。


 ベルゼビア公爵家やヴェルナー侯爵家など、総主の能力と権力が抜きん出て強く長老会が下部組織的な役割のみに収まっている家もあるが、その例は稀な方で、アスタロト公爵家は原則として重要決定事項は長老会との合議制を取っていた。

 それはアスタロト公爵自身が、正規軍将軍として、政治より軍事的役割に比重を置いているからでもある。


 今回、アスタロト公爵家長老会が次期当主アナスタシアの婚姻に、ベルゼビア、ヴェルナーの両家を最有力候補に上げたのは、家そのものの有する政治力の他に、もう一つ、長老会の力が言うなれば弱く、相手方長老会の干渉が少ないと――アスタロト公爵家にとって有利に運べると判断した背景がある。

 有力な家同士の婚姻は互いの力を強め、その影響力を広げる事に大いに価値を発揮するが、ともすれば一方が吸収されかねない、危うい均衡の上に立つものでもあった。

 アスタロト公爵家長老会は、その危険性を考慮した上で、それでもアナスタシアの足場固めを望んでいるのだ。



 そんな話をファーガソンに説明され、アナスタシアは絶望的に暗い気分になった。

 いつになく早起きもして、今日も天気はとてもいい。庭に面した窓からは抜けるように青い空が広がり、庭園の緑は青々と輝いている。

 それなのに、アナスタシアの真上にだけ、黒雲が立ち込めているような気がした。


「ですから、アナスタシア様が今おっしゃられた論法では、少し難しいのではないでしょうか」


 昨日のロットバルトが提示した案を、アナスタシアはつい先ほど、ファーガソンに聞かせてみたところだ。結構いける、とそう思っていた。


「もちろん、ヴェルナー様の仰るとおり事前に根回しなど綿密な準備ができれば、私もそれをお勧めしたいところですが、……今日の今日では」


 ロットバルトの手法は予め手許に複数の切り札を用意し、状況に応じてそれを適切に開いていくというものだ。それは常に周囲の動向を把握している者にしか出来ない手法だと、ファーガソンは残念そうに首を振った。

 アナスタシアの手許にある札は、たった一枚。

 自分自身という最大の、そして実は最も弱い切り札でしかない。


「でも、今日負ける訳にはいかないんだ」


 結婚なんてしたくはないし、ファーガソン達の立場を守りたい。それが理由ではあるが、何よりも、長老会に負けたくはなかった。

 ここでアナスタシアが自らの意志を通せなければ、この先の長老会との関係が決まってしまう。

 大袈裟でもなんでもなく、アナスタシアにとって一生を左右する日――それが、今日だった。


 話の合間にアナスタシアの髪を結いながら、アーシアはその頬の線を見つめた。いつになく緊張に張り詰めているのが判る。


「私自身が、長老会を説得できなくちゃいけないんだ」


 アナスタシアは窓の外に広がる、気持ちの良い緑の庭園に瞳を向けた。館の正面にある庭園から緩い曲線を描き、白い車道が芝の上に延びている。正門に続く道だ。

 もうあと一刻もすればあの道を辿り、長老会を構成する親族達が、馬車でやってくる。

 アナスタシアはぎゅっと細い指を握り締めた。







 扉が叩かれたのは、半刻ほど経った頃だ。本邸の執事であるシュセールが両開きの扉を丁重に押し開けて、アナスタシアの前に深々とお辞儀した。


「ソーントン侯爵がご到着なさいました。談話室へお通ししております」


 長老会の筆頭を務める侯爵の到着を聞いて、アナスタシアは僅かに狼狽えて椅子から腰を浮かせた。


「もう……?」


 早い。会議の定刻まで、まだ半刻近くある。

 まだアナスタシアは長老会を説得する有効な手立てを思い付いていなかったが、侯爵が到着した以上、主として挨拶に出なければいけない。

 極力アナスタシアに準備をさせないという意図が、そこに見え隠れしていた。


(どうしよう――)


