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第十一章「剣(つるぎ)」 五

 レオアリスの身体を微かな青白い光が取り巻いた。

 身体に食い込んでいた牙が、一瞬にして砕かれる。黒竜のくぐもった苦鳴の咆哮が光の壁に幾度も打ち当り、轟く。

 まだ黒竜の顎に捉われたまま、まるで操り人形のような無機質な動きで、レオアリスの右腕が上がる。


 手が鳩尾に当てられ――

 ずぶりと手首まで沈んだ。


 流れるはずの血は無く、代わりに青白く清烈な光が溢れ、白く閉ざされた封印の内側を染めていく。

 腹に沈んだ拳が何かを掴み、今度は静かに顕れようとしていた。


 吹き上がる強烈な、身を凍り付かせる程の鬼気が漆黒の鱗を叩き、黒竜が唸る。長い首を振り、獲物を完全に噛み砕こうと、音を立てて顎を閉ざした。

 レオアリスの身体が黒竜のあぎとに呑まれ、光が途絶える。

 束の間の静寂。


 顎の縁に手が掛かり、硬く閉ざされていた顎を、内側からゆっくりと抉じ開けていく。持ち上げられた牙の隙間から、再び青白い光が零れ、辺りを照らした。


 レオアリスは顎の中で立ち上がり、黒竜の牙を蹴り軽々とその牙の中から抜け出すと、黒竜の足元に降り立った。先ほど流れ落ちた大量の血は既に乾き、牙によって貫かれた傷痕は跡形もない。


