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第十二章「森の息吹」

 目が覚めた時には既に、辺りには涼やかな朝の気配が漂っていた。微かに湿気と草の匂いを含んだ大気がひやりと頬を撫でる。


 レオアリスは二、三度瞬きを繰り返した。

 とても深く眠っていた感覚がある。指先が手繰ったのはさらりとした布の肌触りで、背中や足に伝わる柔らかい感触は、布を張った寝床だ。


(あれ?)


 さっきまであの坑道にいたはずなのに何故こんなところにいるのだろう。

 そう思って起き上がろうとして、胸の辺りに重苦さを感じ頭を持ち上げると、薄明かりの中でアナスタシアとアーシアが二人揃ってレオアリスの上に突っ伏して眠り込んでいるのが見えた。


(――何で……?)


 暫し思考を巡らせてこの状況の原因を探してみたが、それよりもとにかく、ああ、無事だったのだ、とその事が頭に浮かぶ。

 アナスタシアは無事、あの深い土の中から救け出されたのだ。


(良かった)


 胸の奥から安堵の息を吐き、レオアリスはそうっと寝床から抜け出して立ち上がった。二人とも疲れきっているのか起きる様子はなく、ぐっすりと気持ち良さそうな寝息を立てている。

 辺りを見回せば、頭上から緩く流れる布地には見覚えがある。あの宿営地の天幕だ。

 一瞬、時間が戻ったのかと――、まさか自分は昨夜の天幕から動いておらず、あの坑道での戦いは夢を見ていただけだったのかと、そんな感覚に襲われた。


「――」


 自分の記憶が疑わしくなって少し狼狽え、夢ではないという確実な証拠を求めて、レオアリスは無意識に右手を上げた。

 引き寄せられるように鳩尾に手を当てる。そこにある剣の気配が、確かに手のひらに感じられた。


(剣――。あれは、本当だったんだ)


 嵐の中にいるような感覚。あの力はまだ自分のものでは無いように思える反面、手のひらに感じる気配は、ずっと昔から慣れ親しんだもののようだ。

 望めばいつでも、掴む事ができる。


 そして、刀身の向こうから投げられた瞳の、深い金。


(あれは……)


 剣から伝わった、喜びにも似た感情。それはレオアリスの心の中にも、くっきりと鮮やかに刻まれている。

 それが誰なのかは判らないが、王都に行けば会えると、漠然と、けれども確信に近い予感があった。


 静かに呼び掛けてくる剣の声を宥め、レオアリスは扉代わりの布を繰って天幕を出ると、露を含んだ草を踏み、森の梢から斜めに差し込む朝日に手をかざした。

 正規軍は大半が引き上げたのか、宿営地のあちこちに張られていた天幕も、レオアリスが寝ていた天幕と周辺の幾つかを残して、他は跡形もない。白々とした朝日が黒竜の破壊した丘を照らしているのだけが、あの混乱の名残だ。

 池のほとりの宿営地だった場所は、すっかり通常の森の風景に戻っていた。


 不意に後ろで樹の枝が揺れた。すぐ後ろの枝から鳥が飛び立ったかと思うと、雲の無い白い空へ弧を描いて翔ていく。


「――」


 その軌跡を何とはなしに追っている内に、レオアリスは森に生き物達の息遣いが戻っている事に気が付いた。

 取り戻した平安を歌い上げるような、色鮮やかな鳥達の囀り。駆け抜ける小さな足音に枝葉を揺らす、樹々の楽しそうな様子まで思い描ける。

 森には生命の気配が満ちていた。


「終わったのか……」


 黒竜の存在に怯えて逃げ出した森の生き物達が、再び森に戻ってきたのだ。カトゥシュは昨日までと全く変わった、生命の揺り篭のように身体全体を風に揺らしてざわざわと謳っている。


 レオアリスは瞳を閉じ、カトゥシュのざわめきに耳を澄ませた。カトゥシュと対話した時のあの不安定な様子は、今は感じられない。

 もう一度術を敷いてカトゥシュと話をしてみようかとも思ったが、暫く迷って、それはやめる事にした。広大な森の意識が凝縮する世界に不必要に入っていくのは、やはり危険だ。