 ロットバルトの言った手法など、元々無理だ。アナスタシアの手札より、彼等の持つ手札の方が圧倒的に多いのは分かり切っている。

 総主という立場にありながら、日頃の用意を怠っていたアナスタシアの、負けだ。

 対峙か、従うか。

 もう二者択一しかない。

 膝の上で、両手が白く握り締められる。


 対峙か、従うか――


(――どっちも、ダメだ)


 アナスタシアは深紅の瞳に熾き火を宿し、まるでそこに長老会がいるとでもいうように、真っ直ぐに睨み付けた。


「シュセール」


 立ち上がり、アナスタシアは案内の為に開かれた扉の内側に控えていたシュセールを呼んだ。シュセールがその場で頭を下げる。


「今日の会議はどこでやるの?」

「中央棟二階の議場をご用意してございます」


 そこは定期的に長老会が議事を行う場だ。つまりは彼等の主戦場とも言える。アナスタシアは躊躇わず、きっぱりと告げた。


「変える」

「変える――議場を、でございますか」


 アナスタシアの端的な言葉を驚きの中で正確に汲み取ったのは、この古参の執事の能力の高さを示している。シュセールは一呼吸しただけで、アナスタシアの瞳を静かに見つめた。

 今からは無理だ、とも時間がかかる、とも言わなかった。


「どちらにご変更なさいますか」


 アナスタシアの意図を汲み取り、最大限に活かし、叶える。シュセールがそうした能力と意志を持っている事に、主の後ろに立つファーガソンは深い喜びを感じた。

 これからアナスタシアに仕え、アナスタシアを支えていく、その役割を彼女に譲り渡す事に、ファーガソンには異存は無い。


 アナスタシアはじっと、シュセールの背後、開かれた扉から見える廊下の、窓の外の庭園に瞳を注いだ。

 そこはこの白鳥宮が翼の中に抱く中庭だ。夏の草木が多く植えられ、初夏から盛夏には、そこで連日のように園遊会や夜会が開かれる。


「天気がいいから、館の中庭にして。飲み物と、簡単な食事を用意してくれる?」

「――承知致しました」


 シュセールは深くお辞儀すると、すぐに他の女官を呼び指示を始めた。一通りの指示が済んだのを見て、アナスタシアはシュセールの待つ扉へと歩いていく。

 ファーガソンは思わずアナスタシアを呼び止めた。


「アナスタシア様、夏の庭園でごさいます」


 ファーガソンの困惑を含んだ声に、アナスタシアは振り返り、にこりと微笑みを返した。先ほどまで彼女を覆っていた緊張は、陽射しを受けた氷のように姿を消している。


「いってくるね、アーシア、ファーガス」


 心配しなくても大丈夫、と、そう告げるような穏やかな微笑みに、前アスタロト公爵の姿が重なる。

 眼を見開く二人の前で、アナスタシアの後ろ姿は優美な扉に閉ざされた。







 白鳥宮が囲む庭園は、夏を見立ててしつらえられている。

 その為に、初夏にもまだ少し早いこの時期は、緑も鮮やかに輝き花の蕾が枝に膨らみかけているものの、賓客を迎える為の華やかさを少々欠いていた。

 通常、園遊会などで賓客をもてなす際は、その館の最も華やかな場所を用意するか、そうでなければ手間をかけ、数日前から美しく整えるのが礼儀だ。


 当然の事ながら、そうしたしきたりを重んじる長老会の当主達が、いきなり変更されたこの時期早い庭園を喜ぶ事はなかった。


「何と礼儀を弁えない扱いだ」


 庭園に案内されたアスタロト公爵家の中枢とも言える長老会の面々が、まず頭に浮かべたのがそれだった。

 次期総主アナスタシアは、この長老会を軽んじている。

 第一に、このような場所でまともな話などできる訳が無い。

 アナスタシアがソーントン侯爵を伴い、ぴったり定刻に中庭に面した硝子張りの扉から姿を見せた時、中庭は降注ぐ陽射しも熱を失ったように静まり返っていた。


 ソーントン侯爵は一段高い扉の前からその場を見渡し、瞬時に事態を悟って、苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。声に厳しい響きを滲ませ、隣に立つアナスタシアに問い糾す。