 まるで何事も無かったかのように、レオアリスは黒竜に向かって一歩踏み出した。

 その手には、一振りの長剣が握られている。


 月の雫に浸したような、冴えざえと凍り付く刃。


 黒竜が張り詰めた威嚇の唸りを上げ、低く身を伏せる。爛々と光る金の両眼が目の前の少年に釘付けにされ、二つの存在を取り巻く大気が凍て付いた。

 強大な黒竜の怒りの感情と、レオアリスから発せられる研ぎ澄まされた刃に似た空気が、互いの中間で覇を競い凌ぎ合う。その間にある空間さえ、砕かれ霧消しそうな二つの力。


 黒竜の両眼を見据えたまま、レオアリスの腕が、もう一度持ち上がった。

 左腕だ。

 鳩尾に当てられ、再びずぶりと沈む。


 黒竜の肩がびくりと跳ねる。それまでの均衡を破り、尾がレオアリスに向かって振り下ろされた。

 右腕の剣が、すい、と上がり、迫る尾を捉える。

 刃は尾に触れると、まるで紙を切るように、そのまま振り抜かれた。

 二つに断ち切られた尾が、叩きつけられた勢いのままにレオアリスの背後の壁に当たり、彼の足元に落ちる。

 尾の先端を落とされた黒竜は、軋る苦鳴をあげた。先端を失った黒竜の尾がレオアリスの周囲で跳ねる。


 どこか楽しそうな色を浮かべて黒竜の様を見つめたまま、レオアリスは鳩尾に沈んでいた左手を引いた。

 零れる光と共にゆっくりと現われ形造られていくのは、右手の剣を写し取ったような、もう一本の長剣だ。


 レオアリスの持つ剣――それは彼の身体の一部、一対の肋骨を変化させたものだった。立てれば柄がレオアリスの胸の辺りまで届く長剣。

 レオアリスの手の内で、二振りの長剣は、それ自体が生きているかのように静かに明滅し、長い眠りから解き放たれた歓喜に震えた。


 かつりと硬い音を立て、レオアリスは更に一歩、黒竜へと近づいた。怒りに両眼を燃え立たせた黒竜が、牙を剥き出す。

 剣はふいに、無造作に振り抜かれた。

 剣から巻き上がった衝撃が地面を砕いて走り、あれほどの強固さを誇った黒竜の鱗を突き抜け、右の翼を断ち切る。


 黒竜は驚愕と、怒り、そしておそらく生まれて初めて感じた恐怖に、吼えた。







 光の柱が、その内側に吹き荒れる力に耐えかね、びりびりと振動する。光は弱まったかと思えば揺り返して強く輝き、不安定に揺らめく。


 その外では、柱を見つめていた誰もが、レオアリスを救い出そうとしていたアナスタシアやワッツまでもが、軋む光の柱に固唾を飲み、恐れて僅かに身を引いた。







 レオアリスは自分が黒竜と対峙する光景を、初めは硝子を一枚隔てた景色として眺めていた。


 自分の手が握っている二本の剣。その青白く光を纏う刃に、意識が自然と引き寄せられる。十四年間知らぬままに、自分の中に宿っていた剣だ。

 それを掴んでいるのは自分の腕のはずだったが、自分ではないように感じていた。誰かが勝手に身体を動かしている、もしくは剣がひとりでに動いているような、曖昧な感覚だ。

 その剣が黒竜の尾を断ち、翼を落とす様を、レオアリスは驚きとともに見つめていた。


 霞の中にあったその感覚が、次第に狭まり、揺れながら近付き、大気を打ち鳴らす咆哮をきっかけに、

 ――重なった。


 唐突に、レオアリスは嵐の如き力の奔流に投げ出された。

 身体を引き千切らんばかりに渦巻く力。意識が弾かれ、消えてしまいそうだ。


 それが剣の力だと、自分の内側から吹き上がってくるものだと、そう気付くまでに数瞬の空白があった。

 腕が強い力に振り切られるように引き摺られた。


「なん」


 慌てて向けた視線の先に、剣の柄を握った自分の右手と、その柄からまっすぐに伸びる研ぎ澄まされた刃がある。


「――剣」


 レオアリスは手のひらから伝わる柄の感覚を、初めて意識した。まるで吹き荒れる風の渦の中に腕を突っ込んでいるようだ。

 ぐん、と腕が引かれる。


「っ、……待っ」


 制御が効かない。暴風だ。

 身の裡から容赦なく叩きつけられる力に、レオアリスは歯を食いしばり、身体を丸めて両腕を押さえ込んだ。

 握った剣が激しく振動し、レオアリスの制御を無視して飛び出そうとしている。

 振動が走るごとに、体中の骨が軋み、悲鳴を上げた。


 肺が酸素を求めて僅かな呼吸をした瞬間、剣は再び振り抜かれ、黒竜の背後の地面に深い亀裂を穿った。跳ね上がった剣が、黒竜の足元を掠めて空を切る。

 だがその剣風は、黒竜を捉えていない。レオアリスの意識が完全に戻った事が、逆に剣の制御を失わせているのだ。


(駄目だ、これじゃ)


 呆れるほど滅茶苦茶だ。どれほど強力な力であっても、制御できなければ何の意味もない。

 焦るレオアリスの意識を余所に、剣は解放の喜びに打ち震えるように光る。レオアリスの意志を超えて、本能のままに動こうとしている。


(――抑えろっ)


 剣士としての覚醒とは、自分の意志を無視して切り裂こうと動く剣を自らの制御下に置く事――、そこから始まるのだと、レオアリスは誰に教えられる訳でもなく、本能で理解した。

 そして今レオアリスが置かれている状況では、間違いなく、抑えきれなければ待っているのは、死だ。暴走する剣が黒竜を捉えるより先に、黒竜の牙がレオアリスの身体を砕くだろう。


 だがその前に、剣の力によって、身体が砕け散ってしまいそうだった。

 自らの剣に切り裂かれる――そんな馬鹿な考えが、実際にこの吹き荒れる力の中では、最も真実味を帯びていた。


 じわりと湧いたのは、戸惑いと、不安だ。それはレオアリスの心の中で確実に触手を伸ばし、剣を押さえ込もうとする意志を掴んで揺さぶり始める。


(――こんなもの、どう抑えればいいんだ)


 どうすれば抑えられるのか、その答えの欠片すら見つからない。

 腕の力は今にも失われそうだ。例えレオアリスがワッツのような大男であったとしても、力で抑え切る事はできそうにない。


(無理だ)


 そう思った瞬間、剣はレオアリスの抑止を振り切って走った。

 切り裂いたのは、黒竜の居場所とは全く見当もつかない場所だ。

 意識が飛んでいた時の方が、剣の力は生きていた。いっそ剣だけで、レオアリスの意識など無い方がましなのではないか。

 自分の力であるはずが、自分には全く押える事ができない。その事がどうしようもなく悔しかった。


(ちくしょう)


 握り込んでいる手の血管が、剣の放つ力に押されて切れ、吹き出した血が霧のように辺りに散る。

 眼が霞み、押さえ込む腕の感覚が、次第に麻痺していく。

 剣に満ちる力は、逆にレオアリスの意識を蝕んでいくようだ。


(抑えなきゃ……)


 噛み締めた唇から血が滴る。

 その痛みも遠く、レオアリスは自分の意識が再び霞んでいくのが判った。









「本来剣士とは、覚醒の際に助け手が要るのだ」


 ふいに口を開いた王に、アヴァロンは訝しそうに眉を上げた。


 そこは王城の中の円柱の連なる広い謁見の間で、先刻、西のカトゥシュ森林より、正規軍西方軍の急使が封術の発動を告げたばかりだった。謁見の間は水を打ったように静まり返っている。


「王……? 如何なされました」


 十数段の高みに玉座が据えられ、王はその玉座に背を預けて座し、ゆったりとその瞳を閉じていた。アヴァロンの問い掛けに、王の瞳が上がる。その瞳は面白い遊戯でも眺めるような光を浮かべ、アヴァロンの姿を通り越した先へ向けられている。


「剣士の剣は、ともすれば己の身を喰らう牙にもなるという。剣の覚醒の折、助け手として補助の役目を果たすのが、同じ一族の剣士だ。助け手がいない場合、剣士はその多くが、自らの剣の力によって身を滅ぼす」

「――」


 アヴァロンは何も言わず、ただじっと王の姿を見上げた。言葉ではアヴァロンに話しかけていながら、王の瞳、それが向けられているのはここではない。


「二刀――。……面白い」


 呟かれた言葉に、アヴァロンは頬を引き締めた。


(カトゥシュの剣士が、二刀を……?)