 瞳を開けて頭上から降り注ぐ木漏れ日を眺める。何と無く実感が湧かなかった。

 レオアリスは黒竜の最期を見ていない。随分深く眠っていたのか、ここ数日の強行軍で溜まっていた疲労もすっかり抜けていて、清々しささえ感じられる。

 次第に強くなってくる陽の光を浴びて伸びをしながら、終わったと言うよりは何事も無かったみたいだと、そんな感想を抱いているところへ、ワッツが身体を左右に揺らしながら近づいてくるのが見えた。


 ワッツはレオアリスの傍まで来ると、頭の先から爪先まで眺めて、満足そうにつるりと頭を撫でた。


「漸く起きたな。なかなか起きねえから頭でも打ったかと思って心配してたぜ」

「――えーっと……」


 何を尋ねるべきか、レオアリスは思考を巡らせた。

 黒竜はどうなったのか、他の兵士や法術士達はどうなったのか。これからどうするのか。

 ワッツは腕を組んで辺りを眺め、レオアリスの内心の疑問を拾うように口を開いた。


「お前は丸一日寝てたんだ」

「……一日?!」


 唖然として森の上に昇った朝日を振り返る。という事はあれは、あの戦いから一日後の朝日だという事だ。


「嬢ちゃん……じゃねぇ、公と坊主が心配して傍で看てるってきかねぇから、両側に寝床並べてやったんだ。驚いたろう」

「寝床……役に立って無かったけど」

「ん?」

「あ、いや」

「カトゥシュ一帯の封鎖は昨日の昼に解除された。夜までには現場処理も終えて、部隊は大半引き上げたぜ。チェンバーも先に引き上げた。治癒のできる術士が来ててな、腕が何とか動くようになったぜ。治癒ってのはありゃすげぇなぁ」


 レオアリスが驚き、それから嬉しそうな顔をしたのを眺め、ワッツは頷いた。


「お前が目ぇさますのを待たせてやりたかったが、早いとこちゃんと設備の整った場所に移る方がいいからな。寝てる間に顔だけ見て帰ったよ」

「俺も、もう一度会ってお礼を言いたかった。……今度会う時があったら」

「ああ、帰ったらすぐ会う。伝えとく」

「お願いします」


 二人の前方には、池を挟んで少し崩れたあの緑の丘がある。その丘を見るともなしに眺めながら、ワッツはまた言葉を続けた。


「あの縦穴はボルドー中将が何やら訳の判らねぇ術使って埋めて行った。まあ何だかんだ言ってあの人も大した術士だ。あれはなんつーうのか良く知らねぇけどよ、あんま戦闘系の術は得意じゃないけど、守護ってのか、あそこら辺でずいぶん高位らしいな。シアンが教えてくれた」

