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第七章「それぞれの意志」 七

 レオアリスは前を歩くクーガーの背中を追うように、じっと瞳を据えたまま、森の中を歩いていた。

 そうしていながら、頭の中では繰り返し思い出していたのは、先ほどのウィンスターとの会話だ。


『国を救えるとしても?』


(そんな事、俺にできる訳が無い)


『剣士』


(知らない)


 本当に?

 言い切れるか?


 レオアリスの心の中には、否定しようとする自分を俯瞰するもう一人の自分がいて、ウィンスターの言葉に重ねるように、容赦なく問い掛けてくる。


『一大隊を持ってしても、黒竜を斃せるかは判らん』


 ――黒竜を倒せ。


(そんな事、無理に決まってる!)


 何もしないで、逃げるのか?


(そうじゃない! 俺じゃなくたって)


『可能性を』


 息苦しさを覚えて、レオアリスは傍らの樹の幹に手を付いた。

 可能性など、そんなものがどこにあるのだろう。誰が決めるのか。


「おい、大丈夫か?」


 はっと顔を上げると、クーガーが足を止め、レオアリスを覗き込んでいる。


「顔が真っ青だぞ」

「――あ、いや、大丈夫……」


 レオアリスは息を詰めていた事に気付き、ゆっくりと吐いた。


 少し眉を潜めたクーガーの声には、レオアリスの様子を慮る響きがある。一番最初にレオアリスを捕えた時の、あの取りつく島もない印象とは全く違う事に、レオアリスは戸惑いも覚えた。

 目の前にいるのは一分の隙もなく制御された軍人ではなく、彼等もまた生身の一個人なのだと、改めて告げられているようだ。


「悪いが、このまま歩くぞ。夜までに距離を稼ぎたい」

「おい、ガキ。疲れたんなら俺がおぶってやろうか」


 後ろを歩いていたチェンバーという兵士が、レオアリスの肩を叩いた。四十前後の気の良さそうな顔をした男だ。


「……いいよ。来る時は担いで連れて来られたから、体力は残ってる」

「それだけ憎まれ口を叩けるなら大丈夫だな」


 もう一人、ウェインという兵士がにやりと笑って、今度は背中を叩いた。彼はチェンバーより少し若い位だろうか。一番若いのはクーガーで、まだ二十代前半のようだ。

 ただ、彼等の間に序列があるようには見えない。

 クーガーは彼等とレオアリスとを見回すと、一つに束ねた髪を振ってまた歩き出した。


「さあ行こう。まだ歩き出したばっかりだ」


 クーガーの言葉通り、まだ彼等は宿営地からそう遠くない場所にいた。耳を澄ませば、兵士達が立てる鎧の金属音が微かに聞こえる程の距離だ。

 四人は森を南に抜けようとしていた。それが街道に出るには一番早い。


「俺達は運がいいぜ。お前を送るって理由で一足先にこの森を出られるからな」


 チェンバーがおどけた様子でそう言うと、後ろのウェインも頷いた。


「帰ったら暫く来たくないねぇ。いっそ東軍に行きたいぜ」

「そしたらお前きっと、ワッツ少将と辺境軍だぜ。第七のシスファン大将の下で訓練受けるか?」

「それじゃ黒竜の方がマシじゃないか」


 他愛のない会話を織り交ぜながら、それでも足を緩める事なく、樹々の根の盛り上がった森を進む。彼等は平静を保ち面に表しはしなかったが、心の底にはやはり怯えがあった。


 誰も、実際には黒竜に会った事はなく、その脅威に直に触れた事はない。それでも、静まり返った森は口を閉ざすと彼等に迫ってくるようで、その奥に黒竜の眼が燃えているように感じられる。

 こうして他愛のない会話を交わす事で、日常の中に身を置こうとしているのだ。隠しきれずに伝わってくる彼等の焦燥感は、レオアリスに幾度もウィンスターの言葉を思い起こさせた。


