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第九章「声」 四

 ワッツは天幕から出てきたレオアリスを見て、寄りかかっていた樹から身を起こした。


「どうだ?」

「もう、すっかり落ち着いてます」

「お前、さっき言った事、ありゃどういう事なんだ」


 ワッツはレオアリスがアーシアに言った事をはっきり耳にしてしまっている。そこを問い質されたら、一から説明しなくてはいけないし、もしワッツが信じれば、逆にレオアリス達はどこにも行けなくなってしまう。内心の焦りを押し隠し、レオアリスは用意していた答えを口にした。


「――あれは、アーシアがあんまり辛そうだったから、つい」

「つい!?」


 ワッツが細い眼を剥く。


「お前、何考えてやがる! 下手な期待なんか持たせやがって、もし」

「助けるんだろ?! そう言ったじゃないか」

「助けるぜ! 諦めちゃいねぇ! だけど、万が一って事がある! 期待持たせて駄目だったら、お前もう一度あの坊主を突き落とす事になるんだぜ!」


 ワッツは本気で言って、本気で怒っている。もしかして本当の事を話せば、ワッツは協力してくれるかもしれなかったが、レオアリスはぐっと飲み込んだ。


「――すみません」


 顔を俯けて項垂れたレオアリスに、ワッツは言い過ぎたと思ったのだろう。気まずそうに首を擦る。


「いや……俺もきつく言い過ぎた。――あの坊主が正気に返ったのは、まあ良かったぜ」


 レオアリスはワッツの眼を見ないように顔を背け、それはワッツからはまるで罪悪感に打ちのめされているように映った。実際、ワッツには申し訳ないと思っている。


「すみません……」

「いや」


 ワッツは更に視線を泳がせた。


「――頭を、冷やしてきます」

「どこに……」

「この中を歩くだけだから」


 ワッツは溜息をついたが、頷いた。


「あんまり深刻になるなよ。自分一人のせいだなんて思う必要はねぇんだ」

「――ありがとう。アーシアは、今寝てるから、暫くそっとしておいてやってください」


 罪悪感と緊張で高鳴る鼓動が聞こえそうで、レオアリスはワッツに背を向け、歩き出した。ワッツの視線がずっと自分を追っているのが感じられる。あまり急いで歩かないようゆっくりと足元の草を踏みしめる。

 周囲では兵士達が思い思いに座り込み、武具の確認をしていた。


(――いつ出るんだろう)


 彼等はレオアリスが通りかかると顔を上げ、時折身体の心配をして大丈夫かと声を掛けてくる。ウィンスターは彼等にまでは、レオアリスに対する考えを言っていないのだろう、彼等の上には戦場に似つかわしくない少年に対する心配の色しか見えなかった。


「――」


 レオアリスは宿営地の端まで来ると、屈む振りをして、足元に印を描いた。

 一つ。


 再び、今度は宿営地の外側を回るように歩き、先程の場所から離れたところに、もう一つ印を描く。森の側に合わせて三つ。


(印は、五つ)


 池の縁に向かう時に、アーシアのいる天幕が見えた。ワッツの姿はない。

 一瞬中に入ったのかと慌てたが、少し離れた場所にワッツの大きな身体がぼんやりと見えた。そこにいる兵士達と何か話している。


(アーシアは、抜けたかな)


 一度自分のいた天幕に寄って、そこにあった荷物を手に取った。中にはしっかり、二つの巻物が入っている。片方の、細い海老茶色の巻物を一度握り込み、それから袋に戻して、レオアリスは天幕を出た。


 次に池の縁に向かい、立ち止まって印を打つ。


 四つ。


 五番目の場所に足を止め、レオアリスは池の右手にいる兵士達と、左手の対岸にある丘を見比べた。それから膝を付き、最後の印を描く。


 これで五つ。必要な印の全てを、宿営地を囲むように打ち込んだ。


 立ち上がり、後ろへ数歩退る。袋から海老茶色の巻物を取り出し、そっと広げた。

 クラリエッタから貰った、眠りの法術だ。


 そこに書かれた長い術式を、暗い中で眼を凝らしながら、ゆっくりと静かに読み上げていく。

 視線の先で、草の上に打った印が微かな光を放ち始めた。それと判って見なければ見落としてしまう程の微かな光だ。

 おそらく術の対象に気付かれないように、印の光が抑えられているのだ。


(すごいな……)