「あの盾は普通じゃできないよ。黒竜の息を防いだ。王都の法術士って、皆ああなのか……」


 レオアリスは力強く、それから羨望と手の届かないものに対する諦めも交じった口調で頷いた。ワッツは首筋をごしごしと擦りながら、身体を揺らしてレオアリスに向き直る。


「……黒竜はお前が斬って、公が焼き尽くした。覚えてるか?」


 封術の発動の後のレオアリスの中の記憶は曖昧で、剣を握る感覚だけが確かだったが、それでも剣を振り抜いた瞬間ははっきりと思い出せる。


「少しなら……」


 ワッツは可笑しそうに眉を上げた。


「あれだけの事やって少しかよ、もったいねぇな。ボルドー中将の術にも劣らないぜ。俺だったら年食った時の自慢話の為に尾ひれ付けて頭に叩き込んでおくけどな」


 孫どもが寄り付かなくなるぐらい喋り続ける、と(うそぶ)いてみせてから、厚い胸を伸ばし、ワッツはにやりと笑った。


「お前にゃずいぶん助けられた。礼を言うぜ」

「礼って、別に俺は、どっちかっていうと邪魔してたようなもんだし……。そういや、ここで掛けた術、あれやっぱり問題になったりするのかな」

「ならねぇよ、安心しろ。俺らの大将――ウィンスター殿だが、まああの人が取り沙汰す気ねぇからな。ウィンスター殿も引き上げたが、やっぱり礼を言ってたぜ」

「――」


 ウィンスターの厳しい顔を思い出し、レオアリスが何と言うべきか迷っている時に、背後でばさりと布が音がして高い声が響いた。


「レオアリスっ!」


 いきなり後ろから飛び付かれ、レオアリスは前につんのめった。首に細い腕が巻き付く。


 アナスタシアはそうしなければ居なくなってしまうとでも言うように、たおやかな腕に力を込めた。


「お前っ何で黙って出てくんだ! 心配しただろっ」

「――っ」

「ちょっとぉ、返事くらいしろよ!」


 レオアリスからの返事がない事に不満を感じたのか、アナスタシアは更に腕をぎゅっと巻いて、すぐ傍にある顔を覗き込もうと爪先を伸ばした。


「公、首絞まってますぜ」


 ワッツの指摘にはっとして、アナスタシアが腕を解く。

 レオアリスは漸く呼吸を取り戻して、全身で息を吸い込んだ。せっかく生き延びたのに、うっかり死んでしまうところだ。


「お前なぁ、加減ってモンを」


 喉をさすりながら恨めしげな目を向けたレオアリスに構わず、アナスタシアは再び抱きついて、長い溜息をついた。


「あー良かった」

「ちょ」


 アナスタシアはまるで犬か猫にでも懐くように頬を擦り寄せているが、困ったのはレオアリスだ。何せ今まで同年代の女の子などいた試しがない。顔に血を昇らせているレオアリスの肩を、ワッツがぽんと叩く。


「いいねぇ若ぇのは」


 年寄りじみた事を言ってワッツはにやにやしている。レオアリスの反論したそうな視線を受け流し、ワッツはおどけるように肩を竦めた。


「俺はのいてるぜ、まあゆっくりしろや。ただもうすぐ出立だ、荷物は纏めとけよ」


 レオアリスが何か言う前に、ワッツはさっさと背を向けて歩き出した。

 アナスタシアは漸くレオアリスを放して、それから勢い良く背中を数度叩いた。


「見たか! やっぱお前剣士じゃん!」

「見たかって」


 何でそんなに得意そうなのだろう。ただ、レオアリスは呆れながらも、アナスタシアの無事な姿とその向こうのアーシアの嬉しそうな様子に、改めてほっと息をついた。


「とにかく――、無事で良かったよな」


 陽射しに照らされた池のほとりは、まるで一幅の絵のように美しく平穏そのもので、池の水面は光を弾きながら微かなさざ波を揺らして横たわっている。

 青い空を背負う森と、足元の緑の草。

 身体の奥からゆっくり暖まっていくような、そんな柔らかな光景だ。


 アーシアがレオアリスに歩み寄って深々と頭を下げる。


「本当に、ありがとうございました。……アナスタシア様」

「そうだ、これ」


 アーシアが懐から出した布の包みを受け取り、レオアリスに差し出す。レオアリスが布を開いて驚いた顔をしたのを見て、アナスタシアは慌てて言い添えた。


「言っとくけど、拾っただけだからな」


 唇を尖らせたアナスタシアの顔を一度眺め、レオアリスは手の中のそれに瞳を戻した。見た目は半透明のゴツゴツした岩の欠片のようだが、それは確かに、陽射しを弾くような虹色の輝きを纏っている。


「――宝玉……」


 レオアリスは息を飲んで宝玉を見つめた。

 これを手に入れる為に、レオアリスはこんな遠くまで来たのだ。

 村を出た日から、もう既に何ヵ月も過ぎたように感じられた。


「すぐしまってください。長い間空気に晒すと消えちゃいますから」


 アーシアが心配そうに包みに手を添える。レオアリスは吸い寄せられていた視線を外し、手早く包み直して懐にしまった。


「――ありがとう。これで御前試合に出られる。本当は諦めてたところだったから、嬉しいよ。……すごく」


 アナスタシアはぱぁっと顔を輝かせ、後ろ手に手を組んで軽やかに草を踏みはじめた。レオアリスとアーシアの周りを回りながら、自分も踊るようにくるくる回る。

 長い漆黒の髪がアナスタシアの動きを追うように流れて、ここが森の中ではなくアスタロトの館であれば、優雅な楽の音が流れ出しそうだ。


「なあ、王都に行くなら一緒に行こう。私が街を案内してやる。どうせ泊まる所なんてないんだからうちに泊まってればいいよ。御前試合って今月の末だろ? 私もそのすぐ後……」


 アナスタシアは急に、軽やかだった足取りをぴたりと止めた。


「何だ?」


 楽しそうに跳ねていたかと思えば次には凍り付いたように立ち止まる、この相手は相変わらず掴み所がないと、レオアリスはただ可笑しい気持ちになっただけだが、アナスタシアはじっと顔を伏せている。