 レオアリスが黙り込んでいるのをやはり恐怖からだと思ったのか、チェンバーは彼を構う事にしたようだ。


「ガキ、お前」

「レオアリス」

「レオアリスか。お前は何でこんな場所に来たんだ?」


 チェンバーは歩きながら、レオアリスの後頭部に話し掛けた。レオアリスも振り向かずに答える。


「御前試合に出ようと思って」

「御前試合――?」


 遠慮の欠片もなく吹き出したのはウェインだ。チェンバーは呆れたように首を振った。


「お前が御前試合だって?うちの坊主と同じ位の年じゃないか」


 子供がいるのか、と、それは何となく意外だった。家庭がある。それなら多分、早く家に帰りたいだろうと、そんな考えが過る。


「……あんたのとこの息子は知らないけどさ、そいつにだってやりたい事はあるだろ? 年なんか関係ない」


 そう言ったものの、結局レオアリスは宝玉を手に入れないまま、森を出る為にこうして歩いている。カトゥシュ森林が封鎖されている以上、もう御前試合に出る道は無いように思えた。


(結局何もしてないな……)


 勇んで村を飛び出して、ただ帰るだけ。

 ウィンスターに問われた事からも、逃げて――


(逃げてる訳じゃない。元々そんな事できる訳ないじゃないか)


 言い訳がましく響くのは何故だろう?


 チェンバーはレオアリスの様子に気付かず、感心したように溜息をついた。


「しっかりしてるなぁ。うちはまだ、かみさんの手伝いもしないで遊んでばっかりだよ」


 それが妙に悲嘆の籠もっていたから、ウェインが笑った。


「父親の背中見て育つからなぁ」

「そういうお前のとこはどうなんだ。もう十位になるだろう」

「まだ六つだよ。まあでもうちのも遊んでばかりさ。言う事は聞かないし、散らかすし、こっちが疲れてる時にも構え構えで適わないしなぁ」


 そう言いながらウェインの声は決して本気で嫌がっているようではない。その後二人は、父親の威厳や、妻と黒竜とどっちが恐いか、などとひとしきり議論を交わして笑い合った。

 お互いの話に気が済んだのか、今度は先頭を歩くクーガーに矛先を向ける。


「そういえばクーガー、お前まだ独身か。さっさと身を固めろよ。いいぜ、家庭は」

「あんた方の話聞いてると、結婚に夢が見れないんですがね」


 呆れた返事にも、二人は動じる様子はない。「ひっくるめて全部、いいもんさ」などと言って、レオアリスになぁ、と同意を求めた。


「なぁって言われてもな……」


 彼等の会話は、他人であるレオアリスにも暖かさを感じられるものではあったが、同意を求められても困る。


「お前の両親だって似たようなモンだろ?」

「……さあ」


 不明瞭な返事に、チェンバーは少し眼を見張った。


「さあって」

「知らない。両親っていないから」


 二人は急に黙り込み、チェンバーなどは特に気まずそうに頭を掻いた。


「悪かったな……」

「いや、別に……じいちゃん達がいるし。気付いたらいなかったって感じだから、あんまり気にしてないんだ」

「そ、そうか」


 あまりに二人が決まり悪そうに肩をすぼめたものだから、逆にレオアリスの方が悪い事をした気持ちになった。


 実際、レオアリスは両親がいない事をそれほど気にした事はない。冷たいと取られるかもしれないが、物心ついた時には周りには祖父達だけで、村には他の子供はいなかった。

 幼い頃は「親」という機能そのものを知らなかったと言っていい。

 それに村人達は非常に愛情深く、時には厳しく、実の親にも劣らない態度でレオアリスを育ててきた。だからレオアリスは、親がいない事を寂しいと感じた事はほとんど無い。


「死んだとも言われてないし」


(――聞いてないし)


 以前、ずっと幼い頃には、祖父に尋ねた事もあった。けれどカイルがひどく悲しそうな顔をしたから、聞いてはいけないのだと、そう思ったのを覚えている。


「どこかにいるかもしれないし――」


 今更だが、考えてみればレオアリスは自分の出自を知らない。


 何故両親がいないのか。

 何故祖父達と姿形が違うのか。


 何故、祖父達は、何も言わないのか。


「――」


(俺は――)


 ふと思った。


 自分は、何者だろう?