 剣士の剣は通常一振りのみだ。二刀を持つ剣士など、近衛師団の長として長く剣を持つアヴァロンですら、聞いた事がない。


(十四年……まだそれだけだ)


 アヴァロンの脳裏に刻まれている、あの時から。


「王」

「――少し、きっかけがいるか」


 アヴァロンの顔に浮かんだ困惑と微かな憂慮の色を面白そうに眺め、王は再び、その黄金の瞳を閉じた。









(駄目だ……)


 剣を抑えきれない。このまま剣の力に飲まれるのはただ自分の力不足のせいで、それは仕方のない事だと、諦めにも似た思いがレオアリスの心を支配しようとしていた。

 レオアリスの心が弱くなるに従って、剣の力はますます強まっていく。


 切っ先の触れている地面を切り裂き、砕く。

 剣の纏う光に触れた皮膚が、薄い刃が撫ぜたように切れる。

 容赦無い力で、剣は己を掴む主の手を引き千切り、身体を切り刻もうとしている。


 抑えられない。


 仕方がない。


 意識が剣の力の中に沈み、消えていこうとした時。


 ふいに、ぴたりと振動が止まった。

 それはまるで、誰かが剣をそっと抑えたかのようだった。

 剣は今までの暴走が嘘だったかのように、穏やかな光を湛えている。

 微かに伝わってくるのは、喜びの感情だろうか。それはレオアリスの心の中にも、静かに湧き上がった。


 見開かれたレオアリスの瞳が、刀身を過ぎる影を捉える。研ぎ澄まされた刃に映った人影――


 一瞬だけ、刃の中から向けられた黄金の瞳と視線が合った。


「!」


 はっとして顔を上げ、レオアリスは辺りを見回した。

 光の柱の中にいるのは、レオアリスと黒竜のみだ。他の誰の姿も、どこにも見当たらなかった。

 茫然としているレオアリスの手の中で、剣が再び目覚めて、激しく振動を始めた。


「――っ」


 ぎり、と歯を食い縛り、レオアリスはもう一度剣の柄を握り込んだ。


(抑えろ!)


 剣に飲まれている場合ではない。

 飲まれてしまう訳にはいかない。


 この剣を抑えて、自分自身の力で――、王都へ、行くのだ。

 おそらく、その為には、この剣が必要だ。


 絶対に。


 じわり、と両手の剣の光が増し、レオアリスの身体と、その周囲を青白く染め始めた。


 この剣が、レオアリスには必要だ。


 どうしても。


「――必要なんだ!」


 骨を砕くような鳴動が伝わる。剣はレオアリスの意志を受け入れるべきか弾くべきか迷うように、激しく明滅した。

 同時に、大気を振るわせる咆哮が響く。

 視線の先に、怒りに両眼を燃え立たせた黒竜の姿があった。


 制御を欠いているとはいえ、光を纏う切っ先が身を掠めるごとに、肉を断たれる錯覚は黒竜を脅かしていた。尾を断たれ、片翼を失い、生まれて初めて感じた恐れは、黒竜の中に逆巻く激しい怒りを生んだ。

 黒竜が血の滴る(あぎと)を開いた。

 光が集まっていく。


(まずい……)


 レオアリスは左右に視線を走らせた。この術に囲まれた状態では、避ける場所もない。

 剣は未だ、レオアリスの制御を受け入れてはいない。

 退こうとした足を、レオアリスはぐっと押し止めた。


(――逃げる場所なんて、)


 酸の息が奔る。


(無い!)


 自分が何をしようとしているのか、半ば曖昧なまま。


 レオアリスは暴走しようとする剣を力の限り引き寄せ、一直線に迫る酸の息に向けて、覚醒して初めて、自らの意志で――

 剣を振り抜いた。


 それまでの抵抗が嘘のように、剣はレオアリスの意志に従い、風を切り裂いた。

 剣から迸った青白い光が、白い恐るべき死の息とぶつかり、爆発に似た突風が吹き荒れる。

 黒竜の息を殺しきれず、剣光が押し戻される。


「――ッ」


 右腕を振り切った態勢から、レオアリスは左足で思い切り地面を蹴った。

 ぐるりと身体を半回転させ、左手の剣を振り抜く。全身の力が、剣に乗せて流れ出る。

 剣風が地面を砕いて奔り、押し戻されかけていた光にぶつかる。

 青白い光が膨れ上がり、ひと呼吸の後――、


 酸の息は跡形も無く霧散した。

 剣風は尚も力を保ったまま、黒竜の身体を突き抜けた。

 びき、と厚い氷に罅が走るような音が響く。

 黒竜の背後の壁が、黒々とした線を刻んだ。


 次の瞬間、音を立て、封術の柱が砕けた。







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