 純粋な感想のまま、レオアリスは印を見つめた。高度で強力な法術。

 こんな事の為にクラリエッタはこの術を渡した訳ではないだろう。

 この遣り方が本当に正しいとも、レオアリスは思っていない。

 ただ、どうしても、一刻も早く、アナスタシアを見つけ出したかった。


 声が風に乗る事のないように気をつけながら、レオアリスは術式を紡いでいく。


 長い術式の半ば辺りまで紡いだところで、レオアリスは訝しそうに眉を顰めた。口にする術式から返る手応えが、いつもより薄い気がしたからだ。

 印に眼をやれば、光はずっと続いている。法術が発動しようとしているのは間違いない。


(――何だろう)


 上手く術と印が噛み合わない、そんな感じだ。じわりと胃の辺りの熱が増す。

 不安を感じたまま、レオアリスは最後まで術式を読み上げた。じっと印と宿営地に眼を向ける。

 印は光っているが、宿営地の騒めきはまだレオアリスの元まではっきりと聞こえてくる。


(まさか、失敗か……?)


 印を打ち損ねたのか、術式を間違えたのか――。印を確認して回れば、その行動で怪しまれてしまうだろう。


(どうする)


 もう一度術式を唱えるべきかと、レオアリスが巻物に視線を落とした時、ふわりと印から光が立ち上がった。

 視線の先で、五つの細い光が上空に向けて柱のように立っている。


「何だ!?」

「何が起こってんだ!」


 宿営地からいくつも声が上がった。騒めきがどんどん大きくなる。まだ術は完全に発動してはいないのだ。光も、思った以上に弱い。


(早く)


 とにかく焦りを覚え、レオアリスは汗の滲む両手を握り締めた。今にも兵士達は、光の外へ飛び出してきそうだ。


(早く!)


 唐突に、五つの光の柱から、それぞれの柱を繋ぐように光が走った。光は壁のように宿営地全体を囲い込み、その中に閉じ込めた。

 息を飲むレオアリスの前で、宿営地の騒めきが、次第に薄れていく。


 やがて静寂な夜の中でさえ、物音一つ聞こえなくなった。


「――」


 成功したのだ。どうも術式自体が上手く組めていなかったようで、あまり長くは保たないと思えたが、それでも良かった。

 全身の力を抜いて、肺の中に溜まった空気をゆっくり吐き出した時、背後で翼の羽ばたく音がした。


「!」


 振り返り、そこに居た青い飛竜にぎょっと身を固める。青い飛竜はレオアリスへと近寄ってくる。


(しまった――もう、援軍が着いてたのか?)


 だが、その背は空だ。誰も乗っていない。

 レオアリスが身構えたのを見て、青い飛竜は一度首を傾げ、それから身を震わせた。唖然として見守るレオアリスの前で、飛竜はたちどころに少年へと姿を変えた。


「――アーシア……!?」

「はい。僕です」


 まだ驚きに瞳を見開いたまま、自分をじっと見つめているレオアリスへ、アーシアはにこりと微笑み、それから真剣な青い瞳を向けた。


「行きましょう、レオアリスさん。僕が運びます」

「――ああ」


 驚いている時間は、今はない。戻ってきてから、色んな事を、二人に聞けばいい。


 アナスタシアとアーシアに。


「少し離れた場所で、一旦カイに入り口を探してもらう」


 アーシアは再び身を震わせ、その姿を飛竜へと変えた。青い飛竜に歩み寄り、その首に手を当てる。


 身体の裡で、何かがレオアリスを呼ぶように急かすように、囁いている気がした。

 青白い光で、遠いところで、レオアリスを呼んでいる。


 まだ、とても遠い。


 レオアリスは一度瞳を伏せ、それからアーシアの背に飛び乗った。

 今はただ、アナスタシアを見つけるだけだ。


「行こう――」







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