 どくん、と鼓動が鳴る。

 自分のものであって、自分のものではないように、その音は響いた。


「そう言えば、御前試合に出るって――なにで出るつもりなんだ?」


 クーガーが珍しく話題に乗って来る。話題を変えようと思ったのだろう。レオアリスは、なにで、という言葉の意味するものを一旦考えて、手段を指しているのだと理解した。


「術だよ。俺は……術士なんだ」

「へぇえ! 術士様かい」

「リンデール中将と同じか」


 レオアリスの口調はどこか言い張るような響きがある。クーガーは捜索時の情報を思い出したのか、ああ、と納得したが、チェンバーとウェインはとにかく感心して顔を見合わせた。


「リンデール?」

「さっきのきっつい姉ちゃんだよ。あの人は軍の法術士団の法術士だ」


 クーガーが代わって答える。


「法術士団……」

「軍の術士は隊に配置されないで、別編成なんだ。状況に応じて能力の見合った術士が派遣される」

「お高く止まってるのが多いけどな」

「リンデール中将は何だっけ」

「転移とか、眠りとか、あと盾だ」

「羽翼系?」


 耳慣れない言葉に、三人とも聞き返した。


「うよく?」

「補助って事だ。支援系全般の術」

「ああ、そういうのか? へえー」


 ウェインはまた感心した顔をする。


「まあそういう補助ってのも有難いは有難いけど、折角なら黒竜を斃せる術士を派遣してくれりゃいいのになぁ」

「お前どうだ? 御前に出ようって位だからいけないか?」

「黒竜を斃せば、それこそ英雄だ。地位も名誉も黙ってたって転がり込んで」

「無理に決まってるだろ!」


 自分が発した言葉の強さに気付き、レオアリスは顔を逸らした。


「――普通無理だよ」

「冗談だって」


 彼等にしてみれば、元から本気で言っている訳でもない。そもそも彼等はレオアリスがウィンスターから言われた事を知らなかったし、まだ十四歳の少年に黒竜と戦わせようなどと本気で言う者がいると知ったら、それが大将であっても怒っただろう。