「いきなり議場を変え、このようなまだ盛りも早い庭園に移すなど、どのようなおつもりか」


 アナスタシアは優雅と言えるほどの穏やかな笑みを頬に刷き、真っ直ぐソーントン侯爵を見つめた。

 その姿に、相手はまだほんの少女だと、そう思っていたソーントン侯爵は、たじろぎに似た感覚を覚えてアナスタシアを見つめ返した。


「今日は天気がいい、せっかく集まっていただいたのに室内で重苦しい話をするだけなんて、もったいないでしょう」

「……それにしても、このような、まだ早熟な庭などを――我々を軽んじておられるのか」

「不満?」


 アナスタシアの口調は全く険を感じさせないもので、当主達は戸惑ったように顔を見合わせた。

 アナスタシアは中庭への広い階段を降り、当主達の間を抜けて、緑の植え込みに歩みを進めた。まだ若い葉に触れながら、整えられた小路を緩やかに歩き、順番に一人一人の顔を見つめる。


「お前達はこの庭を、まだ早熟で人前に見せるものじゃないと言う」

「当然です。この場にいる者が我々だからまだ許されますが、もし外に向けてこのようななさり方をすれば、アスタロト公爵家は笑い者になりましょう」


 ソーントン侯爵はアナスタシアを追って白い階段を降り、対峙するように当主達の真ん中に立った。アナスタシアは歩みを止めず、まるでただ庭を散策するようだ。


「うん。でも、私も同じだ」


 当主達はアナスタシアが何を言い出したのかと、不可解そうな表情を浮かべた。

 庭園の隅に控えているアーシアやファーガソン達も、はらはらと心配そうな瞳でアナスタシアの姿を追っている。


「今日は私が突然言い出したせいで、ただでさえ庭師達は準備ができてない。お前達に見せるのは辛いだろうね」

「――」

「この庭は、これから庭師達が丹精を込めて美しく整えて、人を迎えられるように育てていくの」


 再び小路を戻り、アナスタシアは当主達の少し前で足を止めた。アナスタシアの纏う淡い色合いの服の裾を、風が揺らして過ぎる。


「私も、この庭と同じ。この庭以上に、まだ何の力も知識もない」


 全てはまだ、これからなのだ。


「私に力が足りないのは判ってる。でも、だからって変に他の家の力を借りるんじゃなくて――」


 アナスタシアは彼等を一人一人じっと見つめて、それから静かに頭を下げた。


 選ぶのは、対峙でも、追従でもない。


「私は、お前達に力を貸してほしい。だってずっと、この長老会がアスタロトを支えてきたんだろ?」


 選ぶのは、共に歩む事だ。


 当主達はアナスタシアを見つめたまま、じっとその言葉を聞いている。


「まずはこの庭園を美しくするように、アスタロトの内部を整えるのが先だと思う」


 風が緩やかに庭園を抜けていく。

 暫くは誰も何も言わず、衣擦れのような枝葉の揺れる音だけが、初夏を迎える前の庭園を満たしていた。


「――貴方がこの庭園で、我々は庭師という訳ですか」


 ソーントン侯爵はゆっくり、一言一言を区切りながらそう呟くと、厳しい表情を崩さず、アナスタシアを見つめた。


 何の合図もなく、ソーントン侯爵が膝を付き、深く頭を伏せる。他の当主達も同じように、その場に膝を付いた。


「アスタロトの誇りは夏の盛りと同じ。我々はこの家を――、貴方を盛り立て支える事に、何の異存もございません」


 青い空と緑の庭園を背に立つアナスタシアの黒髪が、風に鮮やかに舞う。それはこれから確実に訪れる初夏の気配を纏って、華やかに薫り立つようだった。


「きっと、花は美しく咲くでしょう」


 顔を上げ、新しい主を振り仰いだソーントン侯爵に、アナスタシアは輝くような笑顔を向けた。









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