 それはおとといの昼、アナスタシアが兵士達に囲まれていた時に見せた、泣き出しそうな様子に似ていた。


「……どうかしたのか?」


 レオアリスは眉を潜めてアナスタシアに問いかけ、もう一度今度はアーシアに尋ねようと顔を向けかけた時、アナスタシアがいきなり頭を下げた。


「ごめん!」

「――はぁ?」


 突然謝られても、レオアリスには訳が判らない。何が、と聞き返す前にアナスタシアは更に深く頭を下げた。そのままでは頭が地面についてしまいそうで、レオアリスは慌てて肩を掴んで引き起こした。


「ちょっと待て、謝られる覚えなんてないぜ、一体」

「私、アスタロトだって事をお前に隠してたんだ」

「――は?」


 レオアリスの声は思わずという感じで裏返ったのだが、アナスタシアは更に身を縮める。


「隠そうと思って隠してた訳じゃなくて、ちゃんと説明するつもりで――迷ったのは確かだけど、ほんとに騙すつもりとかなくて、ちゃんと説明」

「ちょ……ちょっと待てって!」


 顔を伏せたまま早口に流れ出るアナスタシアの言葉を何とか遮り、レオアリスは落ち着かせるように一呼吸置いてから、ゆっくり尋ねた。


「……何で俺に説明する必要があるんだ?」

「だって」


 跳ね上がった深紅の視線の先で、レオアリスは首を傾げる。


「お前がアスタロトだからって、俺に謝らなきゃいけない意味が判らねぇ」

「だって――普通、怒る、でしょ……? 黙ってたら」

「……怒んねぇだろ、そんな事」


 レオアリスの声は呆れているというよりは、少しぽかんとした感じだ。


「――怒らないの?」


 ものすごく、本当に遠慮がちに見上げてくるアナスタシアの瞳を眺め、レオアリスは込み上げる可笑しさに耐え切れず笑い出した。


「何で笑うんだ!」

「だって、あの時そんな事気にしてたのかと思うと……」


 この池のほとりで兵士達に囲まれて、泣きそうな、ひどく傷付いた顔をしていたのが、黙っていた事を怒ると思っていたからだとは。


 レオアリスはまだ笑っている。アナスタシアの深紅の瞳が恨めしそうに細められた。


「そんな事って、真剣なんだぞ! ずっと気にしてたんだから」


 さすがに笑いを収め、レオアリスは一度じっとアナスタシアを見てから、また少し口元を緩めた。

 深紅の瞳は光を弾いて燃え立つようで、周囲の緑の中でよく映える。


「向いてるよ」

「え?」

「俺の勝手な感想だけど」


 ゆらゆら不安定に揺らぎながら、激しく煌々と、自由気儘に辺りを照らし、熱を放つ。


「炎帝公って。――お前にぴったりだ」


 アナスタシアはゆっくり瞳を瞬かせた。

 少し青ざめていた頬に、また薔薇色の透けるような色が差す。


「まあ、驚いたのは驚いたし、お前が正規軍の将軍って周りは苦労するだろうけど、我が儘なのは意志が強いって事だし、やる事が突拍子もないのは行動力があるって事だし、実際向いてんじゃねえ?」

「……お前、私をそんなふうに見てるのか……」


 喜ぶべきかがっかりするべきか良く判らずにアナスタシアが肩を落とすと、レオアリスはにや、と口元に笑みを浮かべ、それからはっきりと口にした。


「お前ならできる」


 何だか――たったそれだけの単純な言葉が、心の中にすうっと入ってきて、アナスタシアは気持ちが軽くなっていくのが判った。まるで羽根を付けて浮かべたようだ。


「――うん」


 アナスタシアはこくりと頷いた。胸の内側から沸き上がるような、暖かい感覚に押されて、ふわりと柔らかい笑みが白い頬に広がる。

 アーシアを見れば、アーシアはアナスタシア以上に嬉しそうに微笑みを浮かべていた。


 彼等の周囲では樹々の若葉が陽を受けて輝き、さわさわと心地よい音を奏でている。ワッツが近付きながら片手を上げ、そろそろ出立が近いのが判った。


「荷物――って、アーシアは投げちまったんだっけ」

「投げた? 何それ」


 アナスタシアが何の事かとアーシアの顔を覗き込むと、アーシアは恥ずかしそうに微笑んだ。


「すみません、咄嗟に」

「竜に投げ付けたんだ。良かったじゃないか、お前の為に重いの我慢して持ってきた鍋が役に立って。我が儘も、ある意味先見の明があるか?」

「……お前、いちいち」


 笑いながら天幕に戻って荷物を――鞄というにも少ないが――手に取り、レオアリスは二人を振り返った。


「まあこれでもう帰るんだ、荷物もそれほど必要ない――」

「ああ!」


 アナスタシアが大声を上げ、レオアリスは驚いて天幕の中からアナスタシアの顔を見つめた。アナスタシアは大きな瞳を見開いて、また凍り付いている。


「今度は何だ?」

「やばいやばいやばーい! 何も解決してないじゃん!」

「何が?」


 黒竜との戦いが終わって森が平穏を取り戻し、アナスタシアは自分の不安を払ったようなのに、これ以上何が解決していないのかと、レオアリスは眼を見張って真剣に数えだした。


「後始末? 報告とか?」

「そんなんじゃないよー! 結婚!」

「……はぁ?」


 きょとんとアナスタシアを眺め、それからレオアリスは思わず後退った。


「結婚?! ――お前幾つ?!」

「失礼な、十四だ。そんな事よりアーシア、どうしようっ。……逃げる?」

「アナスタシア様、さすがにもう」


 自分達に自活能力が無い事は嫌という程身に染みている。これ以上旅を続けてもいずれ路頭に迷う事になる。

 アーシアとしては王都に戻ってゆっくり疲れを癒して欲しいし、さすがに継承式までには余裕を持って戻ってもらいたかった。


「後はもう、話し合って解決なさるしかありません」

「話し合って解決できる相手じゃないから出て来たんじゃん!」

「……それが嫌で出てきたのか?」

「おう、何騒いでんだ」


 ワッツが三人の間に首を伸ばす。三者三様の表情を見比べて、最後にレオアリスを捕まえた。


「何かあったのか?」

「いや、何か、結婚がどうとか」

「結婚すんのかい! 気がはえぇな!」


 ワッツはレオアリスの背中をばんと叩いた。


「やるじゃねえか坊主!」


 何だか場が混乱してきている。


「いや、俺じゃなくて、アナスタシアが結婚するのが嫌で飛び出して来たって話で」

「適当みたいに言うなよ、一生問題だぞ! このままじゃムカつく嫌味な気障野郎と結婚させられちゃうんだから!」


 公爵家を継ぐのも一生問題だろう、と思ったが、それは口にせず、レオアリスはそろりと足を引いた。アナスタシアは活火山のように燃え上がっていて、手を触れない方が賢明だと、そう思ったからだ。

 だがレオアリスの配慮には全くおかまいなく、今度はワッツが腹を抱えて笑い出した。


「ムカつく嫌味な気障野郎って、言うねぇ嬢ちゃん。一生の内にそこまで酷評される機会はざらにぁねぇ、いっそ貴重だぜ」

「一生問題だっつってんの! 笑うな! ムカつく!」


 アナスタシアはげらげら笑うワッツを、こんがり焼きそうなくらいきりりと睨み付けた。ワッツはちっとも怯む様子が無い。


「くそっ、睨んでも頭に弾かれる! イヤ!」

「ああ?」


 ワッツは少しだけ心外そうに、剃り上げた頭に手を当てた。


「とにかく帰ろう! 思い出したら不安になってきた。また勝手に話進めてるかも――進んでたらどうしよう!?」


 アナスタシアはそう口にしている最中にも、くるりと身を翻し、やたらと森に向かって走り出した。


「待ってください、僕がお運びしますから」


 アーシアが慌てて後を追う。取り残されたワッツはまだ頭に手を当てたまま、同じく二人の姿を追っているレオアリスに顔を向けた。


「お前はどうする? 公が戻る気になってんなら、無理に監視――じゃねぇ、護衛も付けねぇ。けど何なら王都まで軍が送ってやってもいいぜ」

「レオアリス! 早く来い!」


 深い森を背に、まだ怒った口調のままアナスタシアが手を上げて、急げと呼んでいる。飛竜に姿を変えたアーシアが、その隣で青い瞳をレオアリスに向けた。


「――あいつらと一緒に行くよ。色々ありがとう」

「おう。じゃ、またいつか会おう」


 レオアリスが駆け出し、ほどなく二人を乗せたアーシアがふわりと浮かんで、真っ直ぐに空に滑り込む。

 カトゥシュの森が一度、旅立つ彼等に挨拶をするように身を揺らした。



 見送るワッツの前で、青い鱗の飛竜は空に溶けるように消えた。








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