 それより、とにやりと口元に笑みを浮かべて、チェンバーはレオアリスに近寄った。


「公女の為か?」

「公女――? ああ」


 一旦きょとんと見返してから、アナスタシアの事を指しているのだと気付き、レオアリスは複雑な顔をした。


「御前で優勝すれば、少しは見合った地位が手に入るもんなあ」

「ああ、だから御前試合なんて考えたのか」

「そりゃそうだ。今のまんまじゃ高嶺の花過ぎる」

「へぇえ、泣ける話じゃないか」


 まだどうとも返事をしない内に、二人はすっかりそのつもりになってレオアリスを両側から挟んだ。


「気に入った!」

「よし、応援するぜ」

「もう手ぐらい握ったか?」

「――そんなんじゃ」

「照れるなって!」

「心配すんな、さっきの見てりゃ、絶対脈有りだ!」


 ばん、と同時に背中を叩かれて噎せ反り、レオアリスは少し恨みの籠もった視線を両側に向けた。


「……あんたら、そういうの好きだな……」


 ワッツといい、こんな時だというのに妙に楽しそうなのは何故なのだろう。


「気にするな。軍なんて場所、そういうのしか楽しみが無いんだ。他人の話はいい暇潰しだよ」


 クーガーは年配者二人を呆れた眼で見やっておいて、それから顔を寄せた。


「で?」

「――」


 黙りこんだレオアリスをどう取ったのか、耳元でこっそりと声を落とす。


「お前ちゃんと、手順考えろよ。手ぐらい握っとかないと、その先なんて到底無理だからな」

「て――」


 狼狽えたレオアリスに、クーガーは経験者らしい余裕の笑みを浮かべた。


「照れ臭いのは判る。俺も初恋は初々しかったもんだ」

「照れてねぇ! 大体、手順も何も、あいつとは昨日の夜に会ったばっかりで、公女とかそんなのだって俺は知らないし」

「マジか!」

「じゃあさっきいきなりかよ」

「出会った途端に引き裂かれるのか、泣ける話じゃないか」


 今度は同情に満ちた三対の眼が集中する。そろそろレオアリスは、まともに反応するのを止めようかと思い始めた。

 要は本当に暇潰し――というより、乗れる話題があれば何でもいいのだ。


「……いいけど。どうでも」

「そんなすぐ諦めるもんじゃない。俺のかみさんは初恋だ。別の男とかみさん争ってなぁ。いわゆる三角関係ってヤツだよな」

「三竦みの間違いじゃないのか、ウェイン。顔に似合わねぇ事言って少年の夢を壊すなよ」

「顔はいいだろう」

「髭づらがか」

「これは嗜みだよ」

「熊に見える。森で会ったら矢を射られるぞ。あ、ここ森か。――気を付けろよ」

「誰がだ」


 そんな他愛ない、終わりなく続きそうな会話は、唐突に破られた。


 突然、ずしん、と下から突き上げるような振動が走った。


「何だ?!」


 今までの和やかな雰囲気は消し飛び、三人は瞬時に兵士の顔に戻った。緊張を張りつかせ、剣に手をかけて周囲に視線を投げる。

 だが折り重なるように立ち並ぶ樹々の奥には、何も異変を探し出す事ができない。


「おい……」


 擦れた声で背後を指差したのは、ウェインだ。

 その指先を追って――全員が凍り付いた。


 頭上の枝葉の隙間から、白く輝きを放ちながら空へ吹き上がる、光の柱が見える。


「何だ、ありゃあ――」


 ウェインの声は囁きに近い。

 宿営地にまだいるであろう部隊の、微かな争乱の響き。

 振動がまた彼等の足元にまで伝わる。一度、二度。


 再びしん、と静まり返った次の瞬間――


 大気をつん裂く咆哮が響いた。樹々の枝葉を揺すり、幹を軋ませる。


 僅かな沈黙の後、クーガー達は声を震わせた。


「まさか」

「宿営地だ」

「まだ部隊はあそこにいるぜ」


 凍り付いた顔でお互いを見回し――、次には彼等は身を翻した。

 宿営地へ。


「ちくしょうッ、戻るぞ!」


 顔は既に蒼白にも関わらず、クーガー、チェンバー、ウェインは一斉に来た道を駆け出した。


「ま――待て! 戻ったら」

「坊主、お前は逃げろ! 真っ直ぐ南に向かって走れ!」


 クーガーが首を巡らせ、レオアリスに行けと腕を振る。


「ま――」


 レオアリスは茫然と立ち尽くした。


(何で)


 感じたのは、当然の疑問だ。

 今まで彼等は怯えていたはずだ。彼等が戻ったところで、何が変わる訳でも無い。

 先程まで家族の話をしていて――早く森を出る事を考えていた。

 それなのに、躊躇もせず、何故戻ろうとするのか。


『国を救えるとしても?』


 そう考えたからとは思えない。咄嗟にそんな事を考える余裕などない。おそらく彼等の頭にあるのは、あの場に残る仲間達の事だ。

 彼等は自分にできるかできないか、そんな事は問題にしていなかった。


 どくん、と鼓動が身体を打つ。鼓動がレオアリスを急かすように問い掛けてくる。


 お前はただ立ち止まるだけか?

 自信が無いと言って、できない事を言い訳に、何もしないのか?


 あの商隊を野盗が襲った夜がふいに思い浮かんだ。あれはまだほんの二日前の事だ。

 あの時のように、何もできない自分に歯噛みして、膝を抱えるだけか。


 レオアリスは唇を噛み締めた。

 剣士だとか、そんな事は知らない。

 ただ、今この状況ではっきり判っている事は、剣士などではなくても、レオアリスには術を使う事ができるという事だ。

 可能性というならそこだ。


『国を――』


(関係ない)


 そんな事が問題な訳ではない。

 そんな途方も無い事ではなく、ただ自分ができる事があるなら――それがどんなに僅かな事であっても、何もせずに後悔するのは、もう嫌だった。

 レオアリスはぐいと顔を上げ、彼等を追って森の中を駆け出した。







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