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第九章「声」 二

 外はすっかり陽が沈み、黒々とした闇に包まれていた。宿営地は所々に篝火が焚かれていたが、その数も疎らで全て黒い傘で覆われ、足元を照らし出すのも覚束ない。


 篝火を細くして傘で覆うのは、上空からの眼を極力避ける為だ。ただ、その目的を考えると、逆に僅かな灯りすら煌々と輝く真昼の太陽のように思える。

 まだチェンバーの姿を瞼の裏に残したまま、ゆっくりと息を吐き、レオアリスはその篝火に引き寄せられるように瞳を向けた。

 朧気に揺れる隠された炎は否が応にも、失われた少女を連想させる。


『公女は、黒竜と共に落ちた』


 内心は尋ねたくはない。何かを知る事そのものが、これほど重く圧し掛かるものだとは、今まで考えた事も無かった。


 見ない振りはできないという強い思いの反面、これ以上、自分では何ともならない事を知りたくないという思いは確かにあって、起きた事を知らなければ、それは起こらなかった事になってはくれないかと、そう思った。

 それでも、炎はレオアリスの瞳の奥で揺れる。


 一緒に居たのは半日にも満たない。にも関わらず、その印象は鮮烈だ。奔放な炎そのもの。アナスタシアと向かい合うと誰もが感じるそうした印象を、やはりレオアリスも抱いていた。


 奔放だけれど、綺麗な炎だ。

 最後に見たのは、今の朧気な篝火のような、どこか傷付いたような顔だった。


 レオアリスは思い切ったように口を開いた。


「……アナスタシアは、本当に落ちたんですか」


 レオアリスの表情は、内心の思いを押し殺し張り詰めている。ワッツは闇を見透かすように眼を細めた。


「――落ちたのは本当だ。黒竜が酸の息で開けた穴に落ちた。」


 レオアリスは両手を握り締めた。


「黒竜に?」

「いいや。アスタロト公は黒竜を追い詰めて落とした。落ちたのは、地盤の崩壊に巻き込まれたからだ」

「崩壊――」


 夜に和らげられていても判る程、レオアリスの頬が蒼白になった。

 心臓が早鐘を打つように激しく鳴っている。昼間見た、アナスタシアの顔が過る。最後に――


「でも、運良く……」


 それは余りに、頼りない期待に聞こえた。地盤が崩壊して、その中に落ちた者がどうなるか。

 ワッツはその頼りない期待を承知の上で頷いた。


「だから救出に行く。ただ、時間は掛かるかもしれねぇ。縦穴はどこまで続いてたか判らねぇが、入口が潰れちまったのは確かだ。どうしようもねぇ。今別の道を探してるところだ。ここらには古い坑道があるからな」


 レオアリスに向けた瞳は、闇と同じく暗い。


「いつ行くんですか」


 ワッツの目が険しくなる。


「お前、まさか剣士なんて信じて、ついて来るつもりじゃないだろうな」

「そんな事しないです。無理について行ったって足手纏いになるだけだ」


 剣士だとウィンスターがどれほど言ったところで、夢で剣を見たところで、今現実にレオアリスの手に剣がある訳でもない。

 その状態で一緒に行動し、また彼等を危険に晒して負担を掛けるのは、絶対にしたくなかった。


 絶対にだ。


(そんな事はしない)


 レオアリスの瞳に浮かんだ光は篝火のかぎろいに隠されて、ワッツは気付かなかったようだ。


「それがいい。軍に任せな」


 ワッツは暫く黙って暗い池の向こうの丘を見つめていたが、息を吐くように呟いた。


「あの時、何で丘に降りたんだかな……。何かを取ろうとしたみたいだが、何だってあんな時に」


 ワッツのその言い方は、起ってしまった事への苦い後悔のようなものだったが、レオアリスはそこに含まれた言葉に無意識に引き寄せられ、顔を上げた。


「……取ろうとしてたって、――何を」

「そう言ってたんだ。混乱しちまって判らないが、何か見つけて飛び降りたらしい」


 何かを見つけて、飛び降りた――?


 恐ろしい予感が、足の先から這い昇る。

 今まで激しく打っていた鼓動が、ぴたりと止まってしまった気がする。


(……まさか)


『竜の吐いた息が』


 アーシアの声が蘇る。眩暈を覚え、レオアリスは額に手を当てた。


『私が持ってきてやろうか』


『吐いた息が、凝ったものなんです』


 再び、先程よりももっと激しく、鼓動が鳴り響く。


 それを打ち消すように、アーシアの声が聞こえた。



『宝玉というのは、竜の吐いた息が凝ったものなんです』


 

 黒竜が酸の息で空けた穴。


 ぎゅっと眼を瞑る。レオアリスは怒りすら感じていた。

 アナスタシアに対してではなく、自分にだ。


(何で、あの時話したんだ)


 ワッツはアナスタシアが取ろうとしたものが宝玉だと、そう言った訳ではない。だがレオアリスには、それ以外考えられなかった。


(何で――)


「おい、どうしたんだ」


 蒼白になって拳を握り締めたレオアリスの様子に、ワッツが訝しげに近寄る。ワッツの姿を視界に捉えるともなしに捉えながら、ふと先程のワッツの言葉に引っ掛かりを覚えて、レオアリスは顔を上げた。


 混乱してて。誰が?

 混乱していてと、ワッツは確かに言った。


「ワッツ少将、それ、誰から」

「お前真っ青だぜ。もういいから」

「誰から聞いたんですか!?」


 レオアリスが何に反応してこれほど必死になっているのかが全く判らず、ただ勢いに押されるようにワッツは口を開いた。


「……アーシアだ。従者の坊主だよ」


 レオアリスは何かに引かれるように、ワッツに詰め寄った。


「アーシアは無事なんですか!? まさか、倒れて」

「倒れてはない。身体はなんともねぇ。だが、精神的には大分参っちゃいる」

「――倒れてない……」


 それまでレオアリスは、アーシアもアナスタシアと共に落ちたのだと思い込んでいた。


(アーシアが……)


 アーシアが、ここにいる。


 レオアリスの瞳が僅かに力を増した事に、ワッツは不思議そうな目を向けた。


「どこに――会わせてください」

「駄目だ」

「ワッツ少将!」

「お前、もういいだろう。会ったって辛いだけだ。これ以上嫌なモン見る必要はねぇ」


 ワッツはきっぱりと首を振った。十分だ。もうレオアリスは辛い現実を見過ぎている。これ以上の辛い思いを、ただ巻き込まれただけのこの少年がする必要は無いと、ワッツはそう思っていた。


「お前だけじゃねぇ、アーシアって坊主にしても、今は」

「今、会う必要があるんだ」

「せめて明日に」

「明日じゃ間に合わない!」


 頑として譲ろうとしないレオアリスに、ワッツは暫くその顔を見つめた後、重い息を吐き出した。


「顔を見るだけだ。――来